哲学者の鷲田清一 先生が書いた『新編 普通をだれも教えてくれない』を読んでいて、「哲学の「発見」」という文章に出会いました。
哲学は市井の多くのひとたちのなかに生きている。多くのひとたちによって生きられている。ほんとうに大事なものは何か、それをひとびとの生き方のうちに見つけるのが哲学ではないのか。それがすべてではないにしても、哲学理論を「発明」するのではなく、哲学を「発見」すること、そして、生きられたそれを言葉や論理にして、多くのひとに伝えること、そういう媒介者の役をつとめるのが、「哲学者」の仕事ではないのか……。そんな思いで同僚とはじめた「臨床哲学」の事業はまちがっていないと、確信を新たにした。(p.64)
鷲田先生が「哲学」と書いているところを、「教育」に置き換えると、自分が何となく思っていることに近いな、と思いました。
哲学理論を「発明」するのではなく、哲学を「発見」すること、そして、生きられたそれを言葉や論理にして、多くのひとに伝えること、そういう媒介者の役をつとめる…
「教育」という言葉に入れ替えて、少し整えてみます。
教育理論を「発明」するのではなく、教育を「発見」すること、そして、教室で起きたそれを言葉や論理にして、多くのひとに伝えること、そういう媒介者の役をつとめる…
自分が仕事としてやりたいと思っていることって、これだな、と思ったのでした。
前に読んだ鶴見俊輔の言葉にも似た感じを受けました。バタバタと忙しくしているだけでなく、何を目指して仕事をしているのかきちんと見据えて頑張っていきたいと思っています。
(為田)
