今井むつみ先生らが書かれた『算数文章題が解けない子どもたち ことば・思考の力と学力不振』を読みました。今井先生らは、学習の認知メカニズムにもとづいて開発した「ことばのたつじん」と「かんがえるたつじん」という2種類のテストを広島県と広島県福山市で実施して、その回答を調査しています。
算数のテストの点が悪い、というところで止まるのではなくて、「では、なぜそう間違えるのか?」=つまずきをどのように考えたらいいのかを教えてくれる本です。興味深かった部分を読書メモとして共有します。
が、いちばん大事な部分は「テスト結果の分析」のところであり、現場で子どもたちを教えている先生方にこそ、読んでいただきたい本です。
テストでどんな力を測るのか
最初に、「ことばのたつじん」と「かんがえるたつじん」という2種類のテストを開発するにあたって、測るべき「学力」とはどんなものか、ということが最初に書かれています。もちろん入試や模試の点数というのではなく、どんなことが「学力」なのか、と。学習指導要領に書かれている内容では、抽象的すぎてこれがどれくらい達成できているかを測ることは困難だろうと書かれた後で、認知科学の視点ではどのように「学力」を定義するのかが書かれています。
認知科学の視点では、学力という概念をもう少し具体的に定義する。認知心理学・教育心理学を中核にした認知科学の理論の枠組みでは、学力を「教師の話や教科書、副教材、その他の情報リソースを読み取り、自分の知識の体系に組み入れ、統合させ、知識の体系をアップデートし、複雑な問題を解決する力」と捉える。これは、学び方を自ら考え、工夫し、「生きた知識」の体系を構築することができる力、と言い換えることができる。(p.5)
今井先生が、この「生きた知識」でなければ学ぶ意味がない、ということをプレゼンでおっしゃっていたのを聴いたことがあります。「生きた知識」とは何かも続けて書かれています。
「生きた知識」とは何か。一言でいえば、必要なときにすぐに取り出すことができ、問題解決のために運用することが可能な知識である。その逆の「死んだ知識」と対比すると直観的に捉えやすい。「死んだ知識」は学習者の頭の中に情報の項目としては存在するが、問題解決の場面では想起できず、運用できない形の情報である。要するに「使えない知識」である。(p.6)
そのうえで、世の中にたくさんあるテストは、「生きた知識」をどれだけもっているかを測れているか、と問いかけられます。
「死んだ知識」でも正解できるテストは世の中に数多く存在する。多くの子どもが、「死んだ知識」で正解できる問題は正解できても、「生きた知識」が必要な問題は解くことができない。この観点は、「学力」を測るテストをデザインするときに、ぜひ反映されなければならない。「学力を測るテスト」といいながら、実は「死んだ知識」を測っているだけなのではないか、ということは明確に意識されなければならない。(p.7)
そのうえで、「生きた知識」の要件についてまとめられていました(p.7-10)。これらの要件を備えるように開発されたのが、「ことばのたつじん」と「かんがえるたつじん」の2種類のテストになる、ということです。
「生きた知識」の要件
- 知識のシステム化:
システムの一部となっていること- 知識の身体化:
反射的に身体が動くかのごとく問題解決のために必要な形ですぐに取り出せること、つまり身体の一部になっていること- 知識システムの修正:
絶えず修正され、アップデートされること- 自分の知識状態がわかる:
自分の理解の程度が過大評価されておらず、自分は何がわかっていないかがわかっていること
こうして前提として「学力」について考えたうえで、「ことばのたつじん」と「かんがえるたつじん」のそれぞれのテストの内容や結果などが紹介されていきます。
学習のつまずきの原因7つ
「第6章 学習のつまずきの原因」では、子どもたちの学習のつまずきの原因が7つ挙げられています(p.173-184)。ここでは項目しか挙げませんが、ここがこの本でいちばんおもしろかったです。
学習のつまずきの原因
- 知識の問題
- 原因1 知識が断片的で、システムの一部になっていない
- 原因2 誤ったスキーマ(さまざまなモノやできごと、概念について人がもつ暗黙の知識)をもっている
- 推論と認知処理能力の問題
- 原因3 推論が認知処理能力とかみあっていない
- 相対的視点と認知的柔軟性の問題
- 原因4 相対的にものごとを見ることができない
- 読解力と推論力の問題
- 原因5 行間を埋められない
- 原因6 メタ認知が働かず、答えのモニタリングができない
- 原因7 「問題を読んで解くこと」に対する認識
子どもたちが「問題が解けない」「テストの点が悪い」と悩んでいるときに、こうした「学習のつまずきの原因」があり得ることを知っているかどうかで、先生方の指導も変わっていくのではないかと思います。先生方が教室で日々されている見取りとどれくらい重なっているのか/違うのか、先生方とディスカッションしてみたいと思いました。
(為田)