教育ICTリサーチ ブログ

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『デジタル社会の学びのかたち Ver.2』 ひとり読書会 No.2「2章 テクノロジ推進派の意見」

 A・コリンズ、R・ハルバーソン『デジタル社会の学びのかたち Ver.2 教育とテクノロジの新たな関係』をじっくり読んで、Twitterハッシュタグ#デジタル社会の学びのかたち」を使って、ひとり読書会を実施したのをまとめておこうと思います。

 「2章 テクノロジ推進派の意見」は、テクノロジで学校を変えていこうという推進派の意見が紹介されています。その背景にある2つの考え方が最初に挙げられています。


子どもたちを取り巻く世界の変化に子どもたちが準備できるよう、学校教育もそれに適応する必要がある

 まず、21世紀の準備をさせるべき場所である学校が、「19世紀のテクノロジを使い続け」ていることなどが書かれています。「19世紀のテクノロジで21世紀の準備を生徒にさせようとすることは、自転車に載せてロケットを操縦することを教えているようなものだ」(p.12)とも書かれています。

 ここで書かれている「コンピュータを思考のツールに」というのは僕はいちばんやりたいところです。考えたり、表現したりするツールとして、デジタルを使えるようになる=生身の自分の能力を拡張してくれると思うからです。この「拡張」という考え方が僕にはしっくり来て、最近プレゼンテーションをする機会があれば、だいたい「なぜICTを教育に導入する必要があるのか」というところで伝えるようにしています。

 「地域のコミュニティを超える」ということは、これまでの自分の身体が届く(目で見えたり、声が聞こえたりする)範囲だけだった情報のやりとりや人との繋がりが、さらに遠くまで届くようになるということで、世界を広げてくれることは生き方の可能性を広げてくれることにも繋がると思うので、僕はこの考えにも賛成です。

 たしかに、最近の子どもたちの遊び方や時間の過ごし方を見ていると、デジタルを普通に取り入れていることを感じます。

 ここで言及されている、ミミ・イトウ(伊藤 瑞子)さんの著作も読んでみたいと思いました。2006年発行か…読んでみて、変わったところ、変わっていないところを見てみたいですね。

テクノロジによって学習者を教育する機能を強化できる

 「インタラクティブ学習環境には、学校が容易に提供できない教育をもたらすさまざまな可能性があります」(p.17)として、学校の進化の特色が書かれていたので、まとめてみました。

  • ジャストインタイム学習
    • 「課題に取り組む際、何かを学ぶ必要が生じたときに、いつでも、知る必要があるものを見つけられるということ」(p.17)
    • コンピュータのヘルプシステムのように、自分のタイミングで、知りたいときにその情報を得られる。
    • 「テクノロジ推進派は、人がいつか知る必要があるかもしれないすべての科目を教えようとする学校の戦略に対抗するものとしえt,ジャストインタイム学習に賛成の立場をとっています」(p.18)
    • 学校教育は徐々に拡大してきていて、教えられる内容は、「それがなんらかの現実の文脈で使われるかもしれない場面と、ますますかけ離れてきている」(p.18)
    • 「ジャストインタイム学習の背後にある考え方は、学習者がどこにいても、先生と一緒の教室にいなくても、正しい情報を見つけることができるスキルを習得することです」(p.18)
  • カスタマイズ
    • テクノロジの普及により、個々の嗜好へ対応することができる。GoogleAmazonなどが出してくる、オススメ機能など。
    • 「テクノロジ推進派によれば、カスタマイズは人々の学習のあり方を強化する大きな可能性を提供するといいます」(p.19)
    • 若者は、「学ぶ必要のあることを自分たちで決めたいと要求し始めています。テクノロジ推進派は、カスタマイズのテクノロジが最良の効果を生めば、学校の大量生産型のカリキュラムを打開できるだろうと考えています」(p.20)
  • 学習者コントロール
    • かつてはブロードキャスティングでしか情報が提供されていなかったが、広くさまざまな人が情報を提供できるようになった。「知識の情報源が分散されるにつれ、たくさんの人が制作者であり消費者になろうとしています」(p.21)
    • 「学校教育は、伝統的な知識をコミュニティに伝えるための制度として発展しました。教育者は学校のカリキュラムを決定することで、人々が何を学習するかをコントロールしています(略)テクノロジ推進派の意見では、活版印刷機がそうであったように、新しいテクノロジも、人々が自分たちの学習をコントロールすることを可能にします。人々は自分たちにとって価値あるものを決め、学びたいものを決めるようになるでしょう。どれだけの時間を費やしたいか、どのような助けが必要と考えるのかも、自分たちで決めることができます」(p.21)
  • インタラクション
    • コンピュータによるドリル学習は、子どもたちを退屈させず、やる気にさせられる。「高度でダイナミックなインタラクションを提供することによって、コンピュータを基盤とした学習環境が、教育をさらに魅力的なものにしていくだろう」(p.22)
    • 「テクノロジ推進派は、学習者は行った操作に対してすばやいフィードバックが与えられると、何をすることが正しいのかより学習するようになると考えています」(p.23)
  • 足場かけ
    • 「足場かけとは、学習者がさまざまな活動を実行できるよう、システムが提供する支援のことです」(p.23)
    • 「テクノロジ推進派は、サポートしなければいけないたくさんの生徒がいるなかで、教師には、生徒個別に足場かけを提供する時間はないと考えています」(p.24)
    • 「コンピュータによる個別の足場かけは、叱られることも、助けが必要だと他の生徒に知られることもなく、支援を提供します」(p.24)
  • ゲームとシミュレーション
    • シミュレーションを使うことで、「プレイヤーは、危険性の高い行動であっても、現実の制約の一部を反映した環境で体験できます」(p.24)
    • 「ゲームをしているときの「フロー」状態は、スキルの上達とその活用が混然となった体験です」(p.28)→学校は、「フロー」状態になる機会を制限する学習環境になってしまっているのではないか?
  • マルチメディア
    • 「テクノロジ推進派は、さまざまな形態をとるメディアは、そのどれもが学習環境のデザインに役立つと考えています。生徒たちの多様な学習スタイルや能力、学習内容に応じて、異なるメディアを用いることによって、学習を強化することができるのです」(p.29)
  • コミュニケーション
    • 学校の子どもたちの作品を、外部へも公開することで、「真正なフィードバックを経験」(p.30)することができるようになる。
    • 「テクノロジ推進派は、学習者が新しいアイデンティティを探求するための多くの場を、インターネットが提供していると主張しています」(p.31)
  • リフレクション
    • 「学習者がある状況のなかで、自分のパフォーマンスを見直したり、模範や他人のパフォーマンス、例えば学習者自身の以前のパフォーマンスや、熟達者のパフォーマンスと比べたりするとき、リフレクションは起こります」(p.32)
    • リフレクションには3つのかたちがある
      • 自分のプロセスのリフレクション:
        テクノロジによって、ログを残して見ていくことができる。
      • 自分のパフォーマンスと熟達者のパフォーマンスとの比較:
        テクノロジによって、他者のパフォーマンスとの比較が容易になる。
      • パフォーマンスの評価規準と自分のパフォーマンスとの比較:
        テクノロジによって、規準に照らして自分たちのでき具合を評価するよう求めることができる。リフレクションをした生徒は改善ができる。

まとめ

 挙げられた理由すべてに「そうだそうだ」と賛成をするわけではありませんが、いまの学校が抱えている問題を解決できるテクノロジの使い方も多く書かれていたと思います。

 学校は、先生方は、学校がうまく行かない状況を、「カリキュラムの再設計や、教師教育という従来の手段を用いて、指導と学習を変えようとしてきました」(p.35)。

 とは言うものの、なかなか学校を変えることは大変である、ということも書かれています。失敗例はたくさんあるのです(よく、「このアプローチは、死屍累々です」という言葉をいただいて、ガガーンとなることも多い…)。

 次の3章では、逆に「テクノロジのパワフルさと、指導と学習との間における相互作用を理解する」(p.36)ために、テクノロジ懐疑派の立場になってみます。

 No.3に続きます。
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(為田)