2018年9月9日に、School 5.0 Camp: OST(オープンスペーステクノロジー)で<教育から社会を変える>ワークショップに参加しました。昨年夏にedcamp飯舘でご一緒した都留文科大学の野中潤先生にご紹介いただいての参加でした。野中先生からは、次のようにこのワークショップを紹介されていました。
学校から少し距離をおいた方々(高校を中退して学びの場を社会に見出して生きている若者とか、不登校の子どもたちに向き合っているNPOの方とか、教員をやめて教育系のベンチャーで働いている人、情報系の企業から私学の教員に転じた方…などなど)に集まってもらって、学校教育の「再定義」をしてみようという会です。
まさに、野中先生の言葉通り、19名の参加者の皆さんは、とても多様で、いろいろな視点から学校教育を見つめ直す機会になりました。
主催者は、株式会社HRTの大川恒さん。大川さんのファシリテーションで、みんなでチェックインをして、それぞれにどんなバックグラウンドをもっているのか、どんな興味でここにいるのか、などを話し合いました。
今回のテーマとして出ていたのは、「School 5.0」。学校(教育)のアップデートについて、でした。
最初に野中先生による「School 5.0を想像する前に」と題したプレゼンテーションがありました。そこでみんなで見たのは、Prince Ea の「I JUST SUED THE SCHOOL SYSTEM(学校システムを告訴する)」でした。
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OST(オープンスペーステクノロジー)について
この動画を見た後で、4人~5人のグループで1ラウンドだけのワークショップをしてから、いよいよOST(オープンスペーステクノロジー)のスタートです。
OSTは初体験でしたが、edcampととてもやり方が似ていると思いました。19人が丸く座って、話し合いたいテーマをみんなにプレゼンし、テーマオーナーになります。
今回は、テーマオーナーが5人出て、その後で参加者が自分たちで、どのテーマに参加するかを名前を書いてエントリーするのでした。僕も、「公教育に残すべき役割は何か?」というテーマを立てたので、何人エントリーしてくれるのだろうか…とドキドキします。
OSTでおもしろいと思ったのは、最初に大川さんが説明してくれた4つの原則です。
- 参加してきた人は誰であれ適切な人である
- 何事においても偉大な結果を出す人は、その問題を大切だと考え、自ら進んで参加してくる人々なのだ。
- 何時始まろうと、その時が正しい時である
- スピリットは時計に従って動くものではない。だから我々はここにいる間は、いつ出現するかもしれない偉大なアイデアや新しい洞察に注意を持って集中していくことが求められる。
- 何が起ころうと、それが、起こりうるべき唯一のことである
- こうありえたかもしれない、こうだったかもしれない、こうあるべきだったという考えは捨てて、今現に起こっていること、現在可能になってことなどの現実に全神経を注ぐことが大切だ。
- 何時終わろうと、終わったときが終わりである。
- 与えられた課題に取り組むのにどれほどの時間が必要かわからないので、恣意的に決めたスケジュールに従うのではなく、仕事をやり遂げることがより重要だということ。
また、途中でテーマから抜けて他のところに行ってもいいようになっています。これを「移動性の法則:どのように時間を使うかはあなたの責任である。グループの中で貢献できていなかったり学べていないなら、自分が学んだり貢献できるところに移動すべきである」というそうです。これはテーマオーナーにはなかなかのプレッシャーです。
OSTについては、大川さんの著書がありますので、こちらをぜひ読んでみたいと思います。ワークショップの進め方として、非常に興味があります。
OSTで考える「公教育に残すべき役割は何か?」
僕を含めて、のべ7人か8人で作り上げた議論の結果を撮影しました。ひさしぶりにこんなに板書をしました(授業をやってもほとんど板書しないので…)。ざっとポイントを思い出せる限り、メモしていきたいと思います。濃密なディスカッションだったので、聞き間違いなども多い用に思いますし、僕の勘違いもあるかと思いますので、間違いがありましたら許してください。
- 公教育は、「共同体へのパス path」だと思う。
- ミニ社会。
- 公教育があるからこそ、家庭でのしつけを乗り越えることができる。
- 最低限、身につけてほしい知識やスキルがあるのではないか?
- ネットでのコミュニティは、自分に親しい人ばかりで集まらないか?(ミニ社会だからと言って、理不尽を我慢しろ、というのとはまったく違う!)
- 教科書の内容は、動画で学べばいいのだろうか?
- わからない子は先生がサポートする。
- 知識を伝えるのは、動画でもなんでもいい。ただのTeaching。その前後の、「動機づけ」は先生の仕事。知識を学んだ後に「どう活用するか」という協働の場を作るのも先生の仕事。
- 協働する場を用意できるのは学校ならではなのではないか?
学校教育がPrince Eaに訴えられている動画を見た後ではありましたが、僕は学校教育にまだまだ期待をしています。公教育こそが、共同体への入り口であると思っているからだと思います。だから、「いっそなくなってもいい」とかをあまり思っていません。
ここから、「逆に、学校から排除すべきものって何でしょう?」という話になりました。
学校から排除すべきものは?
- 学年
- いろいろな子がいるのに、年齢だけで学年を作る必要はない。
- 共同体として、子どもたちのことを見ている先生がいるクラスは必要なのではないかと思う。
- ただし、柔軟に出入りができるクラス。また、複数のクラス(ときにはクラブなども含めて)=共同体に参加できるようにする。
- 学んだ成果を測るためには、テストはいるだろうか?昇級試験的なものでいいか?「できるようになりました」という自己申告でいいか?
- 教科の枠組み
- 国語、算数、社会…などの教科の枠組みがもう時代に合っていないのではないか?
- NHK BSで見た、コレージュ・ボー・ソレイユという全寮制のスイスにある学校では、5つのテーマ(Adaption、Discovery、Risk、Respect、Tradition)に基づいて、それぞれのテーマに沿って社会や数学の授業が行われていた。→小学校だったらやりやすいかもしれない。
- 指導要領を先生が読むのは大変。だったら、教科書会社の指導書がこういう書かれ方になる方が、先生方にとっては教え方を変えやすいのではないか?
- Teacher
- 運動会などの行事
- プロジェクト学習(PBL)で、主体性をもってやれるならば、いいのではないか?
- 給食?
学年をなくすと、発達や習得の目安を何らかのことで測らなければならない。このあたりは、実はデジタルが強いところでもあるのかな、と思いました(だからといって、先生がいなくてもいい、学校がなくてもいい、というのではまったくない)。
このへんについては、C.M.ライゲルース・J.R.カノップ『情報時代の学校をデザインする 学習者中心の教育に変える6つのアイデア』が参考になると思います。
blog.ict-in-education.jp
最後に、学校は文化をもつことができるのではないだろうか?という話になりました。
- イベントを生徒が作っている学校
- 児童生徒が「学びが楽しい!」と思える学校/児童生徒が自分で学べるスキルをもっている学校
こうした文化を学校が作っていくことができるのであれば、家庭で保護者がこうしたことを教えられない場合でも、学校でこの文化に触れることで、子どもが変わることができるのではないかと思いました。
まとめ
OST、初体験でしたが、本当に楽しかったです。最後に、5つのグループのまとめプレゼンテーションがありましたが、そこでは基本テーマは同じで、でも少し違う考え方をたくさん知ることができ、「もっと考えてみたい」と思わされるものがたくさんありました。
今回のこのメンバーでやったからこそのディスカッションであり、非常に勉強になりました。ひさしぶりに他の人のファシリテーションでワークショップに参加しましたが、本当に学びが多かったです。
学校教育を信頼しつつ、変えるべきところを変え、残すべきところを残し、今の学校教育に少しずつAdd-On(アドオン)しながら、アップデートしていく仕事をしていきたいと思いを新たにしました。また明日からがんばります!
イベントでご一緒した皆さん、主催の大川さん、ご紹介いただいた野中先生、本当にありがとうございました。
(為田)