教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

「Minecraft × Education 2015」での藤本さんの講演「ゲームが変える未来の教育」記事を読んで、ゲームと教育の関係について考える

 8月8日、9日に「Minecraft × Education 2015 〜こどもとおとなのためのMinecraft〜」が開催されました。僕は残念ながら参加することはできなかったのですが、非常に盛況だったようです。

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「ゲームが変える未来の教育」

 このイベントの基調講演の一つで、Ludix Labでご一緒している、藤本徹先生(東京大学助教)が「ゲームが変える未来の教育」と題した講演をされたそうで、4Gamer.netで紹介されています。

www.4gamer.net

 Ludix Labでのお付き合いの前から、藤本さんとは「大航海時代Onlineを使って世界史を学ぶ授業」を実証研究としてやってみたり、シリアスゲームについてのワークショップで講師に来ていただいたり、未来の教育を考えるきっかけをいつもいただいています。
 大航海時代Onlineでは、喜望峰をまわってアジアまで行くのがいかに大変かを実感しましたね…。ああいう実感ができるっていうのはデジタルの強みだと思っています。こうした特性を活かして、どんどん教育分野に取り込んでいきたいな、と思っています。


 普通に学習をしてもできる子もいますが、実感をした方が理解が深まる子もいます。また、そもそもゲームという入り口で興味を持たせた方がいい子もいるでしょう。僕はこれをICT利活用の目的の中で、「興味喚起」「モチベーション喚起」を目的とした使い方と位置づけています。ゲームでも何でもいい、学習が進めばいいのだ、と定義付ければ、もっともっとゲームを教育分野に使っていくことはできると思います。

ゲームの「続けさせる」工夫はすごい

 ここまで書いてきて、ゲームがいかに「続けさせる」工夫にあふれているか、という話を思い出しました。検索して探してみたら見つかりました。六百デザインの「嘘六百」というサイトでの時折綴る「子供にゲームをさせよ論」のコトというエントリーです。


 以下、引用です。

「実はTVゲームというのは、遊んでいる人間を『褒める装置』なんです。問題を出して、成功したら褒める。失敗したらペナルティを与える。我々はこれを『ゲーム性』と呼んでいますが、これがまさに、TVゲームという装置の本質なんです。


「誰だって、褒められれば嬉しいですよね? ところが実生活では、褒められる体験というのはあまりにも少ない。お母さん方、お子さんを叱ってばかりいませんか? 『またイタズラばかりして!』とか、『悪い点ばかり取ってきて!』とか。叱る方ばかりが多くなって、褒める方というのはついつい疎かになりがちです。


「でも、ゲームを作っている我々は、なるべく『褒めよう褒めよう』と思いながらゲームを作っているんですよ。毎日褒めたい。毎回褒めたい。出来れば『10秒に1回』、いや『60分の1秒に1回は褒めたい』、そう思いながら、プログラムを作っているんです。さすがに親御さんでも、60分の1秒に1回褒めるのは難しいでしょう(笑)。疲れちゃいますもんね。でもゲームというのはコンピュータですから、疲れずに褒め続けられるんです。


「とは云っても、褒められるだけじゃ飽きちゃいますよね。人間というのは刺激に慣れる習性がありますから、褒められ続けると『またかよ』とウンザリしちゃう。そこで我々は、出来る限り色々な行動に対して褒めようと、手を変え品を変え、色々なバリエーションを用意しているワケです。


六百デザインの「嘘六百」: 時折綴る「子供にゲームをさせよ論」のコト

 褒めることに特化する。どうやったら褒められるのかがはっきり分かるようにして褒める。できなければペナルティを与える(ライフが減るとか減点するとか)。でも、どうやったら次はもっと上手にできるかがわかる。これって、教育や学習でも非常に近い部分があると思うのです。

「ここで注意していただきたいのは、あくまでも『褒める』のがメインだというコトです。よく出来ていないダメなゲームのコトを『クソゲー』なんて云いますが、クソゲーの大部分は、叱るのが下手だったり、褒めてくれなくて叱ってばかりのゲームだったりします。あるいは、絶対に達成出来ないような目標を与えて、全く褒めてくれないゲームなんかもそうですね。子供はクソゲーに見向きもしませんから、やっぱり『褒める』のが重要だというコトです。


クソゲーと云えば…たくさん褒めてくれるゲームであっても、クソゲーと呼ばれて、子供が見向きもしないモノがあります。それは『ルールがはっきりしない』モノです。褒められたんだけど、なんで褒められたのかわからない、とか、さっきは褒められたのに、今度は褒められなかった、という類のモノですね。子供は不公平に扱われるコトに対しては敏感ですから、こうしたモノは好みません。最近では少なくなってきましたが、昔はこうしたクソゲーがたくさんありました。


六百デザインの「嘘六百」: 時折綴る「子供にゲームをさせよ論」のコト

 一方で、「ルールがはっきりしない」というのはダメですね。こうした部分は、5月のEDIXで同じくLudix Labのフェローである福山さん(東京大学 特任助教)が「学校はクソゲーか?」という命題を掲げて講演をされていました。
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blog.ict-in-education.jp


 元エントリーは、お父さんお母さんに対して話をしているものなのですが、家庭での子育て以外にも適用できる話だと思います。

 ゲームと教育、ゲームと学校は、そう遠い分野ではありません。ゲームの工夫と教えるときの工夫に近いところがあるという考え方をする方が多くなってくるといいな、と思います。
 また、最初の楽しみをきっかけにして学びにぐっと引きつけるためにも、ゲームは有効だと思いますので、ゲームを最初の入り口にするなど多様な学びが提供されるようになると、それは学習者にとって幸せなことなのではないかと思います。

参考エントリー

 2015年2月には、藤本さんの著書『シリアスゲーム 教育・社会に役立つデジタルゲーム』の刊行8周年記念トークセッションを開催したりもしました。今回の話に通じることを僕も話しましたので、もしよろしければ、ご参照ください。
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(為田)