教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

『学校アップデート ―― 情報化に対応した整備のための手引き』読書感想文大会

 東北大学の堀田龍也 先生と東北学院大学の稲垣忠 先生と宮城教育大学の安藤明伸 先生とご一緒させていただき、弊社フューチャーインスティテュートの為田と佐藤が執筆した書籍『GIGA完全対応 学校アップデート+(プラス)』が2022年5月30日に発売されました。

 おかげさまで、多くの方にお読みいただき、FacebookTwitterなどで感想を書いていただいている方も多く、大変うれしかったです。
 感想をシェアしていただくフォームを作り、「読書感想文大会をしましょう!」という呼びかけに、2件の回答をいただきました。本当にありがとうございます。そのまま全文、掲載させていただきます。大変うれしく、励みになります。

『学校アップデート+』を読んでの感想を教えて下さい。

 最初に、『学校アップデート+』を読んでの感想を伺いました。こうしてお寄せいただいた感想は、僕にとっても非常に学び多いものとなりました。

  • とても読みやすいです。一気に読みました。
    GIGAスクール関連のアンテナの張り方が、どこか欠けてないか?とチェックするのにも適していると思います
    確かに、キャリパスのデジタル化とか始めたいですよね

    環境面が揃ってきて、端末の活用頻度も上がってきたら次こそ本丸。情報活用能力の育成ですね

    鴨居中の話題が出てきた時には、ニヤっとしてしまいました(千葉和昌@仙台市立虹の丘小学校)
  • 前回同様、わかりやすく、様々な情報がまとめられていて、非常に読みやすかったです。改めて前回の「学校アップデート」と今回の「学校アップデート+」を読み比べてみると、この間に随分学校も社会も変わったなと感じました。私の会社もそうですが、以前は対面でないとできないと思っていたことの多くが、「あれ?実はオンラインでもできるじゃん。」「オンラインにはオンラインの良さがある」と社会全体が気づいたことは大きかったと思います。私自身、クラウドの良さなどは使ってみて初めてわかったことが多く、その便利さがわかって初めて色々な使い方ができるようになったので、最近は「使うことが目的ではない。でも最初は使うことが目的でもいい」とも思うようになりました。取り上げていただいたデジタル教科書の活用についても、どうしてもこれまでは特定の時間でしか使えない特徴的なキラーコンテンツの活用事例ばかりがクローズアップされている傾向にあるように思いますが、もっと、デジタル化されてクラウドで利用できるようになったことによる、「日常的に教科や場所を問わずできる実践事例」のようなものを発信して行けたらと思っています。(清遠@東京書籍)

あなたが必要だと考える「学校アップデート」を教えて下さい。

 「『学校アップデート+』を読んで、あなたが必要だと考えた「学校アップデート」を教えて下さい」を2つめの問いとしました。

  • 子供たちと一緒に外の世界と繋がり、学ぶことを楽しむ先生が増えて欲しい。GIGA端末を使ったらそれがもっと簡単に、かつ頻度高くできるような気がします。(千葉和昌@仙台市立虹の丘小学校)
  • 自分は学校の人間ではないので、おこがましいですが、「学校アップデート」というのは学校だけでできるものではないと思っています。学校がどれだけ頑張って変わろうとしても、保護者や地域(社会)がそれを許してこなかったということもあるように思います。もっと社会全体として、違いを楽しんだり、失敗を歓迎したり、完璧を求めすぎない寛容さを持てるようにしていかないと、学校や先生も苦しいのではないでしょうか。教育に関する様々な人の取り組みや頑張りが、もっと保護者や社会に伝わるようになって行ってほしいと思います。(清遠@東京書籍)

 こちらでいただいた回答からは、企業人としてだからこそできるやり方で、学校と社会を結んでいく仕事をしていこう、と改めて思いを強くしました。この「教育ICTリサーチブログ」も、そのためのメディアとしてより役に立つようになっていければいいな、と思います。

 感想文をお寄せいただきました、千葉先生、清遠さん、どうもありがとうございました。

(為田)

宝仙学園小学校 授業レポート まとめ(2022年5月16日)

 2022年5月16日に宝仙学園小学校を訪問し、3年生と4年生の授業の様子を参観させていただきました。一人1台のiPadを活用して、ロイロノート・スクールやMonoxer(モノグサ)を利用している様子をレポートしました。

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(為田)

書籍ご紹介:『ジェネレーター 学びと活動の生成』

 一般社団法人みつかる+わかる代表理事の市川力 先生と慶應義塾大学総合政策学部教授の井庭崇 先生の共著『ジェネレーター 学びと活動の生成』を読みました。市川先生も井庭先生も、学びの現場でたくさんの子どもたち・学生たちとともに学び、何かを作り出す(=ジェネレートする)ことをし続けている方々なので、実践的なノウハウをたくさん知ることができました。また、その背景にある「考え方」についても知ることができ、「子どもたちと一緒に何かをジェネレートしたい!」と思ってしまう本でした。

 興味深かった部分をメモとして公開したいと思います。まずは、本のタイトルにもなっている「ジェネレーター」に関わるところから。井庭先生は、ここ100年の社会の変化を、消費社会(中心となるのはConsumption)→情報社会(中心となるのはCommunication)→創造社会(中心となるのはCreation)と言っています。このなかで、ジェネレーターが創造社会において重要になるというのが最初に書かれていました。

ジェネレーターは、まさに、この創造社会において重要な役割を担う。社会の変化に連動して、学びのかたち、教育のかたちが変わるため、教師の役割の重点も変わっていく。創造的な時代における学び・教育には、ジェネレーターが欠かせないのである。(p.42)

 実際に、「創造社会」の時代がどんなものなのかということがさまざまな形で書かれているのですが、個人的には、問題にどう取り組んでいくのかというところに関して井庭先生が書かれていた部分が印象的でした。少し長いですが、引用します。

これからの創造社会は、(略)声を届けて誰かに変えてもらうのではなく、自分たちで変えていくのである。これが、ジェネレートだ。アイデアをジェネレート、つまり、アイデアをどんどん生成・連鎖させていくのである。「頼む、変えてくれ!」ではなく、「こうしたらよいのではないか?」「なるほど、それならこういうやり方もあるね」「いいね、さらにこれもできそう」とどんどんアイデアを出してつなげていく。これが、ジェネレートだ。このようなジェネレートは、リアルに対面して行われるコラボレーションだけでなく、インターネットで遠く離れた多数の人たちと非同期に行われるコラボレーションも活発に行われるようになるだろう。
そして、現状においてイグジットが起きにくいのは、どこも似たようなもので、イグジットしてもたかが知れているからである。また、グローバルな社会問題として、地球が温暖化で住みにくくなったからといって、地球からイグジットするなんてこともできない。イグジットがうまく機能しないのである。
それであれば、いまあるものの別のものに移るのではなく、新しいやり方や新しいあり方をつくって、そこに移行すればいい。これは、現状からのイグジットではあるが、ハーシュマンが想定したような、横移動のイグジットではなく、現状にもう一レイヤー加えた上で、そこに移動するのである。その場の意味を捉え直すことによって、まったく新しい場として再定義してしまう。そういうことが、イグジットに変わるリフレームだ。
このようなジェネレートとリフレームをどんどん巻き起こしていくために重要となるのが、ジェネレーターなのだ。例えば、学校にジェネレーター的教師が集まることで、いろいろなアイデアをみんなで出しあい、その中に入り込み、同じプロジェクトの参加者として一緒にアイデアを出して盛り上がり、発見の連鎖をジェネレート=生成し続ける。すると、ただの学校ではなくなってしまい、なんだかすごくワクワクする実験場のような場にリフレームされる。そういうことが、ジェネレートとリフレームによる変革だ。(p.99-100)

 「学校にジェネレーター的教師が集まる」ことで、学校を変えていく、みんなで社会を変えていくための学びの場になる、というのは素敵だと感じました。先生の役割が、ティーチャーから、ファシリテーターに変わっていく、というのはよく言われることですが、さらにその先にジェネレーターになっていく、というのは非常におもしろいと思いました。実際に「子どもたちと一緒に何かをジェネレートしていく」授業の形は素敵だと感じます。

 子どもたちと「一緒に何かをジェネレートする」ことについて、市川先生もご自身のワークショップの様子を紹介しながら書いていました。ジェネレーターという存在がどんな感じなのかがわかります。

ジェネレーターという存在は、子ども「を」つかんで元気づけているわけではない。子ども「と」一緒に「見えないなりゆき」を「つかもう(GRASP)」としているのだ。どこに向かうかあらかじめ読めないなりゆきを追いかけるのはなかなか大変だ。そのときに率先して「発電」して面白がり、必死に手を伸ばして「GRASP」しようとする姿を見せている。すると、子どもにも「電気」が伝わって、みんなで「GRASP」し始めるのだ。(p.117)

 また、井庭先生の大学の研究会(ゼミ)での活動で、ロゴを学生たちと一緒に作った様子が書かれていました。大学での事例ですが、小学校・中学校・高校でも活用できる部分はあるのではないかと思います。

教員である僕も「よりよいものをつくり出すチーム」のメンバーの1人として、ロゴをつくるということに真摯に向き合い、自分の案も出し惜しみせず投入するように全力を尽くす。学生がやっているから学生が出すアイデアよりよいものを出してはいけないとか、アドバイスすることだけに徹して学生自身が発想できるように促すというようなホールドはしない。アイデアが生まれなければメンバー(学生)と一緒に何日でも苦しみ抜く。「一緒に悩む」ということもジェネレーターとしての教員の大事な役割だと言えるだろう。
こういう話をすると、決まって、「これでは学生がやったのではなく、先生がやってしまったことになりませんか」という質問をする人がいる。気持ちはわかるが、ともにつくるコラボレーションでは「誰が」は重要ではない。アイデア・発見が生成・連鎖することで、何かがつくられる。そこに貢献する人が、メンバーだったりジェネレーターだったりする。それだけだ。
つまり、あるアイデアが取り入れられるのは、「そのアイデアがよかったから」なのだ。アイデアの良し悪しに、それを考えた人の立場や肩書きは関係ない。良いものはよいし、悪いものは悪いのだ。あるアイデアを学生が出したのか先生が出したのかを気にしている人は、そういう立場・肩書きを意識しすぎていると言えるだろう。そういう社会的(ソーシャル)な次元ではなく、創造的(クリエイティブ)な次元で捉えるべきなのだ。
次に出てくるのは、「先生がアイデアを出してしまったら、どう学生を評価するのですか?」という質問だ。これも、評価ということを軸に考えすぎている。「つくる」ことそのものではなく、「評価のためにつくらせる」になってしまっている。そうではなく、ここでいま取り組んでいることは、「適した良いロゴをつくること」なのだ。個別にあるいはグループのパフォーマンスを評価し、成績をつけることが中心ではない。(p.146-147)

 小学校でも中学校でも高校でも、先生も一緒になってジェネレートしていく場を作るのは、PBLの授業やプログラミングの授業など、いろいろな場面でできるのではないかと思います。ICTをツールとして使うことで、ジェネレートできることはより幅広くなると思います。
 一緒にジェネレートすることになると、「おお、そんなこと考えてるんだね!?」とか、「そのアイデア、すごくいいね!」と思うことはたくさんあると思います。ジェネレーター的な先生のそうした言葉や、アイデアで判断をするマインドは、子どもたちの学びを加速させる力があると思います。

 子どもたちと一緒に何かをジェネレートする授業、自分でも作ってやってみようと思います。

(為田)

教材で使えるかも:素数を探すトレーニング「Prime Smash!」

 2022年6月18日に参加した、日本私学教育研究所 主催の「全国私立中学高等学校 私立学校専門研修会 教育課程部会」の基調講演の後に開催された、午後の分散会で数学の先生が授業で使っているアプリとして紹介していた「Prime Smash!」をインストールしてやってみました。Prime Smash!は、素数を探すトレーニングができるアプリです(素数は、英語で「Prime number」)。

Panasonic Prime Smash!

Panasonic Prime Smash!

  • Panasonic Holdings Corporation
  • ゲーム
  • 無料

 レベルはいくつかありますが、「ビギナー」「ノーマル」「ハード」「エキスパート」と「エンドレス」の5つから選べます。画面に数字が描かれたボールが出てくるので、素数をタップするとその分スコアが上がっていきます。

 素数でないものは、数字をスワイプするとボールが約数に分かれますので、素数になるまでボールを割って、素数になったらタップします。素数でないものを間違ってタップすると、その数字の分、スコアが減ります。

 どんどん練習していくとスコアが上がっていくのがおもしろいです。7とか11とか13くらいまでの小さい素数であれば覚えていますが、大きい素数はほとんど覚えておらず、練習するごとに「ああ、これも素数か!?」ということがありました。100を超えたらほとんどあてずっぽうになってしまう自分を知りました(199が素数、と、このPrime Smash!で覚えました…)。
 大きい数字ほど、スコアも大きいので、レベルが上がるにつれてスコアもどんどん上がっていきます。

 新しく出てきた素数をタップできると、「あつめた素数」としてスコア画面の後にまとめて表示されます。これをじっくり見ていくと、素数の感覚が育めるような気がします。「あつめた素数」の数が一定数まで達すると、上のレベルでプレイできるようになります。

 コラムには、「双子素数」や「EMIRP=エマープ(逆から読むと別の素数になる数字。13と31のように)」「回文素数(逆から読んでも同じ素数。11や131)」なども紹介されています。

 操作方法が非常に簡単なのと、数字に親しむということが簡単にできる算数/数学のアプリとして使うと子どもたちはどんどんやっていくのではないかな、と思いました。素数の感覚が養えるのもそうですが、素因数分解が速くなりそうです。

 おもしろいアプリを紹介してもらったなと思いました。ときどき開いてやってみたいと思います。

(為田)

日本私学教育研究所 主催「全国私立中学高等学校 私立学校専門研修会 教育課程部会」基調講演レポート(2022年6月18日)

 2022年6月18日に、日本私学教育研究所 主催の「全国私立中学高等学校 私立学校専門研修会 教育課程部会」にて基調講演をさせていただきました。北は北海道から、南は九州まで、120名を超える先生方が参加される会でした(前日の6月17日には、6年ぶりに常翔学園中学校・高等学校を訪問し、授業を参観させていただきました)。

 基調講演のテーマは「学校のデジタル化は何のため? ICT導入における"目的設定"の重要性」でした。中学校・高校でのICT活用の事例を紹介しつつ、教育ICT利活用の目的9類型についての話をさせていただきました。
 また、参加者の先生方から事前に質問もいただいていたので、それに答える形でスライドも作成しました。本質的な質問を多くいただいたため、自分自身にとっても非常に学び多い機会となりました。

 ひさしぶりに再会した先生方も(つかの間の再会の方も)、初めて名刺交換をさせていただいてSNSで繋がった先生方もいらっしゃいました。全日程が終了した後、Facebookにて感想を聴かせてください、と依頼したところ、次に繋がるコメントをいただきましたので、転載します。感想をお書きいただいた先生方、本当にありがとうございます。

本日はご講演ありがとうございました。ICTの導入を目的にしてはいけなくて,なぜ導入するのか,その目的を明確にしないとうまくいかないと言うのはその通りだと思います。
ここに集まっているようなリーダー層が,導入の目的(ビジョン)を言語化して話せるようにすることが大事だと考えています。ビジョンを言語化するには考えることはもちろんですが,実際に授業も見に行き,そこで行われていることの目的や意味を説明できるようになることで語るビジョンもさらに強化されるはずです。
今回の講演を聞いて,各校のリーダー層が改めて各校の目指すビジョンを見つめ直し,言語化して学内・学外に語ってほしいと思います。
導入を進めると必ずご意見やクレームが寄せられますが,その時にリーダー層がビジョンを語れないと現場はハシゴを外されることになります。
私は結構頷きながら伺ってましたが,腕組んで難しい顔の方も少なくなかったことに少し不安にもなりつつ,きっと多くの方には響いたのではないかと信じています。(エグゼマンさん)

 おっしゃるとおり、リーダー層が改めて「ICTを活用する目的を言語化すること」は本当に大切だと思います。リーダーがしっかり言語化して学内に共有してくれていることで、着実にICTの活用を進めていくことができると思います。

とても参考になりました!ICTの在り方について再認識することができました。
小学校の授業での実践を聞いていて、ただ使うのではなく、目的が明確化した上で、使用シーンに応じた使い方が必要なのだと感じました。あくまで主体的で対話的な学びのための活用であって、使うことが目的ではないということは本質的ではないと強く思います。そして目的をはっきりとして、それを全体で共有していくことは絶対に欠かせないと思いました。本校は導入することや使うことを目的としていて、本来のICTのあり方からズレていたかもしれません。もう一度本校にしかできないICTのあり方を全体で検討し、生徒の学びに焦点を当てたICTの利活用をしていきたいと思います。

 僕は、最初は、導入することや使うことを目的にしてもいいと思います(でないと、現実的に使うシーンが増えていかないので)。ただ、そこで止まってしまっている学校も多いので、その先の「本来やりたい使い方=ICTで達成したい目的」を共有することが大事だと思っています。ここまでやれている学校がまだまだ少ないのが現状だと思っています。そうして、最初は使うことが目的だったかもしれないけれども、だんだん授業が変わっていくことで、子どもたちの思考や表現のツールとしてICTが位置づけられていくと思っています。

 今回の講演では、全体的な「学校のデジタル化は何のため? ICT導入における"目的設定"の重要性」についてお話をしましたが、それぞれの学校ごとに、それぞれの学校の目標があり、それぞれの学校にあったICTを活用する目的があり、それぞれがの学校にあったICTの活用方法があると思います。それを探すための手助けになればいいな、と思っています。

 講演終了後に、たくさんの先生方と名刺交換をさせていただきました。もし、今回のお話に関心をもっていただいて、「校内研修なども話してもらいたい」という学校がありましたら、ぜひお声掛けいただければと思います。それぞれの学校でのICTの環境、授業の様子、学校の文化に寄り添った形で、ICTを活用して学びを変えていくためのお手伝いができればと思っています。

◆ ◆ ◆

 「講演を聴きながら、本をポチりました」という先生も何人かいらっしゃいました。本当にありがとうございます。先生方のお役に立てれば、とてもうれしいです。

(為田)

教材で使えるかも:700種類のタイピングゲームができる英語サイト「TypeTastic」

 タイピングの練習ができるサイトを探していて、700種類のタイピングゲームができるサイト「TypeTastic」を見つけました。タイピングが速い子を教室で見ることが増えてきましたが、しっかりホームポジションを使っている子はまだ少数派だな、と思っています(子どもだけの話でなく、大人でも同じですが)。
 TypeTasticは、英語のサイトなので英語の勉強にもなるかもしれない、と思うのと、余分な情報が入ってこないのがいい、という先生もいるかもしれないな、と思います。

 「Start Learning」のボタンを押すと、「K-2 Elementary(未就学~2年生)」「Upper Elementary(小学校 中学年~高学年)」「Middle & High(中高生)」というふうにレベルを選べます。
 それぞれのレベルにたくさんのユニットがあって、それぞれ違うゲームになっているので、子どもたちも飽きずに続けられるかもしれないと思いました(とはいえ、すべてタイピングゲームではありますが…)。

typetastic.com

(為田)

書籍ご紹介:『アメリカ音楽の新しい地図』

 NHKで放送していた「星野源のおんがくこうろん」でトシ解説員をされていた、大和田俊之 先生の『アメリカ音楽の新しい地図』を読みました。

 目次を見ると、テイラー・スウィフトブルーノ・マーズラナ・デル・レイ、チャンス・ザ・ラッパー、ケンドリック・ラマー、カーディ・B、BTSとずらりと並ぶアメリカのヒットチャートの常連の皆様…。個人的には聴くアーティストも聴かないアーティストもいるのですが、アーティストを取り巻くアメリカ社会のことを知れたのがすごくよかった。また、社会との接点を知ることで、より音楽を聴く楽しみも増えた(さっそくSpotifyで検索して聴いてみたりもしちゃいます)。

 最後の章である「10 パンデミックアメリカ音楽」には、学校とテクノロジーパンデミックの話が触れられていた部分がありました。1918年のスペイン風邪パンデミックと2020年から続く新型コロナウイルス感染症とを比較しながら、パンデミックによる社会の変化と新しいテクノロジーの登場が書かれていて、これが学校へのICTの導入と新型コロナウイルス感染症との関係になぞらえて考えさせられました。
 1918年にも学校は閉鎖されていて、そのなかで新しいテクノロジーであるフォノグラフやプレイヤー・ピアノがどんなふうに迎えられたのかが書かれていました。

フォノグラフやプレイヤー・ピアノは、まず第一に劇場などのライブ演奏の代替物として宣伝されている。パンデミックで現実的に生演奏に触れる機会が失われてしまったが、レコードやピアノロールのサウンドでそれに限りなく近い体験が家でも可能だというのだ。だが当時の新聞などを詳細に分析すると、これらの新メディアには別の意味や機能が期待されていたことがうかがえる。たとえばスペイン風邪第三波の渦中、ケンタッキー州ルイヴィルの新聞には公立学校でレコードを使用した新しい音楽の教授法が紹介されている。「新しい授業法のもとで学んだ生徒の急激な進歩が披露される」とする記事からは、フォノグラフをライブ演奏の再現装置というよりは、プロの音楽家ほど歌や演奏技術に恵まれていない一般の音楽教師の代替物として利用しようという教育委員会の意図が垣間見られる。

公立学校の教師が全員、子供達に教えられるほど演奏や歌に熟達しているわけではないし、そうしたことも期待されていない。もっとも優れた教員ですら、音程が外れてしまうかもしれない。だが最良の歌手と最良の音楽のレコードがあれば、教師の資質がどうであれ、スタンダードな教育を与えることができる。

つまりここでレコードは、現実の教師に代わる存在――その場所に身体的に実在するわけではないが、音楽を教授するもの――として想定されている(それはたとえば、現代の、というか少し前の時代の比喩を用いれば、予備校の人気講師のサテライト授業に相当するかもしれない)。さらに興味深いのは、フォノグラフによっては音楽を鑑賞するためではなく、使用者自ら音楽を演奏/操作する機能が強調される点である。とりわけトーン・コントロール機能がついたヴォカリオンの付属パンフレットはこの点をアピールする。「この素晴らしい新機能――グラデュオーラ――によって、エオリアン・ヴォカリオンは音楽表現が可能な機器(instrument)となったのです。あなた自身が演奏(play)できる楽器(instrument)として、音楽的なアイディアや感情を表現できるのです」(p.224-225)

 テクノロジーによって演奏が変わる、という話は僕はとても好きです。自分が楽器をほとんど演奏できないからこそ、「演奏できないけど楽しめる」というのが素晴らしいと感じるからだと思います。5年前に古河市で見た電子打楽器奏者 MASAKingさんのステージを思い出しました。
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 こういう観点から、GarageBandをはじめ、いろいろなデジタルのクリエイティブツールを捉え直すのも必要だと思います。

 また、コロナ禍のなかで、オンラインゲーム「フォートナイト」でライブ活動が行われたことなども紹介されていました。

1918年のインフルエンザ流行時も、2020年の新型コロナウイルス感染症流行時も、学校や教会、そして劇場は閉鎖された。集会それ自体が感染爆発を誘発するとされ、やがて人々は互いに近づくことさえ避けるようになるだろう。パンデミック下のアメリカでアジア人/アジア系へのヘイトクライムが急増したように、100年前の戦時中もウイルスと敵国が同一視され、排外主義が強まった。身体接触を伴う新しいダンスステップの野蛮さすら感染症に例えられるのだ。人が集まることを前提とするライブエンタテインメントは危機的な影響を受けるが、いずれの時代も新しいテクノロジー――それはフォノグラフでありプレイヤー・ピアノであり、オンラインゲームでもある――を駆使して、脱身体化されたライブ体験の可能性が追求された。私たちはいかにして身体を用いずに集合し、ライブを楽しめるのだろうか。目に見えないウイルスを恐れる私たちは、身体を喪失させながら、それでも他者と触れ合う感覚を研ぎ澄ませ、現実を塗り替える新たなテクノロジーの誕生を夢想するのだ。(p.229-230)

 パンデミック下で、テクノロジーを使ってどのようにコミュニティのなかで生きていくのか、ということを考える機会になりました。
 …と、書きましたが、この『アメリカ音楽の新しい地図』のメインはあくまで、アメリカ音楽です。アメリカ音楽の新しい聴き方を知りつつ、パンデミックとテクノロジーと学校のことを考える機会になりました。

(為田)