A・コリンズ、R・ハルバーソン『デジタル社会の学びのかたち Ver.2 教育とテクノロジの新たな関係』をじっくり読んで、Twitterのハッシュタグ「#デジタル社会の学びのかたち」を使って、ひとり読書会を実施したのをまとめておこうと思います。
「8章 学校はどうすれば新たなテクノロジとつきあえるのか」を読みました。最初に、新たなテクノロジが、何をもたらすのかということについてまとめられていました。
「新たな教育システムの創造に携わる関係者は、テクノロジが引き起こす革命が必然であることを理解しておかなければなりません。テクノロジがもたらすこの必然を、カスタマイズ、インタラクション、学習者コントロールの3つにまとめました。」(p.131) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) November 7, 2020
- カスタマイズ
人々が望むときに望む知識を提供し、人々が学ぶ際、個別にサポートしたり、ガイドしたりすることに関連します。- インタラクション
学習者に即時フィードバックをしたり、現実的な課題に取り組む際、学習者の積極性を促したりするコンピュータの能力が関係します。- 学習者コントロール
可能な限り、学習者が自身の学習に責任をもてるようにすることです。その結果、学習を自分事として受けとめる感覚が生まれたり、自らの関心に応じて学習を導いたりできます。
そのうえで、より良い教育システムをデザインする際に、全部作り直すのではなく、古いものと新しいものをうまくまとめるべきであること。また、古いものと新しいものをまとめる手助けとなる3つの領域が紹介されます。
「ゼロから新しい教育システムを作り直す必要はありません。より良い教育システムをデザインするとは、既存のピースの何をつくり替え、まとめ、省くことができるのかを理解することを意味します。」(p.133) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) November 7, 2020
「古いものと新しいものをうまくまとめる手助けとなる3つの領域」(p.133)を紹介:1.パフォーマンスに基づく評価、2.新しいカリキュラムデザイン、3.デジタル世界における公正性への新しいアプローチ #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) November 7, 2020
- パフォーマンスに基づく評価
- 学習を測る方法の最近の動向:「国家による認定システムと、スキルベースの評価システム」→「学習に対する既存のアプローチと新しいものをつなぐ道の1つが、国家認定システムを開発することです」(p.133-134)
- 「その認定制度は、コンピュータ上で、あるいは、学校やラーニングセンターで訓練された専門職によって運営されます。人々は、好きなだけたくさんの認定資格を申し込むことができます。準備ができたと思った時には、いつでも試験を受けられるようになります。」(p.134)
- 「教師や学区が決めたときに試験を実施する学校とは異なります。認定資格は、高校の卒業証書よりかなり限定的で明確なものです。卒業証書や学位といった機関による認定の代わりに、特定のスキルに関して、学習者の専門性を保証します。」(p.134)←このあたり、履修主義から習得主義への流れにも近い物があると思います。また、こうした認定資格をブロックチェーンと組み合わせていく、というEdTechのソリューションも何度か聴いたことがあります。知こそが誰にも奪われない財産だ、というのを実現するテクノロジー。
- 「学習者とその保護者が思い描く目標と、認定資格とが結びつく」→「テクノロジのカスタマイズ性と学習者コントロールに対して、より適した評価システム」が実現→「保護者と生徒が相談できる、オンラインシステムへのニーズが高まると考えられます。」(p.134)
- 「職業を選択するために、どの認定資格が必要なのか、おのおのの認定を得るために、何を知る必要があるのか、不可欠な知識を得るのにどんな方法を用いることができるのか、といったことに関するコンサルティングを提供するのです。」(p.134)
- 「認定資格は、3つの領域で発展すると考えています。アカデミックスキル、ジェネリックスキル、専門的スキルです。」(p.134)
- 「エビデンスに基づく評価と認定制度を組み合わせることで、教育の議論を学習成果にフォーカスできるようになります。評価活動は、教育、ビジネス、評価に関する有識者のコミュニティが提供する、より真正な活動となるでしょう。」(p.137
- 「生徒は、就職活動や大学進学のために認定資格ポートフォリオをつくります。現在の高校や大学の単位認定とは異なり、パフォーマンスに基づいた認定システムは、大人の学習で問題とされる知識やスキルとリンクしています。」(p.137)
- 「パフォーマンスに基づいた認定システムを展開することは、生徒が知ること、できてほしいことを、教育者に慎重に見定めさせることにもなります。」(p.137)
- 新しいカリキュラムデザイン
- 「新しいメディア・テクノロジは、カリキュラム開発の新しい道を切り拓いています。その範囲は、指導と学習の新しいかたちから、生徒と教師の新しいインタラクションを生み出す方法にまで及びます。」(p.137)
- 「私たちが支持するカリキュラムデザインは、テクノロジを用いて、生徒の学びを自らの目標や関心に沿ったものにします。生徒の年齢であるとか、学校の一般的なカリキュラムより、生徒の目標や関心に基づいたカリキュラムに取り組む学校になるでしょう。」(p.137)
- 「メーカースペースやYMAOなどは、画稿での教育プログラムのモデルとなります。カリキュラムは、低学年では、家族、ペット、スポーツ、恐竜といったトピックで始まります。やがて、映画制作、メディア制作、生物医学、ビジネス・マネジメントといった領域へと進みます。読み書き、計算、科学、歴史、地理などの伝統的なアカデミック・スキルは、それぞれのカリキュラムに織り込まれています。」(p.137-138)
- 「このようなカリキュラムでは、例えば恐竜の進化についてビデオを制作するような、複雑な課題を遂行するなかで、重要な内容やスキルを生徒が学ぶことを大事にしています。」(p.138)
- 生徒はまず初心者として、小さなプロジェクトに取り組む。より経験豊かな生徒がメンターとなり、プロジェクトの進行をする。
- 経験を積んだ次には、他の生徒とより大きなプロジェクトに取り組み始める。そこでは、さらに進んだ生徒が、プロジェクトやサブプロジェクトのリーダーになる。
- いくつかのプロジェクトに取り組んだ後であれば、新しく入ってくる生徒たちに対するメンターとしてふるまえるようになっている。
- 新たな生徒にうまくメンタリングができれば、より大きなプロジェクトのリーダーや、サブプロジェクトのリーダーが務まるようになる。
- デジタル世界における公正性への新しいアプローチ
- 「家庭にとってテクノロジ・ベースの学習は、公教育の補充的なものにも、代替手段にもなり得ます。その結果、新しいメディア・テクノロジによる学習の多くは、学習機会の不平等をもたらしているように見えます。」(p.141-142)←このあたり、「ICTができない人もいるから」という形で、「みんなが使える程度でやる」というふうに下に合わせようとする学校も少なくない現状と重なるなあ。不平等を、どうすればいいのか、ということは考えなければならないと思います。どういう教育を受けていくかというのを、すべて保護者の責任にするというのは、生まれついた環境によって将来を選べなくなる可能性が高いと思うので(いまでもそれなりに教育格差はあるので)、テクノロジーを教育機会を公正にするために使ってほしいと思います。
- 「新しいメディアは、(略)新たな教育経験やアフィニティグループへのアクセスを提供できると私たちは考えています。」(p.142)
すべてを一気に変えることができる学校もあるでしょうけれど、大きな公教育という制度をまとめて全部変えるということは、システムが大きいからこそ僕は慎重であってほしいと思っています。ある地域やある学校ではたしかに、「学校なんて要らないんじゃ…?」と思えることもあるかもしれませんが、逆に多くの地域では、学校が大きな役割を果たしてもいると思っています。うまく、新しい仕組みを実装して、稼働させていく、アップデートしていくことこそが重要だと思っています。
「教育のシステムは変わらなくていい」とはまったく思っていませんが、慎重にやっていくべきだ、と僕は思っていますが、そうした議論のなかで考えていきたい情報が、この第8章でまとめられていると思いました。
「テクノロジは、教育における公正さの問題を明らかに悪化させました。私たちは、この問題をどのようにすれば軽減することができるのか、慎重に考える必要があります。」(p.143) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) November 7, 2020
No.9に続きます。
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(為田)