この問題、わかりますか?
ちょっと前になりますが、2014年5月に、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の情報経済論の授業にゲストスピーカーとして参加させていただいたときに、最初に質問をした問題です。
さて、「何でしょう?」と質問をしていきます。5月の授業でも大学生たちに講義教室で質問をしました。
いろいろな機会にこの質問をしていますが、出てくる答えで多いのは、「コンピュータ」あるいは「インターネット」とかが多いですね。なるほど。けっこう最近な話だと思っているのですね。違います。もうちょっと昔の話です。
さて、これが何年に言われた言葉なのか、ヒントとして出しましょう。
1913年…。ってことは、答えは「コンピュータ」でも「インターネット」でもないということです。
誰が言ったか…?
トーマス・エジソンです…。じゃあ、何が学校制度を大きく変えたんだろう…。1913年時点で10年以内に変わっている、と予言しているのであれば、私たちの学校生活の中にすでにそれがあるのだろうか…。と想像しますが、答えはこちらです。
えええ…。という感じですよね…(笑)書籍、なくなってないです。映画を使って教える?いやいや…そうはなっていませんね。
この話からわかる、ごくごく当たり前のこと
どうして授業のときに、このエピソードを紹介したのか。「エジソンですら、未来を言い当てられない」ということが言いたいわけではありません。言いたいのは、「映画で教えるっていうのは魅力的だったかもしれないけれども、書籍の方が適していた部分が多いのだろうな」というごくごく当たり前のことです。
当時、映画は最新のテクノロジーだったと言えるでしょう(エジソンの発明した映写装置が商品化されたのは1894年)。たしかに、書籍よりも映画の方が伝わりやすい学習内容も多かったことでしょう。だからといって、「あらゆる分野が○○で教えられる」というふうにはなりません。その理由は、「映画よりも書籍の方が教えやすいこともあったから」でしょう。
単純な、ただそれだけのことです。でもこれは、現状の教育現場へのICT導入と非常に似たところがあると感じます。
教育の改革を減点法で考えない
教室に何かを持ち込む時に、「今よりもいい何か」によって、現状とすべて取り替えることはほとんど実現しません(エジソンの予言が当たらなかったように)。「今よりもいい何か」で100点満点を取ることができるならそれでもいいですが、そんなことはありえないからです。
例えば、ICT機器を学校に導入することで、「文字が書けなくなる」とか「図形は自分でノートに書かないと覚えない」などさまざまな反論が行なわれます。教室に立っていらっしゃる先生が指摘されるのですから、たしかにそうなのでしょう。まず、先生方のこの言い分を、教育に携わる専門職の人たちのコメントとして認めましょう。ICTは魔法の杖ではありません。いくつかのポイントでは明らかに紙と鉛筆を使った現状の学習方法に勝てないでしょう。
だからといって「ICTを導入すべきではない」というのはちょっと厳しすぎると思います。
たしかにICTは100点満点はとれない。でも、今よりも教室を、教育現場を良くできる部分もあります。今の教室での教え方を仮に70点と採点するとして、ICTを活用することで75点でも80点でも、今より加点することができるのであれば、導入を検討する意味があると思います。
減点法で、「これができない」「あれができない」と導入を先送りにするよりは、「これはできるようになる」「あれもできるようになる」と、加点できる部分を探していくことが重要なのではないでしょうか。「加点できる部分を探す」という仕事は、教育に携わる専門職であり、知見とノウハウを持っている先生方の仕事です。
ICTの導入は「ゴール」ではなく「手段」です。「ゴール」は、教育現場をより良くすることなのですから、加点できるところを探しながら、導入を進めていくべきだと考えます。
お金との関係も
ICT機器の導入にはお金がかかります。だから、実は加点されるのがたった5点だったとしたら、それに見合うだけのお金なのかという判断が必要でしょう。
予算をつける議会も、導入した後に質問をする議員さんも、最初に「ICTを導入します、どの点について評価をします。」と評価軸を明確に出しておくべきだと思います。そして、これは導入前に設計をしておかなければ、フェアな調査にするのは非常に難しいので、そうした点は現場の先生方まで含めて、考えておくべきことだと思います。
(研究員・為田)