教育ICTリサーチ ブログ

ICTを教育にどう活用できるか、現場目線でリサーチします。

書籍ご紹介:『教養としてのテクノロジー AI、仮想通貨、ブロックチェーン』

 伊藤穰一 アンドレー・ウール『教養としてのテクノロジー AI、仮想通貨、ブロックチェーン』を読みました。目次を見ると、「AIは労働をどう変えるのか?」「仮想通貨は国家をどう変えるのか?」「ブロックチェーンは資本主義をどう変えるのか?」「人間はどう変わるか?」「教育はどう変わるか?」…など並んでいます。

 このなかから、興味深かった部分をメモ。

人間はどう変わるか?

 まずは、MITフェローでもあり、「バイオニック・ポップアーティスト」を自称するヴィクトリア・モデスタ(Viktoria Modesta)さんのミュージックビデオ「プロトタイプ(Prototype)」。YouTubeで見てみました。彼女はクリスタルで彩られた義足や、メタル製のスパイクをはめて登場し、マイナスのイメージが強い「義足」の概念を根底から変えようと試みています。パフォーマンスも、ビデオのストーリーもメッセージ性があって、考えさせられました。
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「義足」はかつて、切断などによって失われた足の代わりにつけるものでした。基本的には、なくなってしまった身体の一部を「補う」ために存在していたというのがいままでの常識です。
しかし、科学技術の進歩により、人間が持つ足よりも能力が高い「義足」が登場しました。高い推進力を持つカーボン製の義足を付けた選手は、すでに人間の足で走るスピードを上回ることができるようになりました。
僕は「パラリンピックがいつの日か、オリンピックを超える協議会になる」ことをいつも想像をしています。人間が拡張の方向に大いに進んでいくだろうと予想していますし、それを可能にするテクノロジーが次々と登場しているからです。
(略)
パラリンピックが「障害者」の競技から、「拡張者」の競技に変わったとき、必ず起こるだろうことは、「拡張することの倫理的な是非」です。新しい倫理や美学を探っていくことが必要であり、議論が求められます。バイオテクノロジー人工知能、ゲノム編集……人間が拡張する延長線には、新しいテクノロジーがすべてつながってくるでしょう。(p.97-98)

 新たなテクノロジーの登場により、身体が拡張されること、というのは、これから考えていくべきテーマだと思います。視力を拡張するメガネというテクノロジー。知識を拡張するインターネット検索というテクノロジー。そうした視点でみるときに、義足などのテクノロジーはどういった位置づけになるのか、身体の拡張が何をもたらすのか、考えていくべきだと感じます。
 そうした視点から考えたときに、そうした拡張を行う基礎にあるICTを学校教育で教えないというのは、本来とてももったいないことなのではないかと思います。作文という行為を拡張するために、ワードプロセッシングや音声認識や検索というテクノロジーを使えばいいと思います。まだまだ、知的活動も拡張していけるのではないかと思いました。


 Innovative City Forum 2017で、Viktoria Modestaさんが登壇しているプレゼンテーションとディスカッションがありましたので、リンクを貼ります。

www.youtube.com

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教育はどう変わるか?

 もうひとつ、「アンスクーリング unschooling」というキーワードについても、非常におもしろいと思いました。Wikipediaで調べてみると、以下のような定義が紹介されています。

21世紀現在、アンスクーリングという言葉は以下の2つの意味を持つ。

まず急速に浸透しているのは、ホームスクーリングと同様学校に通わず、特に教科書への高い依存や机に向かう時間がない教育手法という意味である。

もう一つは、教育者、作家、ホームスクーリングの主唱者であり、アンスクーリングという新語を作った[1]ジョン・ホルトなどが本来意味したもので、保護者が子供に何を勉強するのかを命令するのではなく、子供自身が興味を持つことを深く探求していく手助けをするという、子供の興味に基づいて行う教育である。


アンスクーリング - Wikipedia

 学びのスタイルとして、非常に興味深く読みました。すべての学校がこのアンスクールの形にならなくてもいいと思いますが、多様な学びのスタイルが許容されることは非常に重要なことだと思っています。

よく「子どもにインターネットを使わせて大丈夫なのか」という議論がありますが、アンスクーラーにとってインターネットや新しいテクノロジーは、社会の知識とつながる大事なツールです。アンスクーリングでは、自分1人ですべてを学ぶことが重要なのではありません。テストで良い点をとって「コンペティション(競争)」に勝つことは必要ないのです。人とテクノロジーのネットワークを使って、どうやって「コラボレーション(共同作業)」しながら知識を得られる加賀ポイントです。
アンスクーリングの場では、子ども自身が持つ疑問やアイデアについて、「それを解決するには、知識が必要だ」と感じることからスタートします。どうやって解決すればいいのか、チャレンジを求められるのです。(p.129-130)

 実際に、アメリカでのアンスクーリングのムーブメントとして、マサチューセッツ州フラミングハム市にある「メイコンバー・センター(Macomber Center)」が紹介されています。
macombercenter.org

 メイコンバー・センターでの子どもたちの学びの様子は、個別化されている学びの一つの形態だと思いました。

「読み書き」のような学校の教育における基本的なスキルは、5歳で見つけ出す子どももいますし、10代になるまで知らない子どももいます。彼らが興味のないことを学ばせるように強制する大人はいません。子どもを評価して比較することもありません。アンスクーリングには、コミュニティと無限の探検ができる場所があるだけです。
メイコンバー・センターは「どのようにしてアンスクーリングを社会に広げるか」を考えるための、1つのモデルです。これから同じようなセンターが増えていくでしょう。(p.134)

 また、アンスクーリングの話のなかで登場する「フューチャリスト(未来志向者)ではなくナウイスト(現在志向者)になろう」という著者の伊藤穣一さんの提案も、学校で行うキャリア教育とどう結びつけるのがいいのだろうか、と考えるきっかけになりそうです。

アンスクーリングは、子どもが経済を支える人間になるよりも、自分のなかに幸せを見つける、ということが基本的なアイデアです。自分の人生における「生きがい」を考えることが、本来のアンスクーリングの哲学に近いと私は思います。
そのため、子どもたちが「いまを生きる」ことに集中できるかを大事にします。アンスクーラーがコンピュータで遊んでいたら、それは、将来にプログラマーになる練習ではなく、ただ今コンピュータで遊びたいからです。ピアノを弾いていたら、将来音楽家になる練習ではなく、ただ今ピアノが弾きたいからです。ケーキをつくっていたら、将来ケーキ店を開きたいわけではなく、いまケーキをつくりたいからです。
子どもたちをよく観察すると、いまを生きるのがとても上手です。彼らはやっているそのときが楽しいからやるのです。
それは「フューチャリスト(未来志向者)ではなくナウイスト(現在志向者)になろう」というジョーイ(伊藤穰一)の提案と同じです。「イノベーションは、いま身の回りで起きていることに心を開き注意を払うことから始まるのだから、フューチャリストであってはいけない。いまの出来事に集中するナウイストになるべきなのだ」というジョーイの主張に、アンスクーラーは賛同します。そういう意味では、アンスクーラーとメディアラボの考え方は深くつながっているのです。(p.137-138)

まとめ

 テクノロジーの概要を知ることができて、とても楽しめました。将来、どんな社会がやってくるのかを知ることは、学校/教育をFuture-Readyにするためには不可欠なことです。概要を知り、現在の学校教育にどう接続していくかを考えていく、非常に良い機会になりました。

(為田)