教育ICTリサーチ ブログ

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ひとり読書会:『群れから逸れて生きるための自学自習法』

 向坂くじら さんと柳原浩紀さんの共著書『群れから逸れて生きるための自学自習法』を読みました。詩人で「国語教室ことぱ舎」の代表をされている、向坂くじらさんの対談を聴いて知ったこの本のタイトルに惹かれて読みました。
 共著者の柳原さんもご自身で一人ひとりにカリキュラムを組んで自学自習する「反転授業」形式の嚮心塾(きょうしんじゅく)を開いています。塾の先生2人による、「自学自習法」についての本です。

はじめに なぜ勉強の方法を知る必要があるのか?

 向坂くじらさんが書いた「はじめに なぜ勉強の方法を知る必要があるのか?」から、僕はやられてしまいました。「学校の勉強なんて要らない」「テストなんて意味ない」というのではない言い方が、とても現実的だと思うし、バランスが取れている書き方で好きです。

所詮はテストや受験を踏まえた勉強であることが、息苦しく、またばかばかしく思えるかもしれない。それもある意味では正しい。あなたが知らないことを新しく知りつづけたいと思うのなら、範囲の決められた教科の勉強なんてどんどん逸脱していかざるをえないからだ。けれどもそのためにこそ、自学自習の方法が必要になる。あなたは確かに、「テストのための勉強」を超えなくてはいけない。そしてそこには先生もいないし、宿題もない、適度に区画化されたテスト範囲もないのだ。その広野に出ていくための基礎が、教科の勉強であり、自学自習法なのだと思ってもらいたい。(p.6)

 「テストのための勉強」を超えていくために、自分で勉強できるようになる必要がある、というのは、学校教育もこうあるべきだけど、なかなかできていないかもしれない⋯と思いながら読みました。

自分の学ぶ力を自ら鍛えていくことは、生まれながらに割り振られた数々の不公平を、あなた自身で克服する手段に他ならない。それこそがいわば、「本当の知性」のなせるわざではなかろうか。
そのためにもやっぱり、まずは勉強の方法を知らないといけない。
(略)
さあ、勉強を始めよう。教わることに依存させられ、学ぶことを奪われないために。えらそうにあなたに命令する者に舌を出してやるために、都合のいい誘導にごまかされないために、不平等を打開するために。押しつけられたにすぎない群れからはるばると逸れて、あなたがあなたとして生きつづけるために。(p.7)

 この「はじめに」を読んで、本のタイトルの「群れから逸れて生きるため」の意味がわかって、かっこいいと痺れます⋯。好き過ぎます。この「はじめに」のあと、「第1部 理論編」と「第2部 実践編」の順で進んでいきます。

第1章 学ぶとは何か?

 向坂くじらさんが書いた「第1章 学ぶとは何か?」では、学ぶことと言えばだいたい「覚える」ことか「問題を解く」ことか「わかる」ことか、そんなイメージだと思うけど、実はこれら3つは全部「学びのための手段のひとつでしかない」と書かれています。自分自身、ここをしっかり言語化していないなと思ってとても勉強になりました。

ここであなたにわかっておいてほしいのは、「覚える」ことも「問題を解く」ことも、「わかる」ことでさえ、学びのための手段のひとつでしかないということだ。これら3つとも、教科の内容を自分が少しずつ使いこなせるようにしていくために役立つことは間違いない。けれども同時に、3つのうちどれも、唯一の手段でもなければ、万能の手段でもない。そこを間違えてはいけない。
学ぶとは、これら3つの手段を組み合わせつつ、教科の内容を今よりもっと使いこなそうとしていくことである。
(略)
3つの手段は全くばらばらのものというわけではなく、お互いにつながっている。「わかる」ことは、「覚える」ことにも「解く」ことにも役立つし、「覚える」ことは、「解く」こと、「わかる」ことにつながる。あるいは「解く」ことで、「覚える」ことや「わかる」ことにつながってくるということもある。(p.14-15)

 この「わかる」「覚える」「解く」の3つの手段に関連して、「リービッヒの最小律」という言葉が紹介されます。これは、「成長は、必要な栄養素のうち、与えられた量が最も少ないものによって決まる」ということだそうです。

あなたの学びの成長は、3つの手段のうち、あなたに最も足りていない手段によって決まる。教科の内容を使いこなそうとするときにあなたの足を引っ張るのは、決まってあなたの一番苦手なものだからだ。「問題を解いていればいいんでしょ」「わかればいいんでしょ」「覚えればいいんでしょ」といった偏った学び方をしていると、あなたに足りない栄養素はいつまでも補われないままになってしまう。(p.16)

 「リービッヒの最小律」、はじめて知りましたけど、とても腑に落ちる例だと思います。ワークシートの空欄を埋めさせて点数をとらせていてもダメなのだ、ということです。

 この後、「読む」「理解する」「覚える」「言語化する」「考える」と理論編が続き、その後で各教科(「英語」「数学」「国語」「社会」「理科」)についての実践的な学び方が紹介されていきます。

コラム1 勉強する理由は「楽しいから」か?

 各章の合間にコラムが入っていますが、このコラム部分にも「子どもたちにこういうことを伝えたいな」と思う言葉がたくさんありました。向坂くじらさんが書いたコラム「勉強する理由は「楽しいから」か?」から紹介します。

わたしは、「生まれ持ったもの」の多い人たちだけが勉強をし、そうでない人たちは「楽しくないなら、しなくてもいい」とみなされて、勉強をしないままでいる世界を、あまりいい世界だとは思わない。「はじめに」で述べたように、勉強することはあなたが自由になるための力をつけていくことにつながる。既にある不平等を呑み込まされないようにするために、あなたは勉強をしないといけない。「勉強が楽しくないとしても」ではない。「勉強が楽しくないからこそ」、そのあなたが勉強をすることに価値があるのだ。
ひとりで学びはじめるあなたには、つまり、これからきっと何度もうんざりするであろうあなたには、そのことを覚えておいてもらいたい。もう一度言っておこう。
勉強が楽しくないことは、あなたが勉強ができていない理由にも、ましてあなたが勉強をしなくていい理由にもならない。
これから勉強をするかぎり、自分の「できなさ」を睨みつけ、つぎつぎに振り切っていかないといけないあなただ。せめて自分の「楽しくなさ」とは、なんとか連れ添っていくのがいいだろう。(p.96-97)

 「勉強が楽しくないことは、あなたが勉強ができていない理由にも、ましてあなたが勉強をしなくていい理由にもならない。」という言葉は、そのまま子どもたちに伝えることは難しいのだけど、こういうことを感じられるような授業をしたいな、と強く思いました。

コラム5 なぜ学習法が大切なのか?努力に逃げないことを頑張る

 もう1つは柳原浩紀さんが書いたコラム「なぜ学習法が大切なのか?努力に逃げないことを頑張る」です。僕は学校の先生ではないですが、教室に立って子どもたちを教える仕事をしている人として、すごく大事なことが書かれていると思いました(同じようなことを、前職の学習塾で先輩たちによく言われたなと思い出しました)。ちょっと長いですけど、とても良い文章だったので、ぜひたくさんの人に読んでもらいたいです。

ここまで本書で書いてきたように、実力をつけるためには努力の時間や量だけではなく、その質や方向性を考えることが必要だった。「10回くりかえしても覚えられない?なら20回だ!!!」的な根性論は、勉強する科目や範囲が増えれば増えるほど実現不可能になってくる。人間の時間や努力というリソースは有限であるからだ。それなのに、まだまだこうした根性論が根強いのはなぜだろう。
それは、「頑張る」が魔法の言葉だからだ。それは心に灯をともす。そしてそれは言われている側だけではなく、言っている側にもまたそうらしい。励ましていれば、何か役に立てている気がしてしまう。お互いに満足感がある。
そしてだからこそ、この言葉はとても危険だ。方法について考えたり反省したり、という努力をせずに、頑張れば何とかなるという根拠のない希望に逃げ込むことを助長してしまう。そうした精神論に逃げ込むことで、問題を解決する具体的な方法を探ることから逃げる、という失敗を日本人は昔からしがちなのかもしれない(竹やりなんかでB29相手に戦おうとさせて/させられていた80年前から、わたしたちはあまり進歩していないのかもしれない)。
また、教える側からすれば、「彼/彼女がうまくいかなかったのは頑張っていなかったからだ」という結論に逃げ込むこともできてしまう。しかし、一体どこまで頑張ったら、実際に頑張ったことになるのだろう。「結果」が出たら、なのだろうか。だとすると、「結果の出ない頑張りは、頑張りではない!なぜなら一流は結果が出るまで努力するからだ」などという一見かっこよさげな言葉まで使えば、教える側は生徒に対して正しい学習法を提示できていない責任を何ひとつ持たなくてすむことになる。しかし、勉強の成果はベクトルのように向き(方向性)と大きさ(頑張り)の2つの要素で決まる。結果が出ないのは頑張っていないからではなく、正しい方向性を示せていなかったからではないか(その可能性について、教える側は常に厳しく自省しなければならない)。
そして、これは教える側だけの問題ではない。あなたも自分の努力がうまくいかないことに対して、「でも、今の方法でもっと頑張ればうまくいくはず!」と思い込んで、自分を安心させていてはならない。あなたの頑張りがうまくいかないのは、あなたの方法が間違っているせいである可能性のほうが、はるかに高いのだ。(略)ほとんどの人は学習法について考えることなく、与えられた方法のままに必死に頑張り、そしてうまくいっていない。そのまま勉強時間をいくら増やしても、方向性が合っていなければ決して実力などつくはずがない。「頑張ればなんとかなるはずだ!」はあなたにとって何が必要であるかを考える、という面倒くさくて不安を感じる取り組みを忘れさせてくれる魔法の言葉であるがゆえに、ついついそのように疑えなくなってしまう。(p.166-168)

 勉強だけの話じゃないな、と思っています。「成果はベクトルのように向き(方向性)と大きさ(頑張り)の2つの要素で決まる」のは政治も、仕事も同じだと思っています。

まとめと感想

 本当にとても素敵な本でした。勉強になるところもいっぱい、頷くところも、考えさせられるところもいっぱい。自分自身も、「群れから逸れて生きるため」にもっともっと学ばなければいけない、と思わされました。
 子どもたちにも「群れから逸れて生きるため」に自分で学べるようになってほしいし、そんな授業をつくる学校のお手伝いをしたいなと思います。

 第2部 実践編に僕はまったく触れませんでしたが、第2部が役に立つ子どもたちは絶対にいるはず。先生方に手にとってもらったり、子どもたちが手に取りやすいように学校の図書館に入ってたくさんの子どもたちが読んだらいいなと思いました。

(為田)