教育ICTリサーチ ブログ

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ひとり読書会:『友だち幻想 人と人の〈つながり〉を考える』

 菅野仁 先生の『友だち幻想 人と人の〈つながり〉を考える』を読みました。僕はSNSを好きで使っていますが、そのなかでも人と人とのコミュニケーションや〈つながり〉が本当に難しくなってきているなと思っています。子どもたちにどんなふうにオンラインコミュニケーションだけでなくて、人と人の繋がりをできるようになってほしいのかを考えたくて読みました。特に、学校に関連しそうなところを読書メモとして共有したいと思います。

第5章 熱心さゆえの教育幻想

 学校で「友だち幻想」「人と人との〈つながり〉」というキーワードを考えると、クラス内での人間関係が思い浮かびます。ちくまプリマー新書だからというのもありますが、中学生や高校生がこの章を読んで、「あ、そうだよね」と思ってくれたりしたらいいな、と思います。あと、みんなを仲良くさせようとする大人も、ぜひ読むべきだと思いますね。

そもそも、クラス全員が仲良くできる、全員が気が合う仲間どうしであるということは、現実的に不可能に近いことです。人間ですから、どうしてもお互い馬が合わない人、理屈ぬきに気に障る人というのはいます。大人だって、ほとんどの人は何かしら人間関係の悩みを持っています。
そんなとき、ムカツクからといって攻撃すれば、ますますストレス過剰な環境を作り、自分のリスクも大きくすることになるのです。
だからこそ(略)「併存性」という考え方が大事なのです。ちょっとムカツクなと思ったら、お互いの存在を見ないようにするとか、同じ空間にいてもなるべくお互い距離を置くということしかないと思います。
ただし、露骨に”シカト”の態度を誇示するのも、攻撃と同じ意味を帯びてしまうことになります。朝、廊下や教室で会って目があったりしたら、最低限の「あいさつ」だけは欠かさないようにしましょう。あくまでも自然に”敬遠”するというつもりでやってください。
要は、「親しさか、敵対か」の二者択一ではなく、態度保留という真ん中の道を選ぶということです。(p.91-92)

 先生へのコメントも書かれていました。言っていることはわかりますが、なかなかこれが難しい⋯

どんな子どもでも、真剣にぶつかれば心を開いてくれる、というのはすごくラッキーで、私に言わせればやはり満塁ホームラン狙いの発想なのです。常にホームランが打てるかといえばそんなことはありません。地道にヒットを重ねていくことが教師には求められているのです。
わかりあえないなと思ったときは、やはり距離をとればいい。
先生は、基本的には自分がわかってもらえなくてもいいくらいの覚悟が必要なのです。
本当にやらなくてはいけないのは、生徒たちに自分の熱い思いや教育方針を注入することよりも、自分の教室が一つの社会として最低限のルール性を保持できているようにすることです。(p.100)

第8章 言葉によって自分を作り変える

 菅野先生は「コミュニケーション阻害語」というのを提示していました。どんな言葉を使うか、というのは、人と人との〈つながり〉をつくるのにとても大切だと思います。学校で言うならば、教室で子どもたちがどんな言葉をやりとりしているのか、というのは気になるところです。

これから検討していく言葉群、私が「コミュニケーション阻害語」と名づけた一連の言葉は、そうした自分と相手の双方向のまなざしが自分自身のなかで交差することを、著しく阻害する危険性があると思うのです。自分から相手を一方的にまなざすばかりで、相手からのまなざしを回避してしまう道具としての性格を、こうした言葉はいつのまにか帯びてしまっているというのが、私の考えです。
もちろん私は、「こうした言葉を用いることを一律に禁止せよ」、といっているわけではありません。大人になって、状況判断や相手との間合いの取り方などに長けてくれば、時と場合によっては、冗談半分で使うこともあるでしょう。でも他者とのコミュニケーションの作法をこれから学び取り、状況に応じた相手との距離の感覚やきちんとした向き合い方を身につけていかなければならない十代の若者たちにとって、これから取り上げる言葉群は、異質な他者ときちんと向き合うことから自分を遠ざける、いわば〈逃げのアイテム〉としての機能をもち、そうした言葉を多用することによって、知らず知らずのうちに他者が帯びる異質性に最初から背を向けてしまうような身体性を作ってしまう危険性があることを、私は指摘したいと思うのです。(p.134-135)

 この本で「コミュニケーション阻害語」として菅野先生が挙げているのは、「ムカツク」と「うざい」、「ていうか」、「チョー」「カワイイ」「ヤバイ」、キャラがかぶる、KY(空気読めない/空気読め)などでした。
 この本が書かれたのは2008年です。菅野先生もこれらの言葉について、「消費速度が速くて、すぐに古臭くなってしまうかもしれません。でも入かわりたちかわり、こうした言葉は流行ってはまた廃れていくことを繰り返すに違いありません。」(p.143)と書いていますが、そのとおりだなと思いながら読みました。

 「ムカツク」と「うざい」は、いまでも子どもたちはよく言うな、と思います(多少の変種も含めて)。なぜ「ムカツク」と「うざい」がダメなのかも書かれています。

阻害語の代表的なものが、「ムカツク」と「うざい」という二つの言葉です。
この言葉は、このところ若者を中心にあっという間に定着してしまった感のある言葉です。「ムカツク」とか「うざい」というのはどういう言葉かというと、自分の中に少しでも不快感が生じたときに、そうした感情をすぐに言語化できる、非常に便利な言語的ツールなのです。
つまり、自分にとって少しでも異質だと感じたり、これは苦い感じだなと思ったときに、すぐさま「おれは不快だ」と表現して、異質なものと折り合おうとする意欲を即座に遮断してしまう言葉です。しかもそれは他者に対しての攻撃の言葉としても使えます。「おれはこいつが気に入らない、嫌いだ」ということを根拠もなく感情のままに言えるということです。ふつうは、「嫌いだ」と言うときには、「こういう理由で」という根拠を添えなければなりませんが、「うざい」の一言で済んでしまうわけです。自分にとって異質なものに対して端的な拒否をすぐ表明できる、安易で便利な言語的ツールなわけですね。
だから人とのつながりを少しずつ丁寧に築こうと思ったとき、これらの言葉はなおさら非常に問題を孕んだ言葉になるのです。(p.135-136)

 コミュニケーションを安易に断ち切ってしまう言葉だからダメなんだ、ということに納得がいきました。「ちゃんと言葉で伝えようよ」ということを子どもたちに言っていこうと思います。話すだけでなくて、書くのでもいいですよね。

 ここで菅野先生が書かれていることは、オンラインコミュニケーション(デジタルコミュニケーション)を子どもたちがするようになってきて、より広がっているように思っています。だからこそ、学校という場で、オンラインコミュニケーションの体験をして、どう言葉を使っていって、どう〈つながり〉をつくっていかなくてはいけないのか、子どもたちに伝えていきたいなと思いました。

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 最後に著者略歴を読んでいて、菅尾先生が2016年にお亡くなりになっていることを知りました。それでも、こうして菅野先生の言葉は残っていて、自分のところに届いている。言葉を大事にしないといけない、と感じます。

(為田)