教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

考えてみた:「学校とはどういう目的で存在すべき」と自分は思っているのか?

 学校の休校期間が続き、ICTを活用してさまざまな教育活動が行われています。このブログでも、「休校×ICTでやれたこと」というタグを使って、さまざまな実践事例を紹介しています。今後、学校がどのような形で再開されていくのかはわかりませんが、少なくとも、「これまでどおりの学校」には戻らないように思っています。児童生徒も、保護者も、「ICTを活用してできること」「今まで学校が果たしてきたけれど、実はなくても平気だったこと」が見えてきたからだと思います。もちろん、逆もあって、「これは学校があったからこそできていたことなのだ」ということも見えてきていると思っています。

 最近、いろいろな人と「これからの学校はどうあるべきか」という話をしています。この議論をするときには、人それぞれに持つ「学校とはどういう目的で存在すべき」という価値観によって、見えてくるものが変わってきます。ここがずれていて、発見した問題もその問題の解決方法も、違ったものになっていて、議論が平行線…ということになりがちなことも多いように思います。
 違う視点と価値観から学校を見るので、いろいろな問題点が出てくるのは当然なのだと思います。どちらが正しい/間違っている、という話でもない。


 では、自分は「学校とはどういう目的で存在すべき」と思っているのだろうか、と考えてみました。いろいろと枝葉の部分へと考えて進んでいくのですが、そのあたりは全部一回棚上げしておいて、大きいところだけを残して考えて、自分の価値観のベースをまとめてみました。
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 僕は、学校は「社会のメンバーとして幸せに生きるために、最低限学ぶべきことを学べるように、どんな環境にいる人にも広く保障する場であってほしい」と思っています。
 「最低限学ぶべきこと」を身につけてもらわなければ、仕事が不安定になる人たちも増えていくと思います。そうなると、社会が不安定になるので、幸せに生きることが難しくなると思います。だから、最低限学ぶべき知識・技能は学校で教えられるべきだと思います。いわゆる読み書きそろばんも、ICTを活用することもここに入っています。表現や思考などの方法についても学んでほしいです。
 「どんな環境にいる人にも広く保障する」というのも自分にとっては大事な点です。知識・技能は、オンラインでもどんどん学べるので、「できる人はどんどん進みましょう」「オンライン授業で、学校要らなくない?」ということもときどき言われますが、「いやいや、そうじゃないでしょう」と思うのは、自分にとってこの価値観が大きいからだと思います。学校という場で、先生がいたからこそ学べる子どもたちもいると思っています。その一方で、「もっと学べる」人たちは、ICTによっていつでもどこでも学べるようになり、「差をキャンセルできる」ようになっている面もあります。学び方の選択肢が増えればいいと思っています。

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 自分がしているいろいろな仕事は、この価値観に何らかの形で繋がっていることが多いと思っています。「こうあるべきだ」と言いたいわけではなく、僕はこうした価値観でやっている、ということだけです。

 家にこもっていて、考える時間ができたので、もうちょっと深めて、広げて、仕事の方にフィードバックができるようにしたいな、と思っています。
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(為田)