教育ICTリサーチ ブログ

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書籍ご紹介:『ケーキの切れない非行少年たち』

 ずっと読みたいと思っていた、宮口幸治先生の『ケーキの切れない非行少年たち』が図書館の返却棚にあったので借りてきて読みました。「ケーキの切れない非行少年」というタイトルにある言葉が強すぎる感じがしますが、もっと広く「困っている子どもたちに何ができるか」を考えさせてくれる本だったと思います。気になったところを読書メモとして共有したいと思います。

 まずは、表紙の折り返しのところに書いてあった、この本の概要です。「困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く」っていうのは、そう願っている先生はたくさんいるのではないかと思います。

児童精神科医である筆者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。

 「はじめに」では、宮口先生がどうして医療少年院へ赴任したのか、ということが書かれていました。少し長いですけど、「学校で何ができるだろう」と考えさせられる部分です。

発達障害、知的障害をもつ子どもたちの保護者や支援者にとって、少年院は最も行って欲しくない場所かと思います。障害をもった子どもたちは本来、大切に守り育てないといけない存在です。それなのに加害者となって被害者を作り、矯正施設に入れられてしまうのです。まさに「教育の敗北」と言っていい状況です。そういった「最悪の結末とも考えられる施設」に行けば、何か支援のヒントが見つけられるのではないか。藁にもすがる思いで、それまで勤めていた精神科病院を辞め、医療少年院に赴任することにしました。
公立精神科病院で児童精神科医として勤めていた私は、児童・青年のことは一通り分かったつもりになっていましたが、少年院に来てみて実はまだ殆ど何も知らなかったことに気付きました。
同じ発達障害の子でも病院とは全く違うことが問題になっていたこと、病院を受診する児童・青年は比較的恵まれた子どもたちであることなども知りました。もちろん虐待を受けた子どもたちもいましたが、基本、病院には保護者や支援者がいるからこそ連れてこられるわけです。問題があっても病院に連れてこられず、障害に気づかれず、学校でイジメに遭い、非行に走って加害者になり、警察に逮捕され、更に少年鑑別所に回され、そこで初めてその子に「障害があった」と気づかれる、という現状があったのです。現在の特別支援教育を含めた学校教育がうまく機能していなかったのです。(p.7-8)


 「第1章 「反省以前」の子どもたち」では、小学校では熱心な先生のおかげで勉強がおもしろい、学校が楽しい、と感じるようになった子どもが、中学校になった途端に急降下して、学校に遅刻、学校をさぼる、悪いことをして逮捕される、というふうになってしまったという例が紹介されていました。「中学に入ったら全く勉強が分からなくなった。でも誰も教えてくれなかった。勉強が分からないので学校が面白くなくなり、さぼるようになった。それから悪いことをし始めた」と言います。

この少年の場合、中学校で先生が障害に気づいてくれて、熱心に勉強への指導をしてくれていたら非行化しなかったでしょうし、被害者も生まれなかったのです。非行化を防ぐためにも、勉強への支援がとても大切だと感じたケースでした。
非行は突然降ってきません。生まれてから現在の非行まで、全て繋がっています。もちろん多くの支援者がさまざまな場面で関わってきた例もあります。でもその支援がうまくいかず、どうにも手に負えなくなった子どもたちが、最終的に行き着くところが少年院だったのです。子どもが少年院に行くということはある意味、“教育の敗北”でもあるのです。(p.26-27)

 「非行は突然降ってきません」という言葉は重たいですね。あと、これは「教育の敗北」とも書かれているのも重たいですね。

 さらに、「第6章 褒める教育だけでは問題は解決しない」にも、学校でなにができるだろう、と考えさせられるところがたくさんありました。

”褒める””話を聞いてあげる”は、その場を繕うのにはいいのですが、長い目でみた場合、根本的解決策ではないので逆に子どもの問題を先送りにしているだけになってしまいます。
例えば、勉強ができないことで自信をなくしイライラしている子どもに対して、「走るのは速いよ」と褒めたり、「勉強できなくてイライラしていたんだね」と話を聞いてあげたりしても、勉強ができない事実は変わらないのです。根本的な解決策は、勉強への直接的な支援によって、勉強ができるようにすること以外では有り得ません。
小学校では、褒めることは話を聞いてあげることで、何とか乗り切れたかもしれません。しかし、中学校でうまくいかない、高校でもうまくいかない、社会ではさらにうまくいかないとなったときに、「誰も褒めてくれない」「誰も話を聞いてくれない」といったところで、何の問題解決にもなりません。(p.123-124)

 やはり、認知のトレーニングも大事だな、ということも書かれています。

学校では、漢字ができなければひたすら漢字の練習をさせる、計算ができなければひたすら計算ドリルをやらせるといったように、できないことをやらせようとしてしまいがちです。計算や漢字といった学習の下には、「写す」「数える」といった土台があり、そこをトレーニングしないと子どもは苦しいだけなのです。(p.130)

 今さらではありますが、読んでみてすごくいろいろと考えさせられました。自分が全然見えていない世界を知ることができました。まだまだ、もっともっと知らなければいけないことがあるな、と思わされる読書になりました。

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 宮口先生が監修している東京書籍の「コグトレオンライン」を使っている小学校の授業を参観してレポートを書いたことがあるので、それも合わせて読んでみてください。

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(為田)