教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

書籍ご紹介:『なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか』

 山本崇雄『なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか』を読みました。著者である山本先生は、いまは新渡戸文化中学校にいらっしゃいます。先日、山本先生にはインタビューをさせていただきましたが、その前にこの本を読み直していきました。

 読む前に最も興味があったのはタイトルの「教えない授業」でした。ただ、これは「方法論=どうやって教えない授業をするのか」ということよりも、「価値=どうして教えない授業をしなければいけないのか」ということを理解することがまず重要だと思っています。そこに関連していると思われる部分をメモとして共有します。

 まず、「教えない授業」とはどういうものなのか、について山本先生が説明をします。「教えない」ことは「放任する」ことではない、というのは重要な前提だと思います。

「教えない授業」と聞くと、教師は何も教えず、生徒たちを放任する教育をイメージする方もいるでしょう。僕が目指している「教えない授業」は、そういうものではありません。子どもたちの問題解決能力を育てていく教育です。
かつての予備校のように、一斉に分かりやすい講義を行うのではなく、子どもたちに課題にぶつからせ、友達と協力して解決方法を見つけさせるという方法を取ります。教師の役目は、「知識を分かりやすく教える」から、「問題解決の方法を支援する」に大きく変わります。このため「教えない授業」といっているのです。
問題解決の方法を手に入れた子どもたちは、教師に教わらなくても、課題に応じて解決方法を主体的に選べるようになります。さらには、教師の役を生徒が行う「生徒による授業」もできるようになります。(p.20)

 教えない授業は、「何をどの程度教えるのか」ではなく、「何をどのような手段で学ばせるのか」を意識して設計していくものです。ひとつひとつをすべて先生が教えていく、という形から脱すれば、先生にはゆとりができるとも書かれていて、この部分はICTがサポートするできることが多いように思います。実際、山本先生の授業を参観させていただきましたら、ICTを活用して「教えない授業」を実現させていました。

では、「教えない授業」と教師が前に立って一斉に授業を行う講義型の授業の違いとは何でしょうか。
まず、「知識や解法を分かりやすく教える」という従来の先生の役割が大きく変わります。英語の授業では、英語の知識ではなく、英語の学び方を教えます。例えば、生徒が分からない単語に出合ったとき、「語義」ではなく「調べ方」を教えるのです。つまり、「何をどの程度教えるのか」ではなく「何をどのような手段で学ばせるのか」を意識した授業になります。
さらに「教えない」ことで教師に従来にはなかった時間の余裕が生まれます。生まれた時間は、生徒の観察に当てることが重要になります。一人ひとり異なる特性や課題をしっかり観察し、フィードバックすることが教師に求められます。特に大切なのが、生徒を見守りながら成長を感じ取り、そのことを生徒に伝える力です。(p.30-31)

 山本先生が授業で大切にしている3つのルールというのも紹介されていました。クラス全体で学びの共同体を作っていくようなイメージかな、と思いました。

僕が授業で大切にしている3つのルールを紹介しましょう。


Everyone should...
□ listen, speak, read, write and move.
□ enjoy making mistakes.
□ say "Thank you." when your friends do something for you.


授業の前提は、「Everyone should...」です。「みんなで~しましょう」と、全員で授業に取り組むことを強調します。学ぶときも「一人ではない」と感じさせることが大切だからです。得意なことと苦手なことを、生徒がお互いに補い合う集団をつくろうというメッセージでもあります。(p.34)

 「教えない授業」を作っていくその裏側には、自律的に学ぶ子どもたちを育てる、という目標があります。一斉授業で教えても、紙のドリルで練習を繰り返しても、授業動画で一人で勉強しても、言われたから勉強しているというのでは自律的に学べているとは言えません。
 ICTを活用しても活用しなくても、それは「自律的に学んでいるのか」を問い続けることの方が意味があるのだと思います。

「怒られるから=する(しない)」は自立を妨げます。教師が生徒を管理しようとすればするほど、子どもたちの自立を阻害することになるのです。これは社会でも家庭でも同じです。
時間はかかるかもしれませんが、教師が生徒を信じ任せることが、生徒を自立させるためには一番大切です。こうすることで、生徒は普段の生活でも担任に依存しすぎることなく、クラスを自分たちで運営することができるようになります。クラス運営についても生徒に任せることによって、担任がいなくてもクラス運営ができる生徒たちに成長していくのです。(p.63)

 ICTに関連しそうなところでは、子どもたちの進路についてのコメントのところも紹介したいと思います。

実際に、生徒と面談をしていると、やりたいことがたくさんあり、文系、理系といった従来の枠ではとらえきれない生徒がたくさんいます。僕は夢を一つに絞る必要はないと思っています。一生かけて、たくさんのやりたいことを実現させてほしいと思います。ですから、仕事も一つに絞る必要はありません。大学や学部だって一つに絞る必要はないのです。選ばなければいけないときは、そのときの感性で選べばいいと思います。選ばなかったほうは、また別の機会に挑戦すればいいのです。
むしろ、夢ややりたいこと、好きなことがない子どもたちが僕は心配です。電車の中で、携帯ゲームに真剣になっている大人の姿を子どもたちは見ています。子どもたちが、「ああなりたい」と思える大人に僕たちがなれれば、子どもたちの夢は自然と広がっていくのではないでしょうか。(p.212)

 ICTをゲームをはじめ消費の道具にしか使っていない大人の姿を見ても、子どもたちはICTを思考や表現や創造の道具としては使うようにはならないだろうと思います。「教えない授業」はただの授業設計の話ではなく、どんな子どもに育ってもらいたいか、という具体的イメージから始めなければならない話だと思いました。
 ぜひ、英語教育の枠の中だけでなく、より広い観点で読んでみていただければと思います。

(為田)