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ひとり読書会:『新しい教育評価入門 人を育てる評価のために [増補版]』 No.7 「第7章 教育評価の制度 評価と社会はいかなる関係を取り結んできたのか」

 西岡加名恵 先生・石井英真 先生・田中耕治 先生 編『新しい教育評価入門 人を育てる評価のために [増補版]』を読みました。今回は、「第7章 教育評価の制度 評価と社会はいかなる関係を取り結んできたのか」の読書メモを共有したいと思います。
 長い時間をかけて読んで、長い時間をかけてメモをとって考えて、長い時間をかけてブログで共有してきましたが、いよいよ今回で最終回となります。

第7章 教育評価の制度 評価と社会はいかなる関係を取り結んできたのか

 最後は、評価と社会の関係について書かれていた7章の読書メモを公開したいと思います。社会がどんどん変わっているいま、かつての社会のために作られていた指導要録や通知表などの評価ツールは、どう変えていくべきなのか、ということを考えさせられました。

学校の教育実践は、評価の制度改革によって少なからぬ影響を受ける。入試制度のほかにも、とりわけ指導要録の改訂は日々の実践と密接な関連をもってきた。(p.208)

 学校の評価も、相対評価や絶対評価など変わってきている部分もあるのだと思いますが、実感としてはそんなに変わっていないんじゃないかと思ってしまいます。そもそも、何のために評価しているのか、というところをちゃんと押さえておきたいと思いました。

相対評価と「目標に準拠した評価」の相違は、目標の実現度を把握する「学力の点検」にとどまるのではなく、目標の実現を子どもたちの学習権に結びつける「学力の保障」へと向かわなければならないのである。(p.213)

通知表は指導要録に比して常に意識される存在であり、「評価」の代名詞であったともいえよう。しかし、指導要録とは異なり、通知表にはその作成、受け渡しに関する法的な根拠はない。さらに、その作成における様式、内容、方法まですべて、各学校、各教師の裁量に任されている。したがって、通知表の作成とその改善には、自由裁量であるからこそ、その学校の教育評価のあり方やそこに投影される子ども観・学力観についての問い直しの可能性が秘められているのである。(p.219)

 通知表は、入試にも使っているのでそれについても書かれていました。教育業界で何かを変えない言い訳として、「入試が変わらないから…」というのはよく聞くのですが、事実としてそういう面もあるのですよね。

学校での教育評価のあり方を考える際には、指導要録などの制度とともに、入試制度についても視野に入れる必要がある。なぜなら、卒業後の子どもたちの進路を左右する入試において何が測られるのか、何が重視されるのかによって、学校の日常の教育実践と評価は少なからぬ影響を受けると考えられるからである。(p.223)

 メリトクラシーの話も最後に出ていました。入試のことを考えるならば、これも避けては通れないキーワードかなと思っています。

p.227
「(マイケル・)ヤングによれば、メリットの高い人と低い人の「断層」は、メリトクラシーが浸透するにつれ、むしろ大きく、揺るぎないものとなってしまう。なぜなら、知的能力の獲得が家庭環境や遺伝などに左右され、結局のところ、次世代に引き継がれることになりかねないからである。さらに、メリットの低いと判定された人々は、「過去におけるように機会が与えられなかったからではなく」、もはや「自分が本当に劣等であるという理由で、自分の地位が低いのだということを認めなくてはならない」状況に陥り、やがてそれは暴動につながるとヤングの著作のなかでは予期されている。」

 参考文献となっていた、マイケル・ヤング『メリトクラシー』はすごく興味が湧きました。原著が1958年発売、窪田鎮夫・山元卯一郎訳が1982年に出ていて、2021年に講談社エディトリアルから復刊しています。

メリトクラシー

メリトクラシー

  • 講談社エディトリアル
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終わりの感想

 ということで、本にはこの後「第8章 日本における教育評価の歴史 より豊かな評価を求めて」があるのですが、僕の読書メモとしてはここまでです。たくさんマーカーで線をひいて、勉強になりました。評価は、学校の先生方と一緒に仕事をしていて、よく話題に上る言葉だし、そもそも先生方がとても大事にしていることだからこそ、僕もちゃんと勉強したいな、と思いました。(というか、読み終わって知りたいことはむしろ増えた…)

(為田)