教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするために、現場目線での情報発信をしていきたいと思います。

書籍ご紹介:『What School Could Be』

 Ted Dintersmith『What School Could Be』をZoom読書会をきっかけに読みました。もともとは、東北学院大学の稲垣忠先生から、「読書会しますけど、参加しますか?」と投げかけられたのに、「ぜひ参加したいです!」と手を挙げて参加したもの。こういう機会を捉えなければ、まあ英語で教育書を読もうなどというモチベーションは湧かなかったと思います。

What School Could Be: Insights and Inspiration from Teachers across America

What School Could Be: Insights and Inspiration from Teachers across America

 そもそものスタートは、著者が良い教育を求めて、アメリカ各地の学校をめぐる、というものでした。そういった成り立ちを知らないまま、自分の担当章である第6章 Social Equityを読んだので、「事例がたくさん紹介される本だな…」という感想だったのですが、まさに全編、アメリカのさまざまな学校を紹介している本でした。

 Zoomを使った読書会を実施。全10章あって、1人1章を担当してレジュメをFacebookグループのページで共有。Zoomで全員が集まらなくても、最大人数が集まる範囲で開催し、章の登場順が早い人から順にレジュメを画面共有して説明し、そのあとでディスカッション(わからないところの整理や、追加情報の整理なども)を行いました。こうした形での読書会に参加したのが初めてだったので、非常に勉強になりました。
 僕がしたメモは以下のような感じのものでした。

『What School Could Be』第6 章 Social Equity 社会的公正

  • すべてのアメリカ人にとって、公正なチャンスを持っているという原則が重要。
  • 1954 年、ブラウン対教育委員会裁判:
    アメリカ合衆国における人種分離政策について、アメリカ合衆国最高裁判所が行った裁判。黒人と白人の学生を分離した公立学校の設立を定めたカンザス州の州法は、黒人の子供の平等な教育の機会を否定していると宣言し、単刀直入に「人種分離した教育機関は本来不平等である」と述べた。この勝利は人種統合と公民権運動への道を開いた。(ブラウン対教育委員会裁判 - Wikipedia

    国民が公正なチャンスを持つという原則は実現されたようにも思われるが、まだ実現されていない。
  • 評価のギャップを埋めるための教育政策が取られている。評価は、真正な成果でなく、共通テスト(Standardized Test)の点数に基づいている。持っているデータを使って評価しているだけ。
  • 成績の違いは、親のモチベーションの違いなのではないのか?エスニックグループや所得の違いなどで、成績に違いが出る。
  • 問い:
    学校へ行けば、すべての子どもたちの学びは促進されるのか。真正な成果のギャップを埋められるのか。


事例紹介:Jackson, Mississippi

  • Lanier High School公民権運動のリーダーらを生み出した由緒ある学校だが、いまは荒廃。
    • 予算は生徒一人あたり10000 ドルを切り、先生を募集できない。
    • 優秀な生徒は出ていく。
    • 多くの新入生は、読解力で数年単位で遅れている。
    • ドロップアウトが40%、ほとんどがアフリカン・アメリカン
  • Ridgeland High School
    • Lanier High のすぐ近くにあるが、恵まれた施設。
    • ここでは、違いは人種ではない(アメリカではそういうケースは多いが)、生徒の多くは人種的にはマイノリティ。分断の理由は、収入。


事例紹介:Roseville, Minnesota

  • 43歳でミネソタ州の教育長になった、Brenda Cassellius。
  • 多くの子どもたちが、使いもしない数学の問題を解けなかったから卒業できていない。
  • そんな状態を打破すべく、行政の方で働きかけて実現したものの、先生方がそれを享受しない。象のたとえ:長い間鎖に繋がれている象は、鎖から解き放たれても自由に動いたりしない…。


事例紹介:Alaska

  • 卒業率低い。
  • コミュニティは中央から独立しているのに、教えられる内容は中央に準拠したものになっている。


事例紹介:St.Louis, Missouri

  • ロボティクスの大会FIRST。チームワークを発揮することは、教室ではカンニングになる。だから、正課ではなく、放課後の活動になる。そこには、先生はいない。コーチがいるだけ。
  • ただ勝ち負けを争うだけではない。参加者間での協力もある。多様なチームが参加することによる世界の広がりもある。
  • FIRSTは、少なくとも年間で10000ドルはかかるし、100時間を超える大人のサポートが必要。誰もがアクセスできる大会ではない。実際、会場を見ても、黒人やヒスパニックの学生はほとんどいない。
  • Hilltopという施設で教えている先生。学校を実世界(real-world)の環境に合わせたいというチャレンジをしている。また、Hilltopがテストの成績について気にせず、大きな自由を与えてくれていることに感謝している。「通常の学校では、もし本当に子どもに寄り添おうと思ったら、職を失うリスクがある」←OMG


事例紹介:Hanover, New Hampshire

  • テストができないからと言って、人生がうまくいかない、というふうにたった12歳の少女に刷り込んでしまっている…


事例紹介:Augusta, Maine

  • 世界で最も豊かな国であるアメリカで、200万人がホームレスに。シェルターなどで暮らす。シェルターは定期的に出なければならない(継続利用ができない)ので、そのたびに教育の継続性は失われる。スクールバスがシェルターの前に迎えに来るので、ときにからかいやいじめの対象にもなる。
  • スマホなどももっていないので、図書館へ行かなければならない。(まあ、図書館でアクセスがあるだけでも…)
  • ホームレスの子どもたちは、逆境と戦い抜くスキルに長じることとなる。


まとめ

  • アファーマティブ・アクションによって、マイノリティが下駄をはかされて上の学校へ行っている状況→社会的公正を実現しようとして、逆差別
  • 大学には、裕福な子弟が入学している。貧困層から、エリート校への入学は非常に少ない。SATを、「Student Affluence Test」とWall Street Journalが揶揄していたり。
  • 貧困から身を立て、大学を卒業して、成功するというストーリーは非常に良いものだが、残念ながら現在のアメリカはそうした状況にはない。テストの点数のギャップが示しているのは、社会的な不平等が学校の問題/教室の問題になっているということ。
  • 成果(Achievement)は、クロスワードパズルや数独のような共通テストの成果ではなく、現実世界の問題に挑戦したかどうかによって測られるべき。向き合うべきギャップは成績のギャップではなく、我々が貧しい家庭の子弟と裕福な家庭の子弟と、それぞれを教育するのにかけている時間やお金のギャップだ。
  • ある先生が言った「もし家畜の牛が飢えてやせ細っていたら、重さを測ったりしないでしょう?まず餌をあげるよね」という言葉は、いろいろと考えさせられるな。

 他の章のレジュメも非常に参考になりました。洋書なので、ちょっと全部を読み通すというのは無謀か…と自分でも思っていましたが、レジュメを頼りに、気になったところだけ頑張って読む、というのならばできそうです。

 こうした形式で読書会ができるのだとすると、学校の教室という場で集まってすべきことは何なのか、本当に問われるようになるなと感じました。

 『What School Could Be』については、2018年6月10日に千代田区麹町中学校にて行われた、FutureEduさん主催の講演会の様子をYouTubeで見ることができます。こちらもぜひチェックしていただければと思います。
www.youtube.com

(為田)