A・コリンズ、R・ハルバーソン『デジタル社会の学びのかたち Ver.2 教育とテクノロジの新たな関係』をじっくり読んで、Twitterのハッシュタグ「#デジタル社会の学びのかたち」を使って、ひとり読書会を実施したのをまとめておこうと思います。
「7章 失われるもの、得られるもの」を読みました。テクノロジーを教育に導入することによって、何が失われ、何が得られるのかということがまとめられています。たくさん書かれているのですが、自分が興味深かったところのメモを貼っていきます。
「新たな情報テクノロジは、あらゆる場所の学びを変えています。(略)その変化は教育、学校、学習のコアまで揺さぶっています。そして他の革命と同じように、そこには得られるものもあれば、失われるものもあります。」(p.121) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
「悲観的な見方をする人たちは、人々がテクノロジに従わされるようになるとみています。(略)テクノロジは人々を深い思考から遠ざける存在です。社会制度は弱体化し、その使命を果たせなくなり、人々はますます人生の主導権を失っていきます。」(p.121) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
「逆に楽観的な見方をする人たちは、学びの黄金時代がやってくるとみています。追求したいと思うどんな教育に対しても、リソースを見つけることができるようになります。」(p.121) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
ポジティブな面とネガティブな面と、両方あるのは当然だと思っているのですが、どちらの面も寛容に見ていきたいと思っています。
失われるもの
まずは失われると思われるものからです。最初からタイポが…すみません、「テクノロジ主導」ですね。「手動」はテクノロジになってない…(笑)
まずは、失われるもの。「関心に基づくテクノロジ手動のメディアの出現は、学校と教育の同一視を劇的に破壊しました。」(p.122) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
「関心に基づく教育は、現在の教育制度が求める成果に到達するオルタナティブな(別の)道を拓いたことによって、現在の教育制度を破壊しています。数学、科学、国語といった主要教科の学びの保障を、テクノロジは保護者や個人の責任へと誘っています。」(p.122) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
「関心に基づくグループに細分化されることにより、シティズンシップや社会的なつながりは弱まるでしょう」(p.123) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
テクノロジーによって、誰とでも繋がれるようになり、関心でコミュニティを作れるようになった反面、「自分の見たいものしか見ない」こともできるようになったし、さらには「自分が知りたいことに近いことしか知らされない」というふうにもなりつつはありますね。
「学習のためのバーチャルなインタラクションが優勢になった結果、ついに人々は、他の人との社会的な交わりを失い、しだいに孤立していくのでしょうか?(略)孤立化は、ソーシャルスキルや社会的なつながりを弱めることになるでしょう。」(p.125-126) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
「伝統的に学校は、子どもたちが他者を信用し、共に働くことを学ぶ場所でした。(略)教育のテクノロジ化によって、人々が多様になるだけでなく、アメリカにおける地域コミュニティの衰退がより進んでしまうことを危惧しています。」(p.126) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
最後に書かれている、学校が「子どもたちが他者を信用し、共に働くことを学ぶ場所」だったことに関しては僕も賛成ですが、すべての子どもにとってこれらを学ぶために学校が最適な場所であったわけではないですし、学校での固定化されたコミュニティのなかで苦しかった子もいたと思います。いまの学校・地域コミュニティをテクノロジーで補完する、ということもできるのではないか、と思っています。特に都市部においては、テクノロジーなしでコミュニティがもうできていない気がしていて、どんどん周囲との関係も希薄になっていくので、テクノロジーを活用すればいいと思っています。
得られるもの
一方で、得られるものにはどのようなことがあるでしょうか。
逆に、得られるもの。「最もパワフルなテクノロジの恩恵は、学習がより魅力的になることです。教育は、人々がより学びたいと思うものへと方向づけられるでしょう。その結果、人々は学びに胸が高鳴り、魅力を感じます。」(p.127) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
「教育が人々の関心や能力に合わせられるようになると、学校でみられる生徒間の競争のようなものは減少すると思われます。(略)学校の根本的な問題の1つは、子どもたちが常に他の子どもたちと自分を比較していることです。」(p.129) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
「私たちが願っていることは、より多くの子どもたちや大人たちが、成功のために教育が重要であることに気づくことです。そして、社会のさまざまな領域で、テクノロジベースのリソースが実現できる新しい機械を利用するようになることを期待しています。」(p.130) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
あ、ここでも誤字が…。最後は、「機械」ではなく「機会」ですね。失礼しました…。
まとめ
テクノロジーが導入された新しい教育システムによって得られるものと失われるものと、どっちが多いのか、という結果は出ていません。テクノロジーが社会に実装されたときに、危機を避けつつ、一人ひとりが自分のために社会のために活用できるようにするにはどうすればいいか、ということを考えられるようにする必要はあると思います。
新しい教育システムによって得るものと失われるもの、どちらが勝っているのかの結果は出ていない。「得られるものを生かし、危険をやわらげるためには、社会はどのようにふるまうべきでしょうか。喫緊の課題です。」(p.130) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
「テクノロジには、生徒たちがより深い学習に取り組み、みずからがなり得る、最高の人になるための教育をもたらす希望があります。私たちはどのようにしたら、この希望を現実のものにできるのか、社会として考えるべきなのです。」(p.130) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 31, 2020
No.8に続きます。
blog.ict-in-education.jp
(為田)