言語学者の川原繫人 先生の著書『言語学者、生成AIを危ぶむ 子どもにとって毒か薬か』を読みました。生成AIは小学校でも児童に使わせている学校が増えてきています。僕は小学校での生成AI活用については懐疑的なスタンスなので、タイトルの「言語学者、生成AIを危ぶむ」という言葉に興味をもって、「川原先生、どうしてそう思うんですか?」という気持ちで読みました。読書メモを共有します。
夫婦共に言語学者で、小学生2人を育てている川原繁人 先生と桃生朋子 先生が、「生成AIを搭載した子ども向けのおしゃべりアプリが開発されている」というニュースを聞いてから、議論を続けてきた内容がまとめられています。
幼児が生成AIと会話することは、果たして、人間の健全な成長という観点から、「安全」なのか?――言語学者として、親として、この問いに私たち夫婦は本気で向き合う必要を感じました。(p.10)
ここにも書いてある通り、メインテーマは幼児の言語発達期に生成AIとおしゃべりさせることは言語獲得にどうなのか、ということです。
「幼児の言語発達期に生成AIを与える」という発想には、言語学者としても、そして親としても、どうしても拭えない違和感があります。(p.15)
川原先生の「生成AIが子どもにとって毒か薬か」という質問への答えは、5つのポイントで書かれていました。
「結局、生成AIは毒なの?薬なの?」という質問に対する結論を出すべきところまで来たかもしれません。我々の答えを端的に申し上げますと、「毒か薬かは正直わからない。しかし、今の時点では臨床試験を経ていない新薬のようなもので、リスクが想定される限り、できるだけ使用を避けるべき」となります。主な懸念は、大きく以下の五点に整理できます。
- 身体性の欠如
生成AIは身体を持っておらず、感情や意図といった人間的な背景を伴いません。- 非常に限定的な感覚刺激
出力は主に音声と画像・映像に限られますが、人間の発達には五感すべてへの刺激が不可欠です。- 非言語的コミュニケーションの欠如
表情やジェスチャーなど、重要な非言語情報を生成AIは提供できません。- 他者理解の困難
他者の気持ちや考えを想像する「心の理論」は、対人のやりとりを通じてしか育ちません。- 誤情報・偏見のリスク
AIの出力は、人間が見抜きづらい形で偏見や誤情報を含んでいる可能性があり、それが子どもに刷り込まれてしまう恐れがあります。(p.81-82)
幼児の言語獲得にとって、「ただ会話が(見た目上)成り立てばいい」ということではないということだと思います。
生成AIは主に書き言葉を学習データとし、人間は音声から言語を学ぶ、という決定的な違いがあります。また、学習には必要な量もかなり異なります。これらの理由から、生成AIの出力は人間言語とはみなせないのです。加えて、生成AIは「なぜ上手く動いているかわからない」というブラックボックス的な側面があります。これを子育てに利用するのは、小さくないリスクを伴うであろう、というのが私たち夫婦の考えです。(p.57)
人間言語とはみなせない生成AIで言語を獲得することは、言語変化をもたらすかもしれない、という可能性も書かれていました。複数の言語を話す人たちが集まったコミュニティ内で生まれる「ピジン」と、その次の世代が作る「クレオール」について語られた後で、生成AIで言語を獲得した子どもたちと直接会話できなくなるかもしれない、ということです*1。
生成AIが出力した「ナニカ」に触れながら育った子供は、「日本語ではない異質な言語」を作りだしてしまう可能性があります。そして、その異質な言語がどのようなものになるのかは想像がつかないところが怖いところです。その新たな言語が日本語に「十分似ている」可能性もありますし、そうでない可能性もあります。
その「新たな言語」が日本語と大きく異なっていたとしましょう。すると、クレオールを話す世代とそれを話せない親世代が直接会話できないように、生成AIで育った子どもたちは、親世代とは直接会話できなくなってしまう可能性すら考えられます。
この点に関しては、「生成AIの出力は、少なくとも表面的には十分に日本語に似ているのだから、これは心配のしすぎじゃない?」と考えている言語学者もいることは付記しておきます。ただし、本章の冒頭でも宣言しましたが、「最悪の事態を想定する」という立場からは、「この問題も意識しておくべき」というのが私たちの感触です。(p.56)
僕は、生成AIを小学校・中学校で使うことについては、川原先生が書いていた「面白いけど、危ない」(p.126)という表現がぴったりだと思っています。まったく使うべきではない、とまでは全然思っていないのですが、幼児期はもちろん、小学校くらいまではあまり使わない方がいいのではないかな、と思っています。そのあたりも、川原先生がきちんと書かれていました。
生成AI技術が世の中に浸透していく流れは止まらないでしょう。しかし、「生成AIによる仕事の効率化」と「子どもに生成AIおしゃべりアプリを与えること」は区別して考えるべきです。使用するにしても、養育者たちはどのような注意を持って使うべきか、しっかりと吟味し続けるべきでしょう。(p.127)
本当に、これです。「生成AIによる仕事の効率化」と「小学生に学習の道具として生成AIを与えること」は区別して考えるべきだと思います。そのうえで、学校で生成AIをどのように使うのがいいのか、考えていきたいと思います。
(為田)
*1:完全に余談ですが、「ピジン」と「クレオール」、大学で履修した今福龍太先生の授業でめちゃくちゃ惹かれたのを覚えています。『クレオール主義』とか好きでした。また読み返したい。
