教育ICTリサーチ ブログ

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書籍ご紹介:佐渡島庸平『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ』

 佐渡島庸平『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ』を読みました。全体として、コミュニティ論が中心だと思うのですが、「なぜ、コミュニティを作ることが大切なのか、という背景についてが非常に勉強になったので、個人的にメモしたところをまとめてみました。

「なめらか」というキーワード

 最初に、インターネットとは何なのか?ということ。ネットで繋がるようになった現代の社会は、いったい何がどう変わってきたのか、ということが書かれています。

インターネットとは、なんなのか?
一部の人は、インターネットによる効率化は非人間的で、世界は息苦しくなっていくと予想する。


一方、インターネットの中にどっぷり浸かっている人たちは、今は過渡期なので一時的な不便があるけれど、インターネットによってより人間的な、生きやすい時代が来ると予想する。(p.25)

 この、「インターネットによる効率化が非人間的」と感じている人は、まだまだ多いです。インターネットという同じテクノロジーを全然違うふうに評価をしている状況をベースにいろいろなことを考えなければならないと思っています。
 そして、このインターネットは、スマホの普及によって、大きく意味を変化していきます。ここで出てくるキーワードは、「なめらか」です。

インターネットは、スマホによって、誰もが常時接続できるようになり、一気になめらかなものへと変化した。24時間365日接続の意味は、すごく大きい。(p.26)

 佐渡島さんは、「これを、インターネット以外のものに置き換えると、イメージがわきやすいかもしれない」として、例として以下のようなものを挙げます。

  • FAX
    • 相手が机の前にいるときにしかつながらない。
    • 時間でいうなら、一日の5%くらいしか使っていなかった。
    • Uberは、この「使われてない95%」が使われるようにした。
  • 買い物
    • いままでほしいものは、店へ行かなくてはならなかった。
    • Amazonにより、欲しいと思ったら、すぐに家に届くようになった。

車も部屋も買い物も、いろいろなものが、常時ネットに接続されていると、社会はどんどんなめらかになっていく。不自由な社会に合わせるのではなく、自分の欲望に社会を合わせることが可能な時代が、もうそこまで来ている。
今までは、自分の意思を押し殺して、社会のシステムに合わせることが必要だった。これからは、自分の欲望を正しく理解して、実現するために、いろいろなことを試みることが重要になってきている。たった数年間で社会のルールが180度変わろうとしている。


昨日までは美徳とされていた習慣が、急に、意味のないものに、インターネットの中で生き残るのに邪魔な価値観になってしまっている。(p.28)

 この「なめらか」というキーワード、いろいろな本で登場していることに気がつきます。今まで「デジタル」か「アナログ」かということにすごく気をつけていろいろなものを見てきましたが、違う尺度を手に入れたように思います。
 こうした観点で、学校で子どもたちが触れるべきICTとはどんなものであればいいのか、考えるというのも大切かと思います。

教育は何を求めればいいのか?

 佐渡島さんは、教育がどんな価値を社会に提供してきたのかを書いています。そして、問題解決の時代から、問題発見の時代へと変わって行くことを説明します(p.36-37)。

  1. 問題解決の時代
    • 世界共通の幸せの像があって、全員がそれを目指している=インターネット以前の状態
    • それに違和感を感じても、自分の周りに仲間を見つけられない。だから、自分のほうが我慢して、その価値基準に合わせる教育システムになる。
    • 世界は解決すべき課題だらけ。不便を見つけて、解決する。
    • 不便がすべて解決したら、次は不満を見つけて、それを解決した。
    • 世の中が、大きな不便と、大きな不満の解決をしている間は、「どのような人生が幸せか?」という問いすらも解答可能だった。よいとされているものを、身に纏えばよかった時代。
  2. 問題発見の時代
    • 自分の小さな問題を見つけて、その問題解決を必死にする。ブレない価値観を持ち、「自分の好き」を大切にする。
    • 情報を編集して、問題発見型へと移行できる教育システムに変えようとする、2020年の教育改革。

 この「自分の小さな問題を見つけて」というところは、経済産業省の「50cm革命」というのとも重なってきます(参考ページ:課題解決力を持つ「チェンジ・メイカー」をいかに育てるか――経産省が「『未来の教室』とEdTech研究会」を発足 (1/3)|EdTechZine(エドテックジン))。

edtechzine.jp

なぜ、コミュニティなのか?

 情報の量は、インターネットの発達によって、手に負えないほど、爆発的に増大していると思います。この時代に、自分で情報を選択するという責任が必要になります。どの情報にアクセスし、その情報を読み、どのように解釈をし、どのような行動をするのか、ということができなくてはなりません。情報活用能力を学校の場で学ぶという方向性もこれに重なってくると思っています。
 ですが、この情報を選択する責任は、人を不安にし、不幸にすることさえあります。そこでどうするか、すべての情報を自分で選択するのではなくて、自分の信頼するコミュニティを選択し、そのコミュニティから得る情報については、ある程度信頼して行動する、ということかと思います。そうすることで、人は触れる情報を減らすことができます。「どのコミュニティに入るのか、ということだけを意思決定するということになる、と佐渡島さんは書きます。

 コミュニティの中で、信頼する情報を得るためには、コミュニティの中で適切な行動を取っていなければならないと思います。自分の「好き」でつながるコミュニティを作る/参加する、という体験は、なかなかいまの学校では教えられていないことかな、と思いました。

まとめ

 ICTとコミュニティ、という切り口で、なにかカリキュラムを作れないだろうか、と考える機会になりました。
 特に、「なめらか」と「コミュニティ」という2つのキーワード、ICTを使ったカリキュラムを設計するときのひとつのキーワードとして使っていきたいと思います。

 参考文献も紹介されていました。読んでみたいと思います。


(為田)