白戸圭一さんの『はじめてのニュース・リテラシー』を読みました。フェイクニュースやデマなどに踊らされないように、「情報を得る力」は重要になると思っています。そのなかの「ニュースを読む力」として、タイトルになっている「ニュース・リテラシー」について学ぼうと思って読みました。気になったところのメモを公開したいと思います。
デマによる被害などについて、この本のなかではインフォデミックについて紹介がされていました。
読者は既に気付いていると思うが、現代社会には情報が溢れているにもかかわらず、「メディア」「ジャーナリズム」「情報」といったことに関する基礎的な知識と認識は、あまり共有されておらず、学校での体系的な教育もされていないのである。マスメディアやSNSの特質、欠点、利点は何なのか。そこでの情報の生産、流通活動はどのように展開しているのか。目の前の情報をどのように評価すべきなのか。(p.48)
SNSなどでの匿名発信についても内田樹さんの『街場のメディア論』からの引用も含めて、以下のように書かれていました。学校でSNSやインターネット上でのコミュニケーションやコラボレーションを体感するのは、実名で比較的やりやすいと思っているのですが、学校という場を出て、広いインターネットの世界に出たときにどんなことがあるのかというのを伝えるのも大事だな、と思いました。
何らかの主張や意見や感想を発する場合、やはり実名で発言することは極めて重要であると思う。評論家の内田樹氏は、インターネット空間に匿名の発言が溢れ返っている状況について、次のように述べている。
僕はそれをたいへん危険なことだと思います。攻撃的な言葉が標的にされた人を傷つけるからだけでなく、そのような言葉は、発信している人自身を損なうからです。だって、その人は「私が存在しなくなっても誰も困らない」ということを堂々と公言しているからです。「私は個体識別できない人間であり、いくらでも代替者がいる人間である」というのは「だから、私は存在する必要のない人間である」という結論をコロラリー(必然・筆者注)として導いてしまう。
(内田樹『街場のメディア論』光文社新書・2010年)匿名の発言は「発言に最終的に責任を取る人間がいない言葉」であり、内田氏の言葉を借りれば「誰でも言いそうな言葉」「個体識別できない」発言である。そうした無責任な匿名発言が氾濫した結果、「言葉」はどこまでも軽くなり、思考の論理は破綻し、自らの事実誤認を自覚できない者が無実の人を誹謗中傷し、インフォデミックが発生しているのである。(p.82-84)
また、ネットニュースについても、他の新聞やテレビなどとあわせて、メディアの特質の違いが書かれていました。こういうのを体験できるようなカリキュラムも作れるかもしれないな、と思います。
各メディアの特質を理解すると、読者・視聴者としてのメディアの賢明な利用の仕方が見えてくる。賢明な情報ユーザーは、まずはテレビや新聞のインターネット版で短いストレートニュースを視聴し、ある出来事の発生を知る。次に新聞で出来事の詳細を深く知り、その後、週刊誌で出来事の背景や内幕を読む。それでも飽き足らない人は月刊誌、さらには単行本へと進み、問題への理解を深めていく。(p.131)
一般に人間は、メディアが報道するニュースの中身に注目するのであって、自分が見ているメディアの特性についてはほとんど意識していない。テレビでニュース番組を視聴する時には、放映されている内容こそが視聴者の関心の対象であり、テレビがどのように視聴者にニュースを見せるメディアなのかについて、いちいち注意を払いながら画面を視ている人はほとんどいないだろう。(略)
視覚を通して入ってくる強い刺激や印象は、しばしば論理的な思考に優越する。テレビというメディアは、人間のそうした習性に働きかけてくるものなので、結果的にテレビの視聴者は冷静な議論や論理的思考よりも、知らず知らずのうちに印象や気分で物事を判断してしまうことになりがちである。そして、印象や気分で物事を直感的に判断する視聴者が増えると、冷静な議論や熟慮とは無縁な形で世論が形成され、その世論が国政を左右する事態が起きる。(p.136-p.137)
SNSを使えば自分にあうユーザーしかフォローしなくなり、意見のあわない人はミュートすれば見えなくなるし、お互いの交流を断つこともできます。
ネットニュースは見れば見るほど「あなたはこの記事も好きでしょう?」と次に読むべきものが自動でレコメンド(推奨)されてきて、そればかり読んでいると、自分とは違う意見を目にしなくなってきます。
これは、テレビを見ていれば自分の趣味でないコンテンツも否応なく目にする機会がある、というのとはまた違って、危ないことだと思っています。便利だけど、だからこそ知らないうちに陥ってしまうかもしれない危険だと思います。
人は誰でも、自分と同じ価値観の持ち主と交流すれば快適であり、反対に激しく反論されれば気分が悪いので、ネット空間では自分と似た価値観を持つSNSユーザーを選んでフォローする。原発反対派は原発反対派ばかり、韓国が嫌いな中高年は嫌韓派ばかりとつながる。それは自然なことだが、こういう似た者同士が集う空間では、自分がSNSで意見を発信しても、自分と似た意見ばかりが返ってくる。このように同じ意見ばかりが返ってくる現象を、閉鎖された小部屋で音が反響する物理現象に例えて「エコーチェンバー」という。(p.174)
「おわりに」のなかで、白戸さんが「情報との望ましい付き合い方に向けた手がかり」ということを書かれているのですが、これもまさに子どもたちに伝えていかなければならない、情報活用能力の一部だと思いました。
(為田)