教育ICTリサーチ ブログ

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書籍ご紹介:『語学の天才まで1億光年』

 「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」をポリシーとするノンフィクション作家の高野秀行さんの著書『語学の天才まで1億光年』を読みました。

 大学時代から世界各地で探検をし、取材をしてきた高野さんは25以上の言語を学んできています。新しい言語をどんどん獲得していく工夫、世界が広がっていく楽しさ、人と繋がっていく楽しさと大変さがいきいきと書かれていて、「外国語、もっと話せるようになりたいっ!」と思いました。

 最後の「エピローグ そして語学の旅は続く」のところで、言語学習について学校での授業について考える参考になりそうなことが書かれていたので、読書メモを共有します。

基本的には、二十代の頃と言語学習スタイルは変わっていない。(p.319-320)

  • 誰でもいいからネイティブに習う
  • 使う表現から覚える(目的に特化した学習)
  • 実際に現地で使ってウケる(現地にいるとき即興で習うことも多々あり)
  • 目的を果たすと、学習を終え、速やかに忘れる(ひじょうに残念であるが)

 高野さんは学生時代からずっと外国語を次々に身につけていっている人なのです。その人の言語学習スタイルは参考になる気がします。特に、2つめの「使う表現から覚える(目的に特化した学習)」と3つめの「実際に現地で使ってウケる」は大事なポイントなように思います。

 高野さんは、年齢を重ねてきて少し言語学習の方法を変えた、と続けて書いています。

最近は学習法を変えた。ネイティヴに例文を録音してもらい、それを毎日くり返すところまでは従来と同じだが、無理して覚えないようにした。単語帳も作らないし、自分自身でテストもしない。
それより、むしろ現地へ行って、「あらためて覚える」ようにする。現地の人に「お腹が空いたって何て言うの?」などと超初級の表現からどんどん訊く。答えを聞いて「あー、習ったことあるなあ」と思うときもあれば、「え、そんな言い方だっけ?」と思うときもあるが、頓着せずそれをメモして使うようにする。すると、すでに練習してある表現だからけっこう速やかに脳に入り、少なくとも滞在中(旅の最中)は記憶しておくことができるのだ。ときには、現地の人たちの会話を聞いていると、深い沼の底から幻の魚が浮かび上がってくるように、忘れたはずの例文がふわっと浮かんでくることもある。(p.320-321)

 そしてさらに、ITの登場で言語学習の環境が大きく変わったと書いています。

もう一つの大きな変化はITの登場である。2000年代にインターネットが、そして2010年代にスマートフォンが普及することにより、語学環境は激変した。
前述したように、私の録音リピート学習もカセットテープからスマホに代わった。SNSで海外の知人友人とチャットをするのが日常となった。それまでは、パソコンではタイ語アラビア語といったアルファベット以外の文字を打ち込むことができなかった。キーボード配列を覚えられなかったからだ。ところが、スマホではタッチパネルなので、50代の溶けかかった脳味噌でも簡単に打ち込むことができる。
チャットはいい。電話とちがい、考える時間がある。わからない単語や表現があれば、辞書ではなく、グーグル翻訳に相談だ。グーグル翻訳は2010年代半ばぐらいまでは間違いだらけだったが、この数年で見ちがえるほど精度が上がってきた。(p.321-322)

 グーグル翻訳だけでなく、ネイティヴの友だちからネット上のニュースや写真、動画などがダイレクトに送られてくるようになったし、Zoomなどでのオンラインレッスンも普通になって先生は世界のどこにいてもかまわなくなったし、環境は本当に大きく変わっています。
 英語やフランス語や中国語など話者が多い言語ももちろんですが、話者が少ない言語についてはテクノロジーによって状況は劇的によくなっているのでしょうね。

さて、ここまで書くと読者の方は重要な疑念を感じるかもしれない。少なくとも私は感じる。
機械翻訳・通訳がここまで進化した今、果たして語学をやる意味はあるのか?」
なにしろ、チャットだって、最初からグーグル翻訳あるいは他のもっと優秀な翻訳アプリで丸ごと翻訳してしまえばいいのだ。ツイッターフェイスブックといったネットのニュースも同様で、ビルマ語やアラビア語、ソマリ語でさえ訳すことができる。100%とは言えないが、大意は十分につかめる。
会話も同様だ。通訳の機械やアプリが発達し、今や旅行やビジネスシーンでもそれで事足りる段階に入ってきた。今後は加速度的に言語の壁が消えていくにちがいない。(p.322-323)

 高野さんは、「この状況を半ば歓迎し、半ば恐れおののいている」(p.323)と書いています。歓迎するのは、「英語およびヨーロッパ言語の理不尽な特権」を減じてくれるはずだからです。マイナー言語人のハンディキャップはかなり軽減されることになります。恐れおののいているのは、これまでやってきた「片言に毛が生えたことを喋って目的を達成する」ということの意味がなくなるかも知れないからだと書いています。

 学校で英語を勉強している中学生・高校生のなかにも、同じように「機械翻訳・通訳がここまで進化した今、果たして語学をやる意味はあるのか?」と思っている人は多いのではないでしょうか。先生方にも「このままでいいのか?」と疑問に思っている人もいるかもしれません。それについての高野さんの答えが続けて書かれていました。

やはり語学の必要性が完全になくなることはないのではないかと私は思っている。IT時代の語学の意味を考えるには、まさにこの本に書いたことが肝になる。私はくり返し述べている。言語には「情報を伝えるための言語」と「親しくなるための言語」の二つがあると。
ITでまかなえるのはもっぱら「情報を伝えるための言語」なのである。いっぽう、「親しくなるための言語」はそもそも情報伝達には必要のないものなのだ。フランス語で話して通じるなら、リンガラ語を使う必要はないはずだ。でも、リンガラ語で話すと「共感」が得られる。仲良くなれる。
そういう語学は、なくならないはずだ。例えばBTSを筆頭に韓国のアイドルグループやK-POP若い人たちや子供の間で大人気を博しており、韓国語を習う人が増えているという。一瞬どうして?と思ってしまう。BTSの歌の歌詞や彼らの発言などはすべて翻訳されているはずだ。今さら韓国語を覚える必要はないじゃないか。でも、ファンになると「翻訳じゃ物足りない、もっと近づきたい」という気持ちが生まれるのだろう。自分がその立場になったと考えれば容易に想像できる。
翻訳や通訳は、ガラス越しでの会話みたいなものだ。興味を抱いた他人と、ガラス越しではなくじかに触れたいと思うことは、人間の本能に根ざしているのかもしれない。互いの心臓の鼓動を聞くような語学は生き続けると、私が確信するゆえんだ。(p.323-324)

 とても賛成できる答えだなと思いました。「親しくなるための言語」って大事だと思うのです。こうした観点をもちながら、テクノロジーをツールとして使いこなして言語習得をしていけるような授業が増えるといいなと感じました。

 エピローグのところから学校教育に関わりのありそうな部分をメモして共有しましたが、この本は本編が圧倒的におもしろいです。探究学習ってこういうことだな、と思わされる本で、学校の図書室に入れてほしいです。

(為田)