SNSでライターの方々が、ニッカンスポーツ・コムの記事「インタビュー開始29秒で「録音、やめてくれる」寺尾聰から投げかけられた記者としてのあり方」を読んで、いろんな意見を書いていました。寺尾聰さんのインタビューの冒頭で、記者に録音機材を止めるように求めた、ということから、記者が何を感じたかを書いている記事です。
この記事を読んで、自分のレポートの書き方について考えてしまいました。このブログで僕が書いているのは、いちばん多いのは授業レポートです。でも、そのほかにイベントやセミナーのレポートも書いています。
授業レポートは録音したりしていませんが、1時間とか2時間のセミナーを取材するときには僕は音声をiPadの「Notablity」で録音しながらメモをとっています(同時に写真も撮影しています)。やはり、「聞き逃し」が怖いからです。でも、録音したものを聴き返しながらレポートを書くのと、録音しないで取材したレポートを書くのと、「自分が文章を書く感じ」が全然違うと思っています。
「全部を録音して、それを聴きながら書く」ということと、「録音しないで、聴き逃すまいと集中してその場で言葉を拾って書く」ということの違いは、「書く」という知的作業をするときに認識しておいたらいいように思います。
録音するのは「全部」を一旦素材としてもって、そこから選びとりながら書いていくことだと思います。録音しないのは、その場で「何か」を選ぶことをして、そこから肉付けして書いていくことだと思います。
これは全然違うことだな、と思います。
学校教育での「書く」という活動を考えると、この両方の書き方ができたらいいなと思います。意外と、「全部」を一旦素材としてもって、そこから選びとりながら書いていくことが多いかもしれません(選びとることをしないと、全編調べたWebサイトのコピペみたいになる)。
最初から「何か」を選んで構成を作って、そこに肉付けしていくという活動も、授業のなかにできないかな、と思いました。シンキングツールを使って構成を作ったりすると近いのかな…とも思います。
「全部」を用意して選びとっていく「書く」活動と、「何か」を選んで肉付けしていく「書く」活動と、小学校・中学校・高校でどのように入れられるのかな、と考えていきたいと思いました。
(為田)