教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

書籍ご紹介:『日本進化論』

 落合陽一『日本進化論』を読みました。ちょっと前に買って、ずっと積読だったのですが、Twitterのタイムラインで「平成最後の読書、令和最初の読書に最適」と書かれていたのを見かけて、そうだそうだと読み始めました。

 読みながらTwitterにて書き出していた部分をまとめておきたいと思います。まずは冒頭の小泉進次郎さんと落合陽一さんとの対談からです。

テクノロジーを社会に実装していく

 このテクノロジーが社会を実装していく、そのための法律を走りながら考える土壌を作る、というところは賛成です。テクノロジーが完全に普及してから法制化などを進めても、できたころには次のテクノロジーに移っていっている可能性もあるので、最悪なことが起こらないようにしながら、それによってどういうメリットがあるのかをきちんと伝えながら、どんどん進めていくようにするしかないと思っています。

 こうした議論を背景として、プログラミング教育について考えてみると、おそらくこれから学校で行われていくだろうプログラミング教育は全然満足いくレベルにまでいかないように思います。
 「テクノロジーは、われわれに何をもたらすか」というディスカッション、ちょっとやってみたいな。小学校1年生から6年生までなら、すぐにやってみられる学校があるので、高学年から少しずつ落としてやっていこうかと思いました。

テクノロジーによって「省人化」と「自動化」を進める

 「標準化」によって社会が回されているときには、大量生産大量消費がいいわけですが、もうそうではなく、多様性を前提にしていくために「パラメータ化」をしていく必要がある、という社会の変化についての説明はわかりやすかったです。

 その話の流れで、働き方も変わっていくことが説明されます。

テクノロジーは「身体能力を拡張する」

 「テクノロジーは、身体能力を拡張する、個人間の能力差を縮める、人の能力の差異を補う」という説明と、「メガネがそうだ」という説明、好きで学校の研修などでもよく使っています。もちろん、メガネとテクノロジー(学校でいうとICT環境・機器)は単価もまったく違うので、簡単に比較できるようなものではないかもしれませんが、それでも、「ICT/デジタルは、子どもたちの身体能力の拡張するものであり、それを教えないでいいのですか?」という観点から考えると、教えるべきことはだいぶ変わってくるのではないかと思っています。

これからの教育について

 これからの教育に求められることについても書かれています。そのなかで、自分で学ぶべきことを設定し、その解決を考えるというスタイルが提唱されています。

 「すべてをPh.D型の教育に変えよう」というのではなく、少しずつ変えていくべきだ、というところはすごく共感です。0か100かでなく、段階的に変えていくことが大切だと思いますし、それぞれの学校によって、どのくらいの段階がいいのかは変わってくると思っています。

テクノロジーを猟銃に、マタギになる

 最後に、マタギドライブ的な世界観というのが提唱されています。マタギは、猟をする人たちですね。

 テクノロジーは猟銃になるのだとすると、猟銃の扱い方、猟銃の撃ち方を教えずに、子どもたちを社会に送り出すのはやはりダメではないかと思うのでした。

 読みやすいですが、テクノロジーがどのように社会を変えていくのかということを考えるのに良い一冊だと思いました。授業の中に、もっともっと「テクノロジーが子どもたちに何をもたらすのか」ということを入れていかないといけない、と思いました。

(為田)