教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするために、現場目線での情報発信をしていきたいと思います。

電子書籍は読書感想文コンクールに出せない&利用率伸び悩む電子書籍貸し出し

 Twitterで、読書感想文コンクールの公式サイトで「電子書籍はダメ」と書かれている、というのを見て、読書感想文コンクールの公式サイトを見てみた。
 「感想文Q&A」のページでたしかに書いてありました。そうかあ、だめなのですね…。どうしてだめなのだろう…。
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 以下のリンクに表示される文章とかを読むと、別に電子書籍でもいいような気がするんですけどね…。

半世紀を超えて多くの児童や生徒に取り組み続けられている読書感想文。読書の感動を文章に表現することを通じて、読書の楽しさや素晴らしさを体験してもらい、子どもや若者たちの考える力を育んでいます。


読書感想文全国コンクール公式サイト

 2019年7月31日付の神奈川新聞で、「利用率「伸び悩む」 電子書籍貸し出し導入1年 綾瀬」という記事が出ていました。
www.kanaloco.jp

綾瀬市立図書館(同市深谷中)が2018年度に電子書籍の貸し出しサービスを開始してから1年余りが経過した。公立図書館での導入例が少ない中、蔵書を約1万3千冊と豊富にそろえたが、18年度1年間の貸出状況は約1300人、約5600冊(ともに延べ数)と思いのほか伸び悩んだ。


利用率「伸び悩む」 電子書籍貸し出し導入1年 綾瀬 | 話題 | カナロコ by 神奈川新聞

 こうして実際の利用者の数が出るのは、とてもいいと思いました。綾瀬市立図書館のサイト(電子図書館 | 綾瀬市立図書館)を見てみると、この電子書籍の貸し出しサービスは、Overdriveになっています。これから、まだ増えていくかもしれません。市内で交通の便が悪く来館者数が伸びない、デジタル端末の普及などを考えるとこれから増えるという可能性もあるのではないかと思います。

 使う人が増えれば、感想文コンクールに電子書籍が認められる日が来るのだろうか。個人的には、これはコンテンツの問題でなく、メディアの問題だと思います(ハードカバーか文庫か、と同じだと思うのです)。電子書籍も、普通に選択肢のひとつとして入ればいいと思います。

 しかし、電子書籍の貸し出しサービス、まずは自分で使ってみたいな。横浜市でも導入されないかな…。あるいは大学でもいい。卒業生に開放してくれませんかね…。洋書とか、ちょっと読みたいとかにすごく役立つと思うんですよね…。

▼参考エントリー
blog.ict-in-education.jp


(為田)

戸田市教育委員会 「プレゼンテーション研修会」レポート(2019年8月8日)

 2019年8月8日に、戸田市立教育センターにて「プレゼンテーション研修会」の講師をさせていただきました。テーマは「プレゼンテーション力を子どもたちにつけるために」でした。
 参加されたのは、戸田市内の小中学校から、毎年1月に開催される「児童生徒プレゼンテーション大会」の担当をされている先生方でしたので、僕が実際に小学校や中学校の授業でプレゼンテーションを作る授業を行うときに、子どもたちに伝えていることを紹介しようと思いました。

プレゼンテーションに必要な3つのもの

 プレゼンテーションは、これからの時代に自己実現をするために、必要なスキルだと思っています。プレゼンテーションのスキルを紹介する書籍などもたくさん出ていますが、授業の中でそのすべてを説明するのは難しいので、特に授業で子どもたちに伝えていることを3つだけ紹介しました。
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  1. 明確なメッセージ
    • 聞き手に何をいちばん伝えたいのか
  2. 論理
    • 主観ではなく、客観で伝える
  3. 「相手のため」の工夫
    • 文字だけではなく、図や表を入れて相手にわかりやすく伝える

 特に、重要なのは、最初の「明確なメッセージ」です。何が伝えたいのかということがわからなければ、今のプレゼンテーションが成功なのか失敗なのかを評価することができません。とにかく、何を伝えたいのかを、プレゼンテーションをする側が明確に言葉にできなければいけないと思います。
 その他、プレゼンテーションを聴いた後に、どんな感想を持ってもらいたいか、ということも、僕は子どもたちに質問するようにしています。「新しいことを知ってもらって、驚いてほしい」のか、「一緒にやらなきゃ!と危機感を持ってほしい」のか、それによってもプレゼンテーションは変わってきます。

プレゼンテーションを学芸会みたいにしないために

 学校で行われているさまざまなプレゼンテーションを見せてもらう機会がありますが、メッセージや論理ではなく、どちらかというとエンターテイメントの方に寄っているプレゼンテーションを見る機会が多いように思います。例えば、アニメーションのおもしろさや、イラストのおもしろさや、発表者間のセリフのやりとりのおもしろさや、そうしたところに力を入れているケースです。
 これは、プレゼンテーションではなく、学芸会的になってしまっているように思います。「おもしろい」かどうかではなく、メッセージが伝わるか、ということが問題なのですが、そこを取り違えているケースが多いのです。

 今回の研修会のなかで、先生方とディスカッションをさせていただいて思ったのは、教室でプレゼンテーションを作るときに「メッセージは何か」「論理性があるか」「相手にわかりやすいものになっているか」という部分についてのフィードバックがあまりされていないからではないか、と思い当たりました。
 先生からのフィードバックがなければ、子どもたちはクラスメイトからの「笑い」というフィードバックだけを得るようになります。そのため、エンターテイメント方向に進んでいってしまうのではないか、と思いました。
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 僕は、長い目で見ると、エンターテイメント性が強い学芸会のようなプレゼンテーションは、あまり良くないのではないかと思っています。大人になって、そうしたエンターテイメント性が強いプレゼンテーションを行うことがほとんどないからです(もちろん、メッセージを伝える手段として、エンターテイメントを選んでいるケースはあるかもしれませんが)。

子どもたちへのフィードバックとして、「文章が変わって、メッセージがわかりやすくなった!」とか「表が入って、すごい実感できるようになった!」というような、「プレゼンテーション伝わるようになった!」というフィードバックをもっと多くすることで、エンターテイメントに行く動機よりも大きな動機にできる可能性があるのかな、と先生方と話していて思いました。

まとめ

 メッセージをしっかり伝えるために、何度も何度もスライドを直したり、写真や図表などを入れたり、そうした工夫を短時間で何度もできるのは、ICTがあるからこそだと思います。戸田市においては、ICT機器の活用も進んでいますので、こうした「メッセージが何か」というところにしっかりフォーカスした形でのプレゼンテーション指導を行う土壌はできていると思っています。
 学校で中間発表などを行ったりするのであれば、ぜひゲストティーチャーに呼んでほしいと思います。

 来年1月に行われるプレゼンテーション大会での、児童生徒のプレゼンテーションを楽しみに見させていただこうと思います。

(為田)

書籍ご紹介:『未来を生きるスキル』

 鈴木謙介『未来を生きるスキル』を読みました。鈴木謙介さんのことは、文化系トークラジオLifeのメインパーソナリティとして、もう何年も聴いている方ですが、著書もいつもとても学び多いので、今回も楽しみに読みました。現在は、関西学院大学社会学部准教授として、学生たちとも接していることもあり、学生たちに対して「未来を生きるスキル」を伝えているのだろうな、と感じる本でした。読みながらメモしていた部分を、いくつかまとめておきたいと思います。

未来を生きるスキル (角川新書)

未来を生きるスキル (角川新書)

人生100年時代」を見据え、何が必要なのか?

 第1章と第2章では、働き方について書かれています。最初の部分でこの本での「未来を生きるスキル」というのがどういうものなのか、どういうものでないのか、ということが書かれています。

結論を言うと、僕がこの本で主張しようとしているのは、そうした「自分だけが生き残るスキル」を身に付けようとするのではなく、異なる価値観や能力をもった人びとが互いに協力し、「みんな」で生きていこうとする社会を作る、そういう考え方です。ですから、よく言われる「AIの普及に備えて生き残れるスキルが必要だ」といった主張にも、懐疑的な見方をしています。(p.18-19)

 AIが普及したところで、それがそのまま社会に反映されるかというと、そこには3つの問題がある、ということも書かれています。

社会の制度や人びとの反応は複雑なので、技術によって雇用を減らすことが可能になったからといって、それがそのまま社会に生じるとも限りません。それを踏まえたうえで、AIで失業が増えることよりも考えなければならない問題が3つあります。(p.23)
1 就業構造の変化自体に対する評価
2 環境の変化に対する人間の心理的抵抗
3 法規制や政策の影響

 ただ、「AIで失業が増える」というのがそう簡単にはいかないだろうと予測しているからといって、これまで通りのスキルでいいという話ではありません。では、どういったことをする必要があるのか、

人生100年時代」を見据えたとき、「ひとつの集団や生活基盤に頼らずに、リスクを分散して生きていく」必要性が出てきます。具体的には、家庭や会社だけではないもうひとつの場所、「サードプレイス」を作る必要性がいま言われています。(p.89)

 あらゆる基盤が流動的(リキッド)になる時代と社会は、ジークムント・バウマン『リキッド・モダニティ』(2000)のなかでも分析されているそうです。

リキッド・モダニティ―液状化する社会

リキッド・モダニティ―液状化する社会

 サードプレイスを作るためには、ICT(インターネット)は大きな武器になると思います。これまでは自分の声が届く範囲がコミュニケーションの限界だったのが、より広くなります。Google翻訳などを使うことで、言語の壁もある程度越えることができます。
 ひとつの組織に縛られるのではなく、さまざまなコミュニティに属しながら、自分の人生を生きていく、ということができるようになっています。働き方改革によって、会社にいる時間が減ったり、副業/複業などをする人が増えていったりすることによって、こうしたサードプレイスを探せる人と探せない人の差ができそうだと感じます。

教育にはどんな意味があるのか

 第3章では、育児・教育について書かれています。大学が全入時代になり、EdTechが活用されて、学校の存在意義についても再定義が進んでいくと思っていますが、そもそも、日本の社会において、教育とはどのような意味をもつと思われるのかが書かれていました。

「階級」は、海外では人種の差として現れたり、イギリスなどでは労働者階級とそれ以外の人たちとでまったく文化が違うと言われたりもします。しかし、日本の場合は、学歴こそが階級を区分する線になっている面があります。
逆に見ると、学歴以外の要素の影響が少なく、多様性が低いということ。日本における教育は、そんな社会の見えない格差の間に引かれる重要な補助線になっているのです。
(略)
ここで重要なのは、大学のランクによる差よりも、「大卒/非大卒」の差のほうが大きいということです。よくある例としては、就職で大卒以上しか応募資格がない企業があり、非大卒には最初から門が閉ざされていることなどがあります。
先に述べたように、世の中にある様々な分断線が想定されるなかで、日本は「学歴」がもたらす格差が非常に大きい社会だということです。(p.110-112)

 学歴による格差が存在することで、教育が果たす役割、教育がもっている意味については、以下のようにまとめられます。

だからこそ「教育そのものの効果」と、それによって「特定の仲間うちに入れる効果」のふたつの要素を切りわけて考える必要があります。(p.112)

 初等教育の段階で、「算数もうわからない」と降りてしまえば、ここでいう「特定の仲間うちに入れる効果」を得られず、その先の人生においての選択肢を失ってしまうことも多くあるのではないかと思います。だからこそ、初等教育における基礎学力はしっかり身につけてもらいたい、と思っています。
 もちろん、そのために先生方はたくさんの工夫をされているし、積み重ねてきた知見もたくさんあります。でも、そのすべてを行うのはあまりに大変だし、みんながだいたい同じ量の問題を、だいたい同じ速さで学んでいく、ということには無理が来ているとも言われています。ただ「テストで点が取れる」かどうかの話ではなく、将来的な格差にも繋がっているのだということは肝に銘じておきたいところです。

 それとは別に、多様な人と一緒に何かを探究するというときに必要なスキルとしては、2つのスキルが書かれています(p.128)。

1.他者を受け止めるスキル
2.他者と議論し、まとめるスキル

 こうしたスキルを身につけられる機会を、初等教育中等教育の間にもっと持たせたいと思います。総合的な学習の時間やプログラミング教育やプロジェクト学習(PBL)においても、こうした点をめあてにおいてカリキュラムを書くのもいいかな、と思いました。

Anywhereな人びととSomewhereな人びととソーシャル・キャピタル

 第4章では、地域・コミュニティについて書かれています。テクノロジーの進化によって、地域・コミュニティのあり方はどんどん変わっていきます。どのような変化が起こっているのかについて、非常にわかりやすく書かれていました。

経済合理性だけであらゆるものを「得するほう」へと置き換えていくと、関係を持続するよりも、「より安いほう」「お得なほう」に次々と乗り換えていくことが求められます。いわゆる「馴染みの街」や「顔見知りの店員」といった関係性は、お金の観点からすると不合理な面のある存在ですが、だからといってそれらを得するほうに乗り換えられるようにすると、かえって不安が増してしまうのです。
これまでは、すべてを商品化していくと言いながらも、起きていたことは生活の安定性をなんとか保ったうえでの商品化でした。しかし、いまの社会が直面しているのは、生活圏すらも流動化するような究極の商品化です。お得なほうに乗り換えていくのが便利で合理的だとなると、服や家具なんか買わずに全部レンタルすればいい。そもそもモノなんて持たないほうがいいし、すぐ移動できるようにしておいたほうがいい。
すると、次は人間関係もすぐ切れるようにしておいたほうが面倒でなくていい。ひとりでサヴァイヴしていける。そんな発想に変わっていきます。
それでは人間はお互いに幸せにやっていけないだろう、という心理的な反発が、いま世界中で起きているのです。(p.162)

 ここで、イギリスのジャーナリスト、デービッド・グッドハートが、著書『The Road to Somewhere』でおこなっている分析が紹介されています。

近年のポピュリズムの高まりなどの現象を、イギリスのジャーナリスト、デービッド・グッドハートが、著書『The Road to Somewhere』で端的に分析しています。世論調査の分析からあきらかにしたのは、イギリス人のメンタリティのなかで、「Anywhere」な人びとと「Somewhere」な人びとの分断が生じつつあるということです。(p.164-165)

The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics

The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics

The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics (English Edition)

The Road to Somewhere: The New Tribes Shaping British Politics (English Edition)

 Somewhereな人びととAnywhereな人びとの特徴をまとめます。

Anywhereな人びと:

  • 多様性に寛容で、どこにでも適応することができ、学歴も流動性も高い人たち。
  • 典型例としては、外資系コンサルの社員や世界中を渡り歩くGoogleプログラマーのような人たち。
  • 高度な知識やスキルを武器に、自分をいちばん高く買ってくれる環境へホッピングするタイプのグローバルエリート。

Somewhereな人びと:

  • 慣れ親しんだ環境を愛し、多様性に不寛容で、学歴や流動性が低い人たち。
  • たとえば、地域の自営業の店主ら。

 日本でも、社会の中でAnywhereな人びととSomewhereな人びとが併存しているように思います。そして、しばしばここで価値観が合わず、信頼関係が損なわれていることもあるかもしれません。地域で息子の小学校のPTA活動をしていましたが、そのときにこういう感覚は受けました。地域のお年寄りからは、きっと僕はAnywhereな人だと見られていたのだろうな、と感じます。
 ただ、だからといってまったく歩み寄れないわけでもなく、信頼関係を結び、一緒に地域やコミュニティのためになる行為をすることはできます。この信頼関係が、「ソーシャル・キャピタル」になるのだと思います。

ソーシャル・キャピタルは、排他的であったり、他者に参加を強制したりするつながりにもなるので注意が必要です。しかし、現在のような入れ替え可能性が高い時代には、ソーシャル・キャピタルのポジティブな面についても着目すべきだと僕は考えています。


「便利すぎてなんか怖いわ」
「なんでも技術やお金で解決できるわけがないだろう」
「残すべきものまで失われてしまっただろう」


テクノロジーの進化を無条件に肯定し、つねに経済合理性だけでものを考えるあり方が勢いを増す社会のなかで、このように感じる人には、ソーシャル・キャピタルがある状態を理想とする感覚があるととらえれば良いと思うのです。(p.167)

これから目指していく方向

 第5章では、「人に残された最後の問題」として、家族・愛・絆について書かれています。これからの社会の目指す方向性が書かれています。

すでに多様化している社会。
そして、現実にそこでいま生きている僕たち。


だからこそ、これからの時代にはSomewhereな感覚を、僕たちの時代に合わせて「新しい形」で作っていけばいいのだと思います。多様性に配慮しながら、自分たちの場所にやってきた人たちとSomewhereな関係性を築くことができれば、Anywhereな感覚を活かしながら、Somewhereな関係性を両立させることができる。
難しいことを言っているのは百も承知です。現実には、移民排斥や半グローバリズム運動をはじめ、世界はそのようにはなっていません。
しかしそれでは僕らは幸せには生きていけないのです。
(略)
「多様な人びとと共生する Somewhere」というものは、社会学が目指す理想でもあります。多くの研究が、そうした場所やイメージや関係性を作ることを目指して日々行われています。


そして、それはこれからの社会が目指すべき方向でもあると、僕は強く信じているのです。(p.227-228)

 とてもポジティブなメッセージだと思いました。ここで書かれている、この方向性へ向かうために、教科教育だけでは足りないな、と感じます。教科教育で正しい知識を得ることはもちろん大切ですが、その先にその知識を使って、Somewhereな関係性をアップデートしていけるようにしなければならないのだろうな、と思います。だとすると、ICTを活用してのコミュニケーションや協働はますます重要なものになると思います。どのように社会のメンバーとして子どもたちを迎え入れるのか、そのために学校はどんな学びを提供すればいいのか、考える視点をもらったように思います。

(為田)

「Vision16 Go To The Future!! 〜未来への扉をひらこう!!〜」イベントレポート まとめ(2019年7月14日)

 2019年7月14日にびわ文化学習センター リュートプラザで開催された、長浜青年会議所主催のイベント「Vision16 Go To The Future!! 〜未来への扉をひらこう!!〜」に参加しました。
 開会式の様子、会場で開催されていたEdTechのワークショップの様子、パネルディスカッションの様子をレポートしました。
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blog.ict-in-education.jp

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(為田)

授業で使えるかも?:生活の中で見つける問題+その解決策を考える≒プログラミング教育(とそれに代わるもの)

 こないだTwitterのタイムラインに流れてきた、冷水をサーバーに入れる作業の自動化の例が、とてもおもしろいなと思いました(リプライを読んでいると、どこの学校でもやっているみたいですけど)。

 こういうテーマを与えて、問題を設定し、それを解決するというプロジェクトにするのはおもしろそうだと思いました。この例だと、「人がついていないとサーバーに冷水を入れられない」が問題、その解決策を考える、というプロジェクトになります。

 7月から、ドコモ教育ICTセミナーの講師として、東北各県を回っているのですが、先日ある会議室で、下の写真のようなロックを見ました。
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 普通のサムターンを、インターネット経由で機構を動かして物理的に回しています。この機構の部分をブロックなどで作って、プログラミングで解決するプロジェクトを立ち上げてみてもおもしろいのではないかと思いました。「理科室をアプリで解錠/施錠してみよう」とか、できないでしょうか。

 他にも、特急ひたちに乗ったときに、席の上のランプが席の状態によって色が変わるのですが、「空席が赤」「指定席発売済が緑」という色使いについてどう思うか、どういう仕様にすればわかりやすいか、ということを考えたりするのもおもしろそうかと思いました。
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 こうして社会のさまざまな場所で、「ああ、もうちょっとこうできないかな?」と問題を発見し、解決することを考えるプログラミング教育になると、おもしろそうだと感じます。

 僕が個人的に思っているプログラミング教育で実現したいことは、「試行錯誤する習慣」と「問題発見解決能力」と「正解はひとつではない、という思考」です。これらは、プログラミングでなくても身につくけど、プログラミングで学ぶのが速そうだと思っているからです。
 でも、プログラミングがなくても、問題発見と問題解決をベースに置けば、僕がプログラミング教育で身につけてほしいことの多くは、実現するのかもしれない、とこないだコロナビールの缶をまとめるデザインを見て、思いました。

www.forbes.com

 子どもたちが「試行錯誤する習慣」と「問題発見解決能力」と「正解はひとつではない、という思考」を身につけるのに役立つ活動を埋め込んだカリキュラムを、2学期は一つでも多く考えて、設計して、実践したいなと思っています。

(為田)

【メディア掲載】月刊私塾界 8月号発刊

 オフィスに月刊私塾界 8月号が届きました。特集は、「大学入学共通テスト 見えてきた現状と課題」です。学習塾業界としても、非常に大きな問題だ、と感じています。
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 この特集内で、武蔵野大学中学校・高等学校の日野田直彦校長先生のインタビューが掲載されているのですが、以下のコメントが本当に心に響きました。入試だけの話でなくて、教育全般の話としても響くコメントです。

新しい入試は、ぜひ子供たちの失敗が許される入試であってほしいと思います。また入試改革、高大接続改革に携わる人たち、私を含め自戒を込めて『自分の子供にもそれをさせたいか?』という観点を持っていかなくてはならないと、常に思っています。

◆ ◆ ◆

 いつもどおり、為田の連載記事も掲載中です。5月から6月にかけての行動記録です。夏に向けてのいろいろな仕込みをしていた時期でもあります。
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(為田)

教材で使えるかも?:『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』

 リチャード・ベッセル『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』を読みました。ナチスの政権奪取の前、第一次世界大戦の戦後処理から話が始まり、第二次世界大戦後まで、ナチスの戦争が丁寧に描かれていきます。

ナチスの戦争1918-1949 - 民族と人種の戦い (中公新書)

ナチスの戦争1918-1949 - 民族と人種の戦い (中公新書)

 そのなかで、とても気になったのは、以下の部分、反ユダヤ主義を掲げたナチスが選挙で政権を獲る過程での、ユダヤ人組織の指導者のコメントです。ちょっと長い引用になります。

あからさまな反ユダヤ主義は、ナチが大衆の支持を得るためにはさほど重要ではなかったように思われる。もちろん、ユダヤ人に対する偏見、そして一般的に人種主義の姿勢は、1920年代から30年代初頭にかけて多くの活動家がナチ・ムーヴメントに参加する強い動機となった。しかしだからといって、1930年から33年にかけてNSDAP*1に投票した数百万の人々の大多数にも同じことが言えるわけではない。ヴァイマル・ドイツの主要なユダヤ人組織だった「ユダヤ教を信仰するドイツ市民の中央協会(Central Association of German Citizens)」ケルン支部の指導者は、1930年9月の選挙でナチが躍進したことにショックを受け、こう述べている。「650万の[ナチへの]投票者が650万の反ユダヤ主義者だと考えるのは明らかに誤りだ」。むしろこのふたつがイコールでないほうが恐ろしいと彼らは認識していた。つまり、「反ユダヤでないのにNSDAPに投票した人々は、ナチへの支持を思いとどまるほどには反ユダヤに嫌悪感を抱いていないということなのだ」。(p.42-43)

 最後の、「650万の[ナチへの]投票者」イコール「650万の反ユダヤ主義者」ではない。「イコールでないほうが恐ろしい」。なぜなら、「反ユダヤでないのにNSDAPに投票した人々は、ナチへの支持を思いとどまるほどには反ユダヤに嫌悪感を抱いていないということなのだ」という部分は、選挙の怖さということを示しているように思います。

 あまりICTとは関係がないように思われるかと思いますが、ネットでさまざまな政治的メッセージを読めるようになり、Twitterやニュースアプリなどで自分で読むニュースを選べるようになってくると、投票という行動は、どんどん難しくなってきていると思います。与えられたニュースだけでなく、あえて反対意見などを自分で取りに行く、ということをある程度しなければいけないように思います。
 「まあ、ダメだと思う部分もあるけれど…」と思って投票をして、その後、ナチスドイツがどのような道を辿ったのか、ということも含めて、きちんと歴史から学ぶべきだと思います。
 こうした部分こそ、歴史の授業や主権者教育やメディアリテラシーなどのなかで、しっかり考えるべきところだと思います。何か授業の中に取り入れることってできないだろうか、と終戦の日に考えています。

(為田)

*1:国家社会主義ドイツ労働者党。一般にナチス、ナチ党などと呼ばれる。