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書籍ご紹介:『差別のない本屋に通いたい。 本好き教師の冒険の記録』

 仲川啓介さんの『差別のない本屋に通いたい。 本好き教師の冒険の記録』を読みました。差別のない本屋とは、「ヘイト本が置いていない本屋」ということです。ヘイト本とは何かをCopilotに訊いてみると、「公的・統一された定義は存在しないものの、研究者・出版関係者の議論を総合すると、“特定の民族・国籍・文化集団に対する憎悪・偏見をあおり、差別や排外主義を扇動する内容を持つ書籍”と理解されるのが一般的です」という回答が出てきました。 「これはヘイト本だ」と決定するための基準が難しく、「この本はヘイト本だから書店に置いちゃだめ」と決めつけてしまえば、それは表現の自由に反することになるし、書店としてはそれはしたくない、となるのが難しいところですね。特に大型チェーン店などは難しい。

 この本のなかで、フリーランス書店員 久禮亮太さんが「書店員の主体性」というキーワードを挙げていた、という話が紹介されていました。

キーワードとしては、本書で久禮さんが言われるように、「書店員の主体性」が挙げられるかもしれません。
「反ヘイト」を明言していることでも有名な独立系書店である「本屋lighthouse」に初めて伺ったときに、店主の関口さんがおっしゃっていたことが、それを具体化した話で非常に興味深かったです。すなわち、大手書店でヘイト本が平積みになるのは、店員さんがよくわかっていないからというのがほとんどで、そこに意識的であれば、取次から送られてきても、隅に置くとか、表紙が見えないように差すとか、それなりの努力は見えるものだそうです。そうした跡が感じられない書店は、おそらく手が届いていないというか、あまり考えて本を置いていないと。逆にヘイト本の置き方に工夫が感じられる書店は、他の本についても棚が充実しているし、ヘイト本がわけもわからず置かれている書店は、他の本についてもあまり手が入っていない……、そのような話でした。
(略)
久禮さんが、書店員が次々と非正規になっていて、なかなか育たないということも言われていましたが、やはり消費者としても、書店を応援するような形で消費行動を取ったり、言うべきことは言ったりして、書店をみんなで育てていくというか、つくっていくというか。そうしていく中で、状況を改善する余地はきっとあると思います。ヘイト本について、よく考えて置く書店は、他の本の扱いについても質が上がる。だから、書店をみんなで育ててつくっていくということが、一つ大事なことではないかと思うのです。(p.177-178)

 僕は、本を並べる書店員にも本を手に取って選ぶ読者にも、余白がいるよな、というふうに感じました。あまりにも目に余るヘイト本は「出版されるけど、売れない」というふうになってほしいです。そのために、読む側のメディアリテラシーを上げたいし、きちんと情報を受け取れるようになってほしい。公教育に何ができるかを考えたいと思います。

 ヘイト本の書店での取り扱いと言えば、2024年8月に読んだ福嶋聡さんの『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』とも繋がるテーマで、福嶋さんの「書店=言論のアリーナ」論も紹介されていました。こちらの読書メモも改めて読み返してみました。
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 「差別のない本屋」とはどういう本屋なのか、高校生や大学生とディスカッションしてみたいなと思いました。

(為田)