教育ICTリサーチ ブログ

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「未来の教室」と EdTech 研究会(第3回) 苫野一徳先生の資料“公教育の「本質」から未来の教育を構想する”

 2018年5月7日に経済産業省で開催された、「未来の教室」と EdTech 研究会(第3回) の配布資料経済産業省のサイトにアップされました。
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 民間の立場から教育に取り組んでいるスピーカーの資料は読み応えがあります。なかでも、僕が興味をもったのは、熊本大学の苫野一徳先生の資料でした。タイトルは、“公教育の「本質」から未来の教育を構想する”でした。
 公教育の目的を、苫野先生は以下のように書かれています。

全ての子どもに、「自由の相互承認」の感度を育むことを土台に、「自由」に生きるための力を育む。

 自由の相互承認は、法では整備されていますが、それだけでは充分ではなく、社会全体でそれを実現するために、公教育があるといいます。公教育は手段なのです。手段はひとつである必要はないと思います。目的を達成するために、特に社会に属する多様な人々を対象として目的を達成するために、手段は単一ではないと思います。学び方について、なるべく多くの選択肢をもつ公教育がいいと、僕は思っています。

 「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」へ、と資料にも書かれていますが、学び方の選択肢を多くするためには、こうした方向性が必要だろうと思います。
 こうした教育方法は、公教育の現場では実現するのがかつては大変だったと思います。でも今は、テクノロジーがあります。テクノロジーによって、個別化を進めることもできる。協同化を進めることもできる。プロジェクト化を進めることもできる。目的に照らし合わせて有効だと思うテクノロジーを組み合わせて、公教育の場を作ることができる。

 テクノロジーによって学びの個別化・協同化・プロジェクト化を融合する、というのは、先日紹介した書籍『情報時代の学校をデザインする 学習者中心の教育に変える6つのアイデア』の中でも書かれていました。
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 苫野先生の本、ひさしぶりにいろいろと読み返そうと思います。『教育の力』はOneNoteにつけていた読書メモを読み返すと、2014年に読んでいました。

 いつの時代にも、教育界にはさまざまな方法論の激しい対立が渦巻いてきました。学力向上のためにはドリル学習こそが重要だ、と主張する人たちと、むしろそれこそが子どもたちから学ぶ意欲を奪っているのだと主張する人たちとの対立、子どもたちの「学び合い」こそが重要だと主張する人たちと、むしろ教師の授業力をこそ向上させねばならないと主張する人たちとの対立など、数え上げればきりがありません。
 適切で建設的な相互批判はもちろん重要ですが、時に好き嫌いのレベルで繰り広げられることもあるこうしたさまざまな対立については、いい加減、対立から相互補完的な関係へと、次の一歩を踏み出した方がいい、そうわたしは思います。どちらの方法が正しいかをめぐって争うのではなく、教育の目的を達成するために、状況に応じて、それぞれの方法をどう選択したり組み合わせたり、補完し合ったりすればいいのか、わたしたちはそう考える必要があるのです。
 今、わたしたちは教育の最も根本的な「目的」を手に入れました。それは、すべての子どもたちに、<自由の相互承認>の感度を育むことを土台に、<自由>になるための<教養=力能>を育むことです。とすれば次にわたしたちが考えるべきは、ではこの「目的」を達成するために、現代という「状況」においては、そしてその時々の子どもたちや学校の「状況」においては、どのような教育のあり方が最も妥当かつ有効化という問いになるはずです。(p.42-43)

 今回の資料の中には、「目的と手段を取り違えない(工藤勇一校長)」と、麹町中学校の工藤校長先生の言葉が書かれています。目的を達成するために、どんなテクノロジーを学校に届けることができるのか、自分がどのようにそこに関わっていけるのかを考えたいと思います。
 年初に挙げた行動目標「学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをする」に立ち返って、頑張っていこうと思わされる資料でした。大いに刺激を受けました。

(為田)