荻原彰『人口減少社会の教育 日本が上手に縮んでいくために』を読みました。2019年には、いろいろな都市へ行く機会があり、現地を歩いて先生方と話をしました。そうすると、東京とは全然違う風景が見えたりします。「人口が減る」というのは、東京よりもずっと地域の風景を見る方がずっと実感が湧きます。「人口が減る」ということは、経済にも社会にも大きなインパクトがあることなので、そこについて学びたいと思い、ひさしぶりにひとり読書会をしました。その中から、ちょっとしたメモを残したいと思います。
第1章「地域の危機」
第1章で最初に言われているのは、「国立社会保障・人口問題研究所は、2060年には、日本の人口は2015年の3分の2になると予想している。(略)地方で人口が減少する原因は自然減に加え、社会移動、つまり都市、とりわけ東京をはじめとする大都市への人口移動である」(p.14)ということです。
「親は子どものために良かれと思って懸命に教育を行うが、気づいてみると子どもは都会へと出て行き、取り残され、老人となった親を支えているのは子どもではなく地域である。教育が地域を支えるというよりも、むしろ地域の危機を促進しているのではないか」(p.15-16) #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) December 31, 2019
この状況を、地域はずっと抱えているのだと思います。かつては、地域には工場などが建ち、雇用もあったりもしたと思いますが、工場などはより人件費の安い国へ流れていきますし、政府の財政の様子からも、地域への投資も減ってきている状況が書かれています。
「中央政府の資金は、さまざまなルートを通して地方経済を支える共通基盤として機能してきた。しかしいま、その下支えが細ってきている。中央政府の関与が薄くなることによって、住民の生活に最も大きな影響があるのは医療と教育」(p.24)→資金は地方の「生命維持装置」に? #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) December 31, 2019
中央政府に新しい都市と地方の共存構造を再建する力は残っていない。「それゆえに、地方は教育を含む社会の未来についてのビジョンを自ら構築していかなければならない。そしてそれは、日本を、そして東京を救う道でもある。」(p.29) #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) December 31, 2019
地方が構築すべき社会についてのビジョン:1. 中央政府からの資金や地域外の大企業の誘致など、外部からの資本移入に頼る発想を改める 2. 地域を支える市民性と専門性の構築を第一義とした教育へ転換し、学校を人口減少社会を支える地域の課題解決の拠点と位置づける(p.29-31) #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) December 31, 2019
現状で「このままではまずい」という認識があるならば、いまからいろいろと仕掛けていかなくてはならないのですが、そこを中央政府に任せず、地方が自分たちでやるべきだ、というのが荻原先生の方向性です。そのなかで、学校を「地域の課題解決の拠点」として位置づける、というのが特徴的だと感じます。
第2章「人口減少社会における地域の内発的発展とそれを支える環境」
人口減少社会においては、地域は中央政府からある程度の距離をとって、自分たちで内発的に発展するようにデザインをしなければならない、と荻原先生は書きます。
「人口減少社会においては、やみくもに経済成長を目指すのではなく、人口減少が進んでも社会的・経済的に破綻せず、むしろ人々の幸福が増進していくことを目指す、つまり「上手に縮んでいく」ことが必要となる。」(p.34)= 成功した社会についてのイメージを根本的に組み替える #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) December 31, 2019
地域の内発的発展=「地域の企業・組合などの団体や個人が自発的な学習により計画を立て、自主的な技術開発をもとにして、地域の環境を保全しつつ資源を合理的に利用し、その文化に根ざした経済発展をしながら、地方自治体の手で住民福祉を向上させていく」(宮本憲一)(p.35) #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) December 31, 2019
地域の内発的発展のカギ概念として、地域経済循環、社会的共通資本、多元的公正、エコミニマム、オルタナティブ・テクノロジーの5つが挙げられます。(p.35-36)
- 地域経済循環
「解体が進んできた地域内産業連関の再構築である。地域のニーズをできるだけ地域内の産業により充足し、地域外への資金の漏れを防ぐということ」(p.37-38)- 社会的共通資本
自然環境、道路等のインフラ、教育や医療といった制度資本など、市場による適切な供給が期待できないものを公費により、すべての人々に利用できるようにする。が、市場論理により支出減少→これに対抗する別の論理が3.多元的公正と4.エコミニマム(p.45-48)- 多元的公正
「経済的利益と損失のみに注目する公正論ではなく、自然(生態系)や文化も視野に入れたいわば多元的な公正を考える必要がある。(略)公正にはさまざまな次元があること、経済的公正はその一つでしかないことを認めるべき」(p.52)- エコミニマム
「医療、教育、子育て、交通といった生活の諸機能が近距離に集積され、手の届く範囲にあって、コンパクトに生活ができること、そしてそれらの機能を市民がコミュニティ全体を見通しながら共同の力で管理できる」(p.59)よう、制度・政策、生活様式を再設計する。- オルタナティブ・テクノロジー
「政治的・環境的基準を基礎とした別の形態のテクノロジー」(p.63)→原発が例として出されている。
地域の内発的発展に関わる5つのカギ概念については、理解はできるけれど、これをすべての地域ができるかというと、容易ではないように感じます。5つのカギ概念のなかから、特にエコミニマムのところについて、教育の役割を荻原先生は評価しているようでした。
「人口減少は財政悪化という形で「公」を弱体化させ、マーケットの縮小という形で「私」の撤退を招き、再び「共」が求められることとなった」(p.87)→「共」は、地域にある互恵関係。 #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) December 31, 2019
エコミニマムの実現には教育の役割が大きい:「教育の中心的課題は、子どもを含むすべての人が自らの生活の主体であるという自覚及び自らの生活の諸側面にかかわる公的・共同的な意思決定に関与する方略を各人が具備するということになるからである」(p.94) #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) December 31, 2019
「人口が減少してきている」ということが自分たちの生活にどのような影響を与えるかを理解し、地域内の内発的発展とはどういうことなのかということを理解し、そのうえで自分の育った地域にコミットする人材を育てていくことは、ひとつの方針となると思います。
第3章「内発的発展を支える教育」
これまで、学校教育は中央へ優秀な人材を送り込む役割を果たしてきました。
学校教育は国家を支えるシステムとして構築され、優秀な人材を選抜して中央へ送り込む機能を果たしてきた。地域の担い手を育てることを目的とした教育は、中等職業教育で一定程度目的とされたものの、エリート養成を担う学問的中等教育と高等教育では学問を通して普遍的な知識を獲得することが価値あることとされ、地域はむしろ普遍への飛翔を妨げる桎梏として意識された。(p.114)
学校教育=公教育が、国家を支えるシステムとして構築されているのはたしかです。そして、そうした役割はかつてと変わらず、今でも一定の重要性があると思う。ただ、それがあまりに唯一になってしまっている感じはあるかもしれません。国家を担う人材になるのも選択肢の一つであり、それと同様に地域を支える人材になるのも選択肢の一つとなることが望ましいと思います。
地域の課題解決をプロジェクトとして目指すという活動は、学校にも入ってきています。いまも、経済産業省「未来の教室」実証事業のなかにも、こうしたプロジェクトはあります。ただ、こうしたプロジェクト型学習には、批判もずっと昔から変わらずあります。
第二次大戦直後、進歩主義教育の理念の下、児童生徒が地域の産業の実態を調べて振興計画を立てるなど地域課題を解決して新しい地域をつくろうとする取り組みがいろいろな地域で行われた。しかし、それと共にこのような取り組みへの批判も高まっていく。
代表的な批判は地域課題のような複雑で容易に探究できないものに児童生徒が取り組むのは困難であり、自然や社会について系統的に学習を積み重ねることによってはじめて社会の課題を解決できる、その学習なしに地域課題に取り組んでも浅い理解に終わり、単に地域をはい回っているだけに過ぎなくなるという「はい回る経験主義」批判であろう。(p.139)
このあたりは、経済産業省「未来の教室」実証事業や、EdTechなどとの関連が見られる部分だと思いました。
第4章は「広がる役割とそれを支える教育の在り方」
第4章の最初では、現在の日本社会での「貧困」について湯浅誠さんを引用しながら書かれています。
現代の貧困は単に経済的に貧しいということではない。湯浅のいう「人間関係の溜め」、つまりは人との結びつき(社会関係資本)が乏しく、孤立してしまう人が多い。経済的貧困と関係性の貧困の二重苦が現代の貧困の特徴である。二つの溜めがないために、わずかな変動でたちまち生活に窮してしまう。たとえ金銭の溜めがある人であっても何かのきっかけでそれを失えば、助けてくれる人もなく、たちまち転がり落ちていく。いわゆる「滑り台社会」(湯浅誠)である。
比較的上層の人々も含め、多くの人々が転がり落ちる不安に苛まれ、転がり落ちないために自己利益の追求に専心せざるを得なくなり、さらに人とのつながりが弱くなるという悪循環が生じることになる。(p.207)
そのなかで、学校を地域を地域のなかに位置づけ直すということもされてきています。そのひとつとして、学校支援地域本部についての言及がされていました。
「学校を地域の関係性の結節点として再構築しようとする試みは、地域で共に子どもを育てるという、ごく当たり前だが現代社会から失われつつある暮らしのスタイルを意識的に再建することであり、それが学校教育を立て直し、地域社会そのものの再生へとつながる可能性」(p.225) #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) January 3, 2020
「現在、学校支援地域本部という地域の人々が学校を支援する事業が広がっているが、この事業は子どもの教育を媒介とした地域における社会関係資本の蓄積の試みと考えることもできる」(p.217)→仙台市立七北田小学校「地域共生科」、松原市立第七中学校区などの事例紹介 #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) January 3, 2020
仙台市や大阪市などでの地域を巻き込んだ教育の事例が紹介されていました。そのなかのひとつ、仙台市立七北田小学校は児童数700名弱の学校で、サイトを見てみると、小学校とPTAとの共同宣言が出ていたりもするようです。「地域共生科」についても、2016年の資料を見つけられました。低学年で年間50時間、3年生~6年生は年間70時間を設定している。これだけの時間をとらないとプロジェクトとしては回らないし、教科学習との結びつきも感じられないだろうな、と感じます。
コミュニティ・スクールと地域づくり:その光と影―仙台市立七北田小学校「地域共生科」の実践紹介―sakanolab.wordpress.com
ただ地域と結びつければいいわけではなく、そこでは校長先生のリーダーシップが求められるだろうと思いますし、校長先生が思い切ったリーダーシップを発揮するためには、教育委員会側もそれを後押しする体制が必要だと思います。ただ、人口が減少してきているのがすでに事実で、何もせずに地域の人口減少に歯止めがかかるということはほぼないと思いますので、「やるしかない」のが実情だと思います。こうした取り組みについてもレポートしていきたいなと感じました。
第5章「内発的発展のための教育を支えるための仕組み」
校長先生と教育委員会だけでなく、先生方にとっても、こうしたプロジェクトに取り組むことためには新しいスキルが求められると思います。
「内発的発展を支える教育は、必然的に教科の範疇を超越した学際的なものとなる。しかし、学際的カリキュラムを構想する場合、必ず起こる批判がある。「学問の基礎・基本をおそろかにして、学際的なことを扱っても真の応用力は身につかない。(略)」という批判である。」(p.228) #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) January 4, 2020
「多くの学習者は学習の意味を見出す前に情報の森のなかに迷い込んでしまう。ドリブルやパスの練習が目的化して、肝心のバスケットの試合までたどりつけない。意味が見出されるタイミングが遅すぎるのである。」(p.229-230) #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) January 4, 2020
このような場合、半知半解のリスクを負いながらも、むしろ状況のなかに飛び込み、問題解決の動機づけに駆動され、(略)課題解決の過程において知識・スキルを身につけていくというタイプの学び(略)のほうがむしろ学びを促進するのではないだろうか。」(p.230) #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) January 4, 2020
つまり、「基礎から積み上げていく学び」よりも「基礎に下りていく学び」→市川伸一『学ぶ意欲とスキルを育てる―いま求められる学力向上策』を参照のこと。 #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) January 4, 2020
先立つのはまず実践。「教師は、子どもたちや地域の人々と共に子どもたちの個性や学校の目標、地域の状況、教師自身が考える「こうなってほしい」子ども像と子どもたちの現状を対照させ、課題(教育目的)を設定し、達成への道筋(カリキュラム)を設定していく」(p.246) #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) January 4, 2020
地域の内発的発展のために、学校がどういうことができるのかを、先生方には考えていただければと思います。「目の前にいる子どもたちに最高の授業を」というのは先生方が大切にしていることだとは思います。Society5.0に対応する教育とかも大切だと思います。でも、「人口が減っていく」という大前提も考えて地域と学校の関わりを考える、というのも必要になると思います。
個人的にも、人口がどんどん減ってきている自治体で研修をすることもありますので、「人口が減っていって、学校ってどうなるの?それによって地域ってどうなるの?」という問題は考えるような研修も作ってみたいと思いました。教育の情報化が進んで、ICTを活用できるようになれば、わざわざ東京などの都市圏へ出ていかずに、地域にいながらにして世界を相手にしたビジネスや活動を行うことも可能になってくると思います。そうした状況のなかで、子どもたちにどんな力を身につけてほしいのか、考えていかなければいけない時期にきていると感じます。
◆ ◆ ◆
学校で地域の内発的発展にコミットする人を育てるのは、時間がかかります。すぐにできることではありません。少なくとも、まだもうしばらく、学校が地域からなくなっていく、という時期は続いていきます。
「学校が消滅することによって地域はどうなっていくのであろうか。子どもを育てる若い世代にとって、学校は必須の施設である」(p.268)学校の統廃合が進行→学校が遠くへ移っていくことの不安→見切りをつけて転出→ますます地域から子どもがいなくなり、転出が加速 #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) January 4, 2020
「現実的な解は、学校を単体として完結させるのではなく、教師や校舎といった教育資源を共有し、融通しあうネットワークとして学校を再編することである。具体的には、拠点校をハブとして小さな学習拠点が地域内に散在し、そのネットワークを一つの学校と考え」る(p.273) #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) January 4, 2020
「拠点校は福祉や医療施設も兼ねた複合施設とし、多世代がそこに集まり、世代間交流も行う。小さな学習拠点で教育の質を維持するためにはICTと地域人材の活用がカギとなる。」(p.273) #人口減少社会の教育
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) January 4, 2020
ここで、現実的な解として出ている「学校を単体として完結させるのではなく、ネットワークとして学校を再編する」というのも、ICTを活用することによって可能になりつつあります。こうした部分にこそ、テクノロジーを活用すべきだと思います。このあたりは、以前に紹介したC.M.ライゲルース・J.R.カノップ『情報時代の学校をデザインする 学習者中心の教育に変える6つのアイデア』のなかの、第2章「情報時代の教育ビジョン」にある6つのコア・アイデアのなかの6つめ「組織構造とインセンティブ」のところで書かれています。こちらも合わせて参照していただければと思います。
blog.ict-in-education.jp
地域の教育委員会や先生方とお会いすることが多いからこそ、「地域はどうあるべきか」、「教育/学校は、地域のために何ができるか」ということを考えていきたいと思いますし、地域での教育/学校の様子をどんどん発信していきたいと思っています。
(為田)