生駒市教育委員会で学校の先生方を支えるお仕事をされている若松俊介 先生から、『学級づくりからはじめる自由進度学習』をお送りいただきました。若松先生、ありがとうございます。
京都教育大学附属桃山小学校にいらっしゃったときに、若松先生の授業は何度か見せていただいていたので、この本を読みながら「ああ、若松先生らしいなあ」と思う言葉がたくさんありました。読書メモを共有したいと思います。
あるとき、「この時間は自分たちで進めてみよう」とだけ伝えた授業がありました。若手の頃の話です。教室は静まり返り、数人が動き出すものの、何人かは不安そうにこちらを見つめていました。その視線にふれたとき、自分の考え方を問い直す必要があると感じました。「どうしたいか」を考えられるようになるには、「考える」「動いてみる」「迷ってもいい」という経験の積み重ねが欠かせなかったのだと、気づかされました。
子どもに任せれば主体的になるとは限りません。実際、任せたはずなのに、ただ時間だけが過ぎていく授業も、少なからず経験してきました。
だからこそ、今も「どこまで任せ、どこで寄り添うか」を探り続けています。直接教えることと、手を引くことのどちらかではなく、その間にある「ちょうどよさ」を見つめることによって、学びの質が支えられていくのだと思います。(p.116)
子どもたちが「考える」「動いてみる」「迷ってもいい」という経験を積み重ねるのが大事っていうのは本当にそうだな、と思います。ここを先回りして、迷わなくてもいいように手当てしちゃうことが多いなあ…と反省しました。
そして、「直接教えることと、手を引くことのどちらかではなく、その間にある「ちょうどよさ」を見つめる」というところもとてもいい表現だなと思いました。
それから、「自由進度学習」は方法ではない、出発点は「学級づくり」だという本のタイトルに繋がるところも紹介します。
「自由進度学習」は、方法ではなく、関係の在り方から始まります。そしてその関係は、子どもたちと共に学級という場を耕す過程の中で育まれていきます。だからこそ、自由進度学習の出発点は、やはり「学級づくり」なのです。(p.117)
それから、自由進度学習では目標の立て方と、自分の学習のふりかえりが大事になってきますが、それについて書かれていた部分も紹介します。
あるとき、「それってどうやって決めたの?」と尋ねると、「ちゃんとは決めてないけど、自分で考えた」と返した子がいました。私はその言葉がおもしろいなと感じました。大人には曖昧に映るかもしれませんが、「自分で選んだ」という実感こそが、その子の中に深く残っていくように見えたのです。
教師がすべてを決めるのではなく、「じゃあ、次はどうしたい?」と問い返すことで、子どもたち自身の中にある「まだ言葉にならない思い」が少しずつかたちになっていきます。自分で決めて、動いて、ふり返って、また調整する…といった学びのループがその子のものになっていくとき、学級は自ら成長する場として動き始めます。
私は、目標に「向かっているか」よりも、「目標と関係をもち続けているか」を大切にしています。問い、試し、揺らぎながら、自分の歩みを確かめていく過程が、学級全体の「学びの文化」をかたちづくっていきます。(p.122)
「目標と関係をもち続けているか」というのが大事だという若松先生の言葉はとてもいいなあ、と思いました。目標と関係をもち続けられるように言葉をかけたり、サポートをしたりしたいな、と思いました。
僕自身は学級をもっているわけではないけれど、授業づくりのなかでできることもたくさんあると思うので、頑張っていこうと思いました。
(為田)
