こないだブログで紹介した、『親に知ってもらいたい 国語の新常識』のなかで、灘中学校・高等学校で教えている井上志音 先生が、「灘の国語の授業と言えば…」という感じで橋本武 先生の授業に言及されていて、そういえば以前に本を読んだなと思って読書記録を検索してみたら、2010年に刊行された伊藤氏貴さんの『奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』を2011年に読んで書いた読書メモが見つかりました。
橋本先生の授業では、文庫本『銀の匙』を横道にそれながら3年間かけて読み込んでいきます。その様子や、具体的にどんなことを授業でしていたのか、また卒業生の言葉なども書かれている本でした。2011年に書いたメモの一部を紹介したいと思います。
昭和9年、旧制灘中学校に赴任した当初から、寄せ集めの教科書では生徒には残らないと考えていたという。
「押しつけじゃなくて、生徒が自分から興味を起こして入り込んでいくためには、“主人公になりきって読んでいくこと”がまず必要だと思っていました。そのうえで、物語や出てくる言葉から派生することもひっくるめて、生徒に本当の国語の力を、じっくりつけられる教材はないだろうかって、ずうっと考えてましたね」
橋本が思索し、逡巡した一大テーマ。そのテーマに結論を出したのは、神戸の街を進駐軍が大股で闊歩する、戦後になってからだった。
「子ども自身が主人公になったような気持ちで読んでいけるのは、これしかない。この文庫本を3年間かけてやってみよう。結果が出なかったら責任はとる。それだけは心に決めて始めました。」
『銀の匙』授業への決断は、やはり「覚悟」だった。(p.22-23)
文庫本を3年かけて読み込んでいく、というのがどんな感じなのか、読んだ当時もあまり想像できなかったですが、タイパを気にする昨今ならなおさらかな、とも思います。
薄い文庫本に3年を費やす。
生徒の興味で脱線していく授業、「わからないことは全くない」領域まで、1冊を徹底的に味わい尽くす、崇高な「遅読」「味読」(スロウ・リーディング)――。(p.23)
齋藤孝先生が『銀の匙』の授業を、自身の提唱する「大物一点豪華主義勉強法」と繋げて書いていました。『大物一点豪華主義』とは「本物=質の高いものを徹底的に吸収することが、その後のすべての基礎をつくることになるということです」と書いています。1冊の文庫をずっと読む、という形でなくてもいいと思いますが、「質の高いものを徹底的に吸収する」というのは豊かな学びの時間かもしれないなと思います。
黒岩祐治 現・神奈川県知事は、昭和43年入学・『銀の匙』授業4代目)の生徒だったそうで、橋本先生の授業で使われた、手作りの『銀の匙』プリントの面白さを語った様子もこの本に書かれていました。
そう語る黒岩自身が最も引き込まれたのは、プリント内の[表題]という項目だ。
『銀の匙』は新聞連載された作品なので、各章が短く、2ページほどで構成されている。そのため章ごとの表題がなく、単に数字が記されているだけだった。
橋本はそこに目をつけた。
各章を読み終えたあとに、自分で表題をつけるのだ。
黒岩はこの作業が忘れられないという。
「とにかくこれが楽しいんですよ。他人の書いた文章、それも名著に自分でかってにタイトルをつけていくわけですからね。まるで自ら本の制作にかかわっていくような、編集者の気分でやっていました。表題を自分がつけることで、『銀の匙』は”名著"ではなく、親しみあふれる自分なりの“作品”に変わっていくようでね。今見返すと、私のノートには“愛するって耐えることなの”とか“恋の大決闘”とか、恥ずかしくなるような表題がついていますが(笑い)」
(略)
「各人がつけた[自分で決めた題]をプリントに書き込んだ後、それを各自が発表したり、議論したりして、最終的に一つの表題にこぎ着けるんです。で、その下の[学校で決めた題]というスペースに、統一表題を書き込むわけです。“個性”も大事にしながら、ディスカッションして最終的に“みんなの結論”を出すんですよ」
こうして『銀の匙』は、ゆっくりゆっくり、読み進められていった。
幼い主人公の喜びや驚きやわがままや嫉妬を追体験しながら、一言一句の響きや奥行きまでもを噛みしめながら。話の筋からどんどん横道にそれながら。自分の個性を掘り起こしながら。クラスメイトの感性を認めながら――。(p.91-93)
黒岩さんと同級生の『銀の匙』授業4代目の海渡雄一さんも、橋本先生の授業でやったことを語っていました。
僕の場合、まず『魚偏』ですね。『銀の匙』の中に、お寿司屋のシーンが出てくるんだけど、そこで橋本先生が『魚偏の漢字は全部で678あります。集めてみましょう』という課題を与えたんですね。それを聞くと、ほーっと思うじゃないですか。で、図書館に行って調べたり、すし屋さんで包み紙もらったりしてね、魚偏のノートを作って、それに記入していくわけですよ。親にねだって、もっと大きな漢和辞典を買ってもらったりしてね。
(略)
その他にも、『駄』のつく文句を集めてみようとかね。駄文、駄馬、駄弁、駄洒落…。(p.189)
今回、このエントリーを書くために『奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』を読み返しました。「3年間で1冊の文庫をじっくり学ぶ」というところにフォーカスがいってしまいがちですが、本文そのものだけでなく、その周りにあるいろいろなことを楽しんで学べる環境づくりがすばらしいな、と思いました。
国語の授業を僕は担当しているわけじゃないけれど、参考にできそうなところもたくさんありました。学ぶことが楽しくなるような工夫を、授業のなかでしていきたいと思いました。
(為田)