小池陽慈 先生の『スマホ片手に文学入門 検索で広がる解釈の楽しみ方』を読みました。
「はじめに」のなかで、この本のタイトルの意図が紹介されていました。
え?「どうして『スマホ片手に』なんですか?」ですって?
それはですね、スマホ(でなくてもいいのですが)であれこれ調べながら読むことによって、文学は、もっともっと面白く楽しめるようになるからなんです。ウィキペディアやコトバンクなどを活用することで、〈文学理論〉だって、きっと手軽に実践できるものとなる。(p.6)
この後で、芥川龍之介『ピアノ』、梶井基次郎『桜の樹の下には』、宮沢賢治『やまなし』の3つの作品を実際にあれこれ調べながら読んでいきます。特に、宮沢賢治『やまなし』はいまでも国語の研究授業で参観させていただくことも多い題材です。「ああ、学校の国語の授業ってこんなだったかも…」と思いながら読みました。
誤解すべきでないのは、「スマホ片手に読めば文学作品を読めるようになる、ということではない」ということだと思います。この本のなかでも、Wikipediaやコトバンクを調べて、いろいろな意味を知って、そこから展開していって…というふうに3つの作品を読んでいきますが、そこでは小池先生が読者を導いていっているからこそ読めた、というジャンプがあると思っています。これは否定的な意味ではなく、肯定的な意味で。
先生の役割は、「こうして読めるよね」と導くことであり、でも「他の読み方もできるかもよ」と可能性を閉じないでおく、ということなのかな、と思いました。
一度、先生と一緒に読み方を知ったら、それからは一人で読める作品も増えるし、読み方の幅もどんどん広がっていくと思います。それこそが、学校での国語の授業でやってほしいことだな、と感じました。そうしたことが、「終わりに」では書いてありました。
本書で紹介した方法――例えば、何かしら気になる語句や表現などと出会ったら、スマホでちゃちゃっと調べてみて、そこで得た情報を解釈に活用してみる。あるいは、作品中の〈対比〉を探し出して、そこを起点としてあれこれ考えてみる。そして、自分なりに〈コード〉を組み立ててみて、その〈コード〉を参照しながら同じ作品をもう一度読んでみる――いずれも、いますぐに実践できる方法であるはずです。(p.273)
「スマホ片手に」、先生と一緒に、文学作品を読んで解釈をする楽しさを知ることは、子どもたちにとっても大事ですが、先生方にも授業の可能性を広げるヒントになるのではないかと思いました。
(為田)
