苫野一徳 先生の『学問としての教育学』を読みました。いろいろな学校で授業を見させていただいて、「良い授業だなあ、好きだなあ」と思うことはたくさんあります。でも、その授業のやり方はそのままどの学校にも適用するのがいいのか、統一する必要があるのだろうか、と思うことも多いのです。「何がよい教育なのか」を考えるために、学問としての教育学を全体としてしっかり描き切ることを苫野先生が目指したこの本は、本当に学び多いものでした。
教育学は以下のように三部門に分かれていると書かれ、それぞれにおいてメタ理論体系が導かれていきます。僕はこのなかだと、実践部門がいちばん親しいところかな、と思いながら読みました。
教育学の三部門(p.29)
読んでいて、いちばんいいなと思ったのは、哲学部門のところで書かれていた、「現象学=欲望論的アプローチ」(p.79-80)です。
絶対客観的に「よい教育」などはない。しかしわたしたちは、だからっと言って相対主義に陥る必要もない。なぜならわたしたちには、「これはよい教育だ」という「確信・信憑」が確かに訪れうるからだ。
それはいったい、どのように? 言うまでもなく、「欲望 - 関心相関的」に、である。
とすればわたしたちは、この「欲望 - 関心相関的」に「よい教育」と確信されたその「確信・信憑」を互いに問い合い、それが共通了解可能であるかを吟味し合うほかに、「よい教育」を問う方法を持たない。「これがわたしの確信・信憑です。あなたはどうですか?」。――客観的な真理を問うのではなく、またそれをただ相対化するのでもなく、「欲望 - 関心相関的」に「共通了解」を見出し合うこと。これが「現象学=欲望論的アプローチ」の要諦なのである。(p.79-80)
どうして、あなたはこの授業を「よい」と思ったのですか?という問いを、一緒に考えていく人を増やしていく、そんな活動を、講師をさせてもらう研修に入れていこうと思いました。
この本を読んでいる途中に、刊行記念YouTubeライブも行われました。その様子がYouTubeで公開されていますので、こちらも合わせてぜひ見ていただければと思います。
先日行われた、『学問としての教育学』刊行記念YouTubeライブが公開されました!
— 苫野一徳 (@ittokutomano) March 14, 2022
師匠の哲学者・竹田青嗣と、盟友で杉並区教育委員会主任研究員の山口裕也さんと、最高に楽しい、熱い対話を繰り広げました!
ぜひご覧いただけると嬉しいです😊😊https://t.co/K95haoauOU
すごく読み応えのある本で、たぶん一度で理解しきれていないと思っているのですが、手元に置いておいて何度も見返して仕事に役立てていきたいと思います。
(為田)