2025年10月17日の日本経済新聞に掲載されていた広告、「特別鼎談 世界を見据える 早慶の挑戦」で、早稲田大学の田中愛治 総長、慶應義塾の伊藤公平 塾長、SAPIX YOZEMI GROUPの髙宮敏郎 共同代表の3人の対話のなかで、気になるところがありました。田中総長と伊藤塾長の対話の部分です。
田中 伊藤塾長も私も体育会の出身ですが、スポーツはセオリー通りやっても勝てるとは限りません。スポーツ選手は答えのない問題の仮説を立て、どうすれば勝てるかを自分の肉体と頭脳の限りを尽くして考えています。実験や調査を繰り返す学問とまったく同じですね。
伊藤 それは演劇や音楽にも共通します。何かに熱中することに意味がある。だから本能的に好きなことをやるのがいいのでしょう。
「スポーツ選手が答えのない問題の仮説を立て」ている、というところ、それが学問と同じだと言っているところがすごくいいなと思います。答えのない問題の仮説を立てて、実験や調査を繰り返す点では、学問と同じだと書かれています。スポーツも探究活動の要素がたくさん入っているのだと思います。
探究活動の質を高めるために、スポーツ選手たちから学べることはあるのかもしれない、とずっと思ってきたので、こうして言葉として読めたことはよかったなと思います。
失敗を恐れず、「正解が出せないなら、白紙でいいや」と無答のプリントを提出してしまうマインドから遠くにあるのは、スポーツ選手なのかもしれない、と僕は思っています。
練習して、その成果を自分で(チームで)評価して、自分でまた計画を立てて…というサイクルを回していくことで、探究活動の下準備になるのではないかと思っています。
スポーツ選手たちが、どのように練習のふりかえりをしているのか、というのは知りたいなと思っています。
(為田)