教育ICTリサーチ ブログ

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ひとり読書会:『多数派の専横を防ぐ 意思決定理論とEBPM』

 郡山幸雄 先生と宮木幸一 先生の共著『多数派の専横を防ぐ 意思決定理論とEBPM』を読みました。著者二人は灘高校の同級生で、それぞれ経済学と医学の道へ進んでいて、この2つの分野でのEBPM(Evidence Based Policy Making)について書かれた本です。エモい。

医学と経済学、一見すると遠い分野のように思われるかもしれませんが、意外な共通点が多いことに気づかれるでしょう。二人の著者は高校の同級生で、宮木は文系クラスから医学に転向、郡山は理系の学部、修士課程を経て経済学に転向しました。日本では理系と文系に分類されることが多い二分野ですが、そのような境界線に捕われて視野を狭めるのはもったいないことだと私たちは考えます。遠く見える分野の共通点にこそ、より本質的な内容が含まれているからです。(p.5)

 エビデンスについて新しく知ることもあったし、覚えておきたかったこともありました。読書メモを共有します。

エビデンスの強さについて

 冒頭の「序章」でエビデンスの強さの序列を表すピラミッドが書かれていました(p.19)。
 エビデンスレベルは、下から「専門家の意見」「ケースレポート(症例報告)」「ケースシリーズ(症例集積)」「ケースコントロール(症例対照)研究」「コホート研究」「ランダム化比較試験(RCT)」「メタ解析 システマティック・レビュー」と上がっていきます。
 これは医学でのエビデンスレベルの話ですが、僕がこのブログで書いている授業レポートは、「ケースレポート」から「ケースシリーズ」くらいのエビデンスレベルに達していたらいいな、と思いながら読みました。

教育分野でのEvidence Basedの実績

 教育分野でのEvidence Basedの実績として、アメリカとイギリスでの事例が紹介されていました。どちらもじっくり読んでみたいと思いました。

 アメリカでは、教育省の下部組織 Institute of Education SciencesがWhat Works Clearinghouse(どういう施策が有効かというデータを収集整理して利用できるようにする機関)を2002年に立ち上げているそうです(p.33)。調べてみたら、「Find What Works」(何が有効か見つけよう)というサイトでした。このネーミングセンスが好きです。

ies.ed.gov

 イギリスでも、2011年に英教育省の補助金で設立されたEEF(Education Endowment Foundation)という慈善団体があり、系統的にレビューされたエビデンスを教育現場の実務家(学校の教師等)にもわかりやすく整理して提供しているそうです(p.36)。こちらの名前は「Teaching and Learning Toolkit(教育と学習の工具セット)」です。「エビデンスの強さやかかる費用、効果の大きさを示すアイコンを使って視覚的にわかりやすくエビデンスが整理されて」います。

educationendowmentfoundation.org.uk

 どちらのサイトも後でじっくり見て研究しようと思います。

「best available evidence」という考え方

 教育実践では、なんでもかんでもエビデンスがとれるかというと、そうはいかないと思います。だから、「エビデンスがなければ絶対だめ!」というエビデンス至上主義を持ち込まないでほしいし、だからと言って「エビデンスなんて要らない」にもなりたくないな、と個人的には思っています。そこで、「best available evidence」という考え方があることを知りました。これ、好きな表現だなと思いました。

EBMでもEBPMでもそうですが、思想的な流れを含めてその理解が十分でない方ほど「エビデンス至上主義」というか何でも「RCTがとにかく大事なんだ」と思っている方がたまにいらっしゃいます。私もRCTの重要性を衷心から実感している者(海外ではランダミスタ randomistaという言葉があり、ランダム化比較試験の熱心な支持者、信奉者といったところでしょうか)の一人ですが、実際の各種現場では様々な課題を抱えていて判断に使えるRCTの知見が十分にないことが多いこと、その場合は利用可能な最良のエビデンス(英語ではbest available evidenceといいます。RCTよりもエビデンスレベルとしては下位ではあっても意思決定の役に立つ利用可能な一番良いエビデンスのこと)を用いていくことが重要であることを常に心に留めていて、科学的根拠に基づかない経験知や現場の慣習を軽視したり否定するものでは決してありません。使えるエビデンスが足りないというだけでなく、現実の社会的課題ではRCTでの評価に馴染まない(ランダム化比較試験を実施することが難しい)ものもあり、RCTだけですべての問題が解決するわけでは決してないのです。(p.38)

アルゴリズムによって行われる意思決定への距離感

 最後に、AIやアルゴリズムが政策立案・決定・行政を行う「アルゴリズムによる統治」体制=アルゴクラシー(Algocracy)についても言及されていました。

私たちの意思決定にとって非常に有用になってくれる可能性を大いに秘めているアルゴクラシーは、使いようによっては社会構造に深刻な悪影響を及ぼすモンスターになる恐れも持っています。このような近未来のリヴァイアサンの暴走を防ぐには、意見集約を通した集団知を安全弁として用いるしかありません。その基礎となるのが個人レベルのリテラシーです。アルゴリズムに丸投げして考えることをやめるのではなく、面倒ではありますが、ああだこうだと議論を繰り返して個人レベルのリテラシーを高く保つことが、健全な社会的意思決定の基礎だと言えるでしょう。(p.223-224)

 このあたり、以前に読んだ『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』を思い出しました。

blog.ict-in-education.jp

 アルゴクラシーへの対応については、「個人レベルのリテラシーを高く保つこと」と書かれています。学校教育でもできることはあるのではないか、と思います。きちんと意思決定する体験を学校で積めるような環境を作りたいな、と思いました。

(為田)