教育ICTリサーチ ブログ

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『デジタル社会の学びのかたち Ver.2』 ひとり読書会 No.7「7章 失われるもの、得られるもの」

 A・コリンズ、R・ハルバーソン『デジタル社会の学びのかたち Ver.2 教育とテクノロジの新たな関係』をじっくり読んで、Twitterハッシュタグ#デジタル社会の学びのかたち」を使って、ひとり読書会を実施したのをまとめておこうと思います。

 「7章 失われるもの、得られるもの」を読みました。テクノロジーを教育に導入することによって、何が失われ、何が得られるのかということがまとめられています。たくさん書かれているのですが、自分が興味深かったところのメモを貼っていきます。

 ポジティブな面とネガティブな面と、両方あるのは当然だと思っているのですが、どちらの面も寛容に見ていきたいと思っています。

失われるもの

 まずは失われると思われるものからです。最初からタイポが…すみません、「テクノロジ主導」ですね。「手動」はテクノロジになってない…(笑)

 テクノロジーによって、誰とでも繋がれるようになり、関心でコミュニティを作れるようになった反面、「自分の見たいものしか見ない」こともできるようになったし、さらには「自分が知りたいことに近いことしか知らされない」というふうにもなりつつはありますね。

 最後に書かれている、学校が「子どもたちが他者を信用し、共に働くことを学ぶ場所」だったことに関しては僕も賛成ですが、すべての子どもにとってこれらを学ぶために学校が最適な場所であったわけではないですし、学校での固定化されたコミュニティのなかで苦しかった子もいたと思います。いまの学校・地域コミュニティをテクノロジーで補完する、ということもできるのではないか、と思っています。特に都市部においては、テクノロジーなしでコミュニティがもうできていない気がしていて、どんどん周囲との関係も希薄になっていくので、テクノロジーを活用すればいいと思っています。

得られるもの

 一方で、得られるものにはどのようなことがあるでしょうか。

 あ、ここでも誤字が…。最後は、「機械」ではなく「機会」ですね。失礼しました…。

まとめ

 テクノロジーが導入された新しい教育システムによって得られるものと失われるものと、どっちが多いのか、という結果は出ていません。テクノロジーが社会に実装されたときに、危機を避けつつ、一人ひとりが自分のために社会のために活用できるようにするにはどうすればいいか、ということを考えられるようにする必要はあると思います。


 No.8に続きます。
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(為田)