教育ICTリサーチ ブログ

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書籍ご紹介:『教師のいらない授業のなやみ方』

 京都教育大学附属桃山小学校の若松俊介先生から、著書『教師のいらない授業のなやみ方』をお送りいただきました。ありがとうございます。今回は、「なやみ方」がテーマということで、先生方から寄せられた悩みに若松先生が答えていく形式になっています。

 寄せられた悩みのなかには、まさにいま僕が悩んでいるものもたくさんあり、その悩みに対しての若松先生の回答がとても参考になりました。

「問い」が見つからない子への支援は?

 最初は、「問い」が見つからない子への支援は?という悩みへの回答です。「問い」を自分で見つけられる子はいいのですが、なかなか見つけられない子もいて、でもみんなに問いを自分で見つけてほしいなと思って…というのは僕も経験があります。

最初から「自分で問いをつくりましょう」「自分たちで学び合いましょう」と言われても子どもたちにとっては難しいことが多いでしょう。まずは、子どもたちの発言の中から、先生が「これはみんなで考えるとおもしろそうだ」と感じたものを選び、その「問い」をみんなで一緒に解決する場をつくることから始めましょう。
こうした学習を進める中で、「自分も同じことが気になっていた」と感じる子が出てくるかもしれません。その経験を通して、「自分の内側にあるものを大切にしてもいい」と気づく子も増えていくでしょう。自然に生まれた「問い」であれば、そこには、子ども自身の熱意が込められているはずです。その熱い思いを丁寧に受け止め、生かしていきたいものです。(p.74)

 最初は、「みんなで考えるとおもしろそうだ」と感じてもらう場を作るところからですね。このあたりの匙加減、僕はあんまり上手じゃないなあ、と感じています。がんばってみよう。

誘導的な「問い」をつくらせてしまう

 次は、誘導的な「問い」をつくらせてしまう、という悩みです。これ、めちゃわかります。僕は、この傾向が強いと自己評価しています。誘導したら自発的じゃないけど、でもこれをみんなで考えたいんだ!と思って、誘導してしまう…。そこからの脱却は僕にとっても大切なテーマです。

必要であれば、教師が発問をすることも全く問題ありません。発問は、子どもたちが「これってどういうことだろう?」と新たな視点で考え直すきっかけとなり、学びを深めることにつながります。教師が主導する場面であれ、子ども主体で進める場面であれ、子どもたちがより学ぶ環境を大切にすることが重要です。その結果として、主体的な学びが生まれれば、それは自然と子どもたち自身の「問い」へとつながっていくでしょう。(p.85)

 「必要であれば、教師が発問をすることも全く問題ありません」と書かれていて、ちょっと安心しました。続けて、大切なことは何か、ということが書かれていました。

大切なのは、子どもたちが「気になる」「考えたい」と感じられる過程を大切にすることです。
「誘導的になっていることが、子どもたちの主体性を失わせているかどうか」を意識することは重要です。しかし、それだけにとらわれてしまうと、本来の学びを見失う可能性があります。そうであれば、

教師が主体的に関わり、より学びにつながるように進める

方がよいでしょう。「子ども主体」や「教師がいらない」といった考え方もありますが、それをすべての授業に一気に求めるのではなく、段階を踏んで進めていくことが大切です。(p.86)

 段階を踏んで進めていくことができるのは、学校教育ならではだと思うので、長いスパンでだんだん子どもたちが「考えたい」と感じられる過程を作っていけたらいいなと思います。

ふり返りの意味を感じられるようにするには?

 最後に、「ふり返りの意味を感じられるようにするには?」という悩みです。これ、僕もまったく同じことを悩んでいます。それどころか、ここ1年くらいは、「ふりかえりっているんだろうか?」と僕は思っています。小学校、中学校、高校、それぞれの段階で、どんな感じの「ふり返り」ができていたらいいのか、というのを考えています。

教師が「こんな風にふり返ってほしいな」「ふり返りにはとても大事な意味がある」と思っていても、子どもたちが日々の中でふり返りのよさを実感できていなければ、形だけのふり返りになってしまうのは仕方のないことです。いきなり全員がきれいにふり返りを書ける、なんてありえません。
(略)
ふり返りが大事だと言われたら、「ふり返りを書けるようにしたい」という思いが湧くのも無理はありません。しかし、そんなことは簡単に実現できるものではありません。これまで繰り返し述べているように、子どもたちが何か「意味を実感する」ことができなければ、それを大事にしようともしないでしょう。(p.149-150)

 子どもたちが「意味を実感」することができる、ふり返り活動…。どうやるのがいいのだろう。たくさんの先生方の授業でのふり返りも見せていただいたり、先生方に話を伺ったり、自分が担当している授業でも書いてもらったり、話してもらったり、いろいろしているのですが、僕はまだまだな感じがするんです。

ふり返りを大切にしようと思うなら、まずは教師自身がきちんとふり返りをしているかどうかが大きな問題です。もし教師自身がふり返りをしていなければ、その価値や、ふり返りができるようになる過程をイメージできないでしょう。それなしに「ふり返りは大切だ」「ふり返らなければならない」と子どもたちに求めるのは、おかしな話です。ふり返ることが、自分の成長や学びにおいてどのような価値があるのか、まずは教師自身がきちんと感じられるようにしたいものです。(p.151)

 まさに、これだと思いました。僕自身が、ふり返りをあまり上手にできていないし、ふり返りをしてよかった経験が足りていないかもしれません。勉強だとテスト直しくらいだし、グループワークなどではあまりふり返りをした記憶もない。高校のときに部活でやっていたハンドボールがいちばんふり返りをしていたかもしれないな…と思いながら読みました。

 どんなふり返りが子どもたちにとって役に立つのだろう、と悩み続けようと思います。

まとめ

 悩みへの回答をズバッとほしいわけではなくて、より自分の悩みが明確になった感じがします。これ、若松先生の授業の進め方と似ているな、と思いながら読みました。

 この『教師のいらない授業のなやみ方』は、「教師のいらない」シリーズの3冊目です。2020年の『教師のいらない授業のつくり方』、2021年の『教師のいらない学級のつくり方』と合わせて読むといいと思います。

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 皆さん、一緒に、悩みましょう。

(為田)