落合陽一『日本進化論』を読みました。ちょっと前に買って、ずっと積読だったのですが、Twitterのタイムラインで「平成最後の読書、令和最初の読書に最適」と書かれていたのを見かけて、そうだそうだと読み始めました。
読みながらTwitterにて書き出していた部分をまとめておきたいと思います。まずは冒頭の小泉進次郎さんと落合陽一さんとの対談からです。
テクノロジーを社会に実装していく
「はじめに 対談/ポリテックで「失われた20年」は取り戻せるのか 小泉進次郎×落合陽一」から。ポリテックは政治(Politics)とテクノロジー(Technology)を組み合わせた造語で、「テクノロジーによって何が可能になるか」といった観点を、政治の議論の中に取り入れていくこと(p.20) #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年4月29日
落合さん:「テクノロジーが完成された後に政治が対応するのでは遅くて、テクノロジーが出現しはじめた段階で議論されるべきだと思います。テクノロジーと政治、同時並行で考えていかないと世界の動きから取り残されてしまいます」(p.28) #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年4月29日
落合さん:「特にわれわれは人口減社会に入りますから、テクノロジーを実装しながら、そこにどういう法律を適用すべきかを、同時に走りながら考える土壌をつくらないと、間に合わないのではないかと思います」(p.28) #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年4月29日
このテクノロジーが社会を実装していく、そのための法律を走りながら考える土壌を作る、というところは賛成です。テクノロジーが完全に普及してから法制化などを進めても、できたころには次のテクノロジーに移っていっている可能性もあるので、最悪なことが起こらないようにしながら、それによってどういうメリットがあるのかをきちんと伝えながら、どんどん進めていくようにするしかないと思っています。
落合さん:今後ポリテックを普及させていくには、教育がカギになる→「何か問題があったら、属人的な手法でなく、まずテクノロジーで解決しようというのが、グローバルスタンダードじゃないですか。政治とテクノロジーを同時に考えていく思考を、教育段階で育んでおく必要がある」(p.29) #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年4月29日
落合さん:「今の学校のカリキュラムだと、たとえば「テクノロジーは、われわれに何をもたらすか」といったテーマは教えられませんよね。そういった内容も教育に組み込むことで、深くポリテックの概念が浸透するはずです」(p.30) #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年4月29日
こうした議論を背景として、プログラミング教育について考えてみると、おそらくこれから学校で行われていくだろうプログラミング教育は全然満足いくレベルにまでいかないように思います。
「テクノロジーは、われわれに何をもたらすか」というディスカッション、ちょっとやってみたいな。小学校1年生から6年生までなら、すぐにやってみられる学校があるので、高学年から少しずつ落としてやっていこうかと思いました。
テクノロジーによって「省人化」と「自動化」を進める
少子高齢化の影響により労働者人口は減少、介護職の人材も不足する。→テクノロジーを最大活用して「省人化」と「自動化」を進めていく必要がある。(p.51) #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年5月3日
落合さん:「労働を効率化することを考えるにあたり、20世紀までの社会は「標準化」によって回されてきましたが、今後は多様性を前提にした「パラメータ化」、つまり個々人にとって最適な形の解決策を適用することで、社会をまわしていかなければならないでしょう」(p.51) #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年5月3日
「標準化」によって社会が回されているときには、大量生産大量消費がいいわけですが、もうそうではなく、多様性を前提にしていくために「パラメータ化」をしていく必要がある、という社会の変化についての説明はわかりやすかったです。
その話の流れで、働き方も変わっていくことが説明されます。
「現在の労働環境を特徴づける最も大きな変化のひとつが、多くの産業分野で限界費用がゼロに近づきつつあることです(略)限界費用が低下すると、生産手段の民主化が進み、生産者と消費者の境界はあいまいになります」「限界費用の低下があらゆるビジネスに影響を与える」(p.73-75) #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年5月3日
テクノロジーは「身体能力を拡張する」
「これまでも人間は、テクノロジーによって身体能力を拡張させ、個人間の能力差を縮めたり、能力の欠落を補ったりしてきました。その好例がメガネです」(p.79)自然の中で生活していた人類にとって近視は致命的な弱点だったが、メガネの普及はその弱点を消した。 #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年5月3日
「人間の生来的な能力の差異を補うことは、テクノロジーの重要な役割のひとつであり、それはコンピュータの時代になって、ますます大きな意味を持つようになっています」(p.79)→多くの人と同じような社会生活が送れない人たちに、それぞれの状況に最適化された技術的なサポートが可能に。 #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年5月3日
「テクノロジーは、身体能力を拡張する、個人間の能力差を縮める、人の能力の差異を補う」という説明と、「メガネがそうだ」という説明、好きで学校の研修などでもよく使っています。もちろん、メガネとテクノロジー(学校でいうとICT環境・機器)は単価もまったく違うので、簡単に比較できるようなものではないかもしれませんが、それでも、「ICT/デジタルは、子どもたちの身体能力の拡張するものであり、それを教えないでいいのですか?」という観点から考えると、教えるべきことはだいぶ変わってくるのではないかと思っています。
これからの教育について
これからの教育に求められることについても書かれています。そのなかで、自分で学ぶべきことを設定し、その解決を考えるというスタイルが提唱されています。
これからの教育に求められるのは、「Ph.D(博士学位)の教育」=過去に事例のない問題を自ら設定し、その解決を考えていくスタイル。誰かから言われて学ぶのではなく、「何を学ばなければならないのか」を客観的に考えながら問題を問いていく姿勢が求められる教育。(p.154-155) #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年5月3日
「今の学校教育は、学習すべき内容が一方的に与えられ、それに疑問を抱くことなく勉強することが良しとされています。しかし、将来的に多様な人材を育てていくために、こうしたやり方を少しずつ転換していくべきでしょう」(p.156) #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年5月3日
「ただし、その度合いは「少しずつ」で構いません。あまりに急激な変化だと、カリキュラムで習得すべき基礎的な教養が抜け落ちてしまいます。(略)PISAで測られる基礎的な読み書き、計算のスキルは、ものを考えていくうえでの基盤になるからです」(p.155-156) #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年5月3日
「すべてをPh.D型の教育に変えよう」というのではなく、少しずつ変えていくべきだ、というところはすごく共感です。0か100かでなく、段階的に変えていくことが大切だと思いますし、それぞれの学校によって、どのくらいの段階がいいのかは変わってくると思っています。
テクノロジーを猟銃に、マタギになる
最後に、マタギドライブ的な世界観というのが提唱されています。マタギは、猟をする人たちですね。
「マタギドライブ」的な世界観:「一人ひとりが限界費用ゼロ的世界になったことによって新たに解決可能になった課題を見つけ、各々のゴールへと盲信するライフスタイルを送る。人々が“マタギ”のように課題狩りをし、AIをはじめとするテクノロジーが僕たちの“猟銃”になる社会」(p.237) #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年5月3日
「武器を持たないゆえに農耕社会に縛られていた今までと違い、ソフトウェアテクノロジーという猟銃を手に入れたことで、僕たちはもはや狩猟本能のおもむくままに生活できる時代です。「クマ」を仕留めることに熱中し、AIかロボティクスを操る術を学んで」(p.237)、時代をサバイブする #日本進化論
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年5月3日
テクノロジーは猟銃になるのだとすると、猟銃の扱い方、猟銃の撃ち方を教えずに、子どもたちを社会に送り出すのはやはりダメではないかと思うのでした。
読みやすいですが、テクノロジーがどのように社会を変えていくのかということを考えるのに良い一冊だと思いました。授業の中に、もっともっと「テクノロジーが子どもたちに何をもたらすのか」ということを入れていかないといけない、と思いました。
(為田)