教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

書籍ご紹介:落合陽一『日本再興戦略』

 落合陽一『日本再興戦略』を読みました。ものすごくおもしろかったです。「デジタルネイチャー」という言葉を使う、現代の魔法使い 落合陽一先生ですが、そのなかでも特に学校教育と関連がありそうなところをピックアップしました。教育書ではありませんが、こうした考え方を、学校の先生方が自分の中に入れておくことってとても大事だと思っています。
 順番はバラバラですが、Kindleでハイライトした箇所を紹介しつつ、自分なりのコメントを入れていきたいと思います。

教育とテクノロジーを通貫するビジョン

 タイトルにもなっている『日本再興戦略』。「日本はもうダメ」とヒョーロンカになってしまうのではなく、ではどうするのか?というポジティブなメッセージに勇気づけられます。

  • 今、「日本を何とかしないといけない」という思いを多くの人が持っているはずです。そのために何をすべきか、という解決策も見えてきています。でも、それだけでは日本は変わりません。日本を再興するため、世界を理解するために重要なのは、「意識改革」です。集団に対する処方箋としての教育とテクノロジー、それを通貫するビジョンが必要なのです。
  • 各分野の専門家はいるのですが、教育と研究と経営とアートとものづくりをどれもやっている人はとてもレアです。

 教育とテクノロジーを通貫するビジョン、これはけっこう新しい学習指導要領には入っているのではないかと思うのです。先生方が、「教育と○○のどちらもやっている人」という視点で自分を捉え直すと、けっこう変わるのかもしれません。「教育と“情報の伝え方の伝道師”のどちらもやっている人」とか、「教育と“EdTechのエヴァンジェリスト”のどちらもやっている人」とか、だんだん増えてきつつあるような気がしています。

  • 我々は、「欧米」という言葉を使うことをとりあえずやめたほうがいい。「欧米」ではなく、米国、英国、ドイツ、フランスというふうに国の単位で語るべきです。
  • 結局、日本人は、外来的に入ってきたものをすべて「欧米」と呼んで、いろんな分野で各国の方式を組み合わせてきました。そして、いいとこ取りをしたつもりが、時代の変化によって悪いとこ取りになっているケースが目立ってきています。仕方がないのです。時代が変わったのですから、いいとこ取りの旧い最適化モデルを変化させないといけない。

 「欧米に追いつけ追い越せ」のモデルは終わった、というのは、僕が学生の頃からずっと言われていました。でも、たしかに「欧米」という括りでさえ大きいな、と今更ながら思いました。
 そうした視点も踏まえて、もう一度、いいとこ取りのモデルを作らなければなりません。そういうモデルを作るということを目標に置いたビジョンを描き、それを子どもたちに伝えていくということを、新しい指導要領が出るこのタイミングで学校教育に入れることができたらいいのではないかと思います。

士農工商はいい?

 読んでいてけっこうびっくりしたのは、「士農工商って、意外といいシステム」と書かれていることでした。AIが人間の仕事を奪おうかというときに、そんなことよりもっと大事なことがあると書かれています。

  • 「誰々の職業がAIに奪われる」なんて話題ばかりがメディアに出てきます。これからの本質的な問題は、「我々はコミュニティをどう変えたら、次の産業革命を乗り越えられるか」ということなのに、「どの職業が食いっぱぐれるのか」という議論ばかりをしているのです。
  • 今の日本は東洋化したほうが、イノベーションが起きやすくなるはずです。
  • 個人ではなく、バンドを組んでイノベーションを起こせばいいのです。ラボを作るのもいいし、起業するのもいいし、デザインユニットを始めてもいい。
  • 会社という組織もうまく今の時代にアレンジしなければなりません。会社はそもそもギルドであり、カンパニーです。基本は同業者の組合のようなものであって、人が自由に出入りしやすい、商業的利益に基づいた組織です。重層的・複合的であるべきです。

 これは本当にそのとおりだと思います。大企業にずっといて、それだけで給料をもらえる時代はもう長くは続かないと思います。新しい会社のあり方もたくさんあるのだ、ということを学校で教えることで、新しい自分の居場所を見つけられる児童生徒もいるのではないかと思うのです。
 そして、「日本は中央集権よりも、地方分権にしたほうがいい。かつての幕藩体制のときのように」という話が出てきます。さらに、士農工商っていう制度はけっこうよくできている、という話も出てきます。

  • 日本は同じ国の中でも、沖縄と北海道で文化が違いますし、元々の国も異なるし言語も違ったりする。守るべきカルチャーも違います。そういった面でも日本には、非中央集権が合っている。しかも、士農工商カースト制も300年程度続くぐらい日本の統治にはハマっていたのです。
  • とくにこれから重要になるのが、「百姓的な」生き方です。百の生業を成すことを目指したほうがいいのです。そうすれば、いろんな仕事をポートフォリオマネジメントしているので、コモディティになる余地がありません。
  • これからの時代は、百姓の中から、イケている人が、クリエイティブクラスになっていくのです。しかもこれからは、技術的発展によってクリエイティブクラスとして活躍しやすくなってきます。たとえば、明治時代には、クリエイティブクラスや百姓としてマルチタレントを発揮するには、相当、ずば抜けていないと厳しかった。もしくは社会からの距離を感じざるをえなかった。しかし、今後は専門性をコンピューターが代替できるようになると、専門性の高いところから能力の訓練が解放されて、マルチタレントを生かしやすくなってくるはずです。

 「百姓=農民」ではなく、「百姓=百の生業を持つ者」のことだ、というのは考えたこともありませんでした。であれば、いくつものプロジェクトを多方面にやっていくという最近の増えてきている仕事の仕方は、たしかに百姓的と言えるかもしれないな、と思いました。

新しいディバイド

 世代間にある「ICTすごく便利!」「ICTなんてなくてもいい」というギャップ。学校業界では、たぶん企業よりもずっと深刻な気がしています。「私はもうすぐ定年で、ICTやプログラミング必修化から逃げ切れる」という先生や教育委員会の方にお会いしたこともあります。でも、僕たちを取り巻くデジタル環境は、どんどん変わっていっているのです。

  • 今後、世代間にあるテクノフォビア的なギャップは、AmazonEchoやSiriのような音声コミュニケーションが解消してくれる可能性が高いでしょう。たとえばAmazonEchoが北米で行っている実験の例は面白いです。幼稚園にAmazonEchoを導入すると、やがて子どもはかなりの割合でAmazonEchoにわからないことを聞くようになるそうなのです。そうしたことが、今後は、当たり前になっていきます。今の大人はわからないことがあったときに、文字ベースでグーグル検索はしますが、「自然言語で機械に直接聞く」という発想がまだ弱い状況です。

 「自然言語で機械に直接聞く」という発想は正直、ほとんどありません。冬の寒い日に手袋を外さずに検索するときに使うくらいで、あくまで補助的な使い方です。でも、下の世代はそうではないかもしれない。
 そうした、下の世代(いま学校で学んでいる世代、これから学校で学ぶ世代)の、デジタルの使い方に制限をかけるような学校であってはダメだと考えれば、音声コミュニケーションにもっと親しんでおかなければならないな、と思いました(ちなみに、「Hey, Siri.」は気恥ずかしい…「OK, Google.」が僕には限界かも…笑)。

どうやって日本を、世界を変えていくのか

 「日本再興戦略」をどう実現するのか、ということについて、重要なことが書かれています。ここの部分、とても賛成です。

  • 僕は「日本再興戦略」とは、改革や革命ではなく、アップデートだと思っています。改革や革命は対抗勢力を生み出します。勝者と敗者を生むゼロサムゲームに陥ってしまいます。そうではなく、今の世の中と違う考え方を出しながら、今の世の中とどう折り合っていくかが重要なのです。そのためには、今パイを持っている人たちをさらに儲けさせてあげられるような枠組みを考えてあげないといけません。

 特に、教育を変えていこうとする場合、この部分が本当に大きいと思います。「一気に全部を変える革命」を求めているわけではないのです。いきなりそんなこと、学校がついてこられません。緩やかに、でも着実に変えていく枠組み、それをどうするのかということを考えたいと思います。そうです、「アップデート」したいのです。言葉を与えてもらった気がします。
 あと、最近知った言葉では、『現役官僚の滞英日記』を書かれた橘宏樹が言っていた、「コンサバをハックする」というのも、学校を変えるために本当に大切なキーワードだと思っています。

 最後に落合先生のメッセージ。Twitterで流れてきたときにも保存したのですが、本当に自分のなかで大切な言葉になっています。

  • 「ポジションを取れ。批評家になるな。フェアに向き合え。手を動かせ。金を稼げ。画一的な基準を持つな。複雑なものや時間をかけないと成し得ないことに自分なりの価値を見出して愛でろ。あらゆることにトキメキながら、あらゆるものに絶望して期待せずに生きろ。明日と明後日で考える基準を変え続けろ」と、以前Twitterに書きました。

 こうした考え方があるということ、この考え方を可能にしている背景にデジタル(ICT)の発達があるということを、学校教育に携わる先生方に知ってもらいたいと思っています。こうした本を読み、それを子どもたちにどの部分を伝える部分だろうかと考えてもらって、教室にフィードバックをかけていただければいいな、と思い、紹介しました。

(為田)