A・コリンズ、R・ハルバーソン『デジタル社会の学びのかたち Ver.2 教育とテクノロジの新たな関係』をじっくり読んで、Twitterのハッシュタグ「#デジタル社会の学びのかたち」を使って、ひとり読書会を実施したのをまとめておこうと思います。
「2章 テクノロジ推進派の意見」は、テクノロジで学校を変えていこうという推進派の意見が紹介されています。その背景にある2つの考え方が最初に挙げられています。
「なぜ新しいテクノロジは、学校教育に変革をもたらすと考えられているのでしょうか?」(p.11)→1.「子どもたちを取り巻く世界の変化に子どもたちが準備できるよう、学校教育もそれに適応する必要がある」2.「テクノロジによって学習者を教育する機能を強化できる」 #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 17, 2020
子どもたちを取り巻く世界の変化に子どもたちが準備できるよう、学校教育もそれに適応する必要がある
まず、21世紀の準備をさせるべき場所である学校が、「19世紀のテクノロジを使い続け」ていることなどが書かれています。「19世紀のテクノロジで21世紀の準備を生徒にさせようとすることは、自転車に載せてロケットを操縦することを教えているようなものだ」(p.12)とも書かれています。
「産業革命の動力源が、普通の人々の肉体を超えた力を与えたと同様に、コンピュータ・ツールは普通の人の思考の力を大きく広げます。来たるべき将来の世界では、デジタル技術を使用することなく、複雑な問題を解決したり、効率よく考えたりすることは」できない(p.13) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 17, 2020
ここで書かれている「コンピュータを思考のツールに」というのは僕はいちばんやりたいところです。考えたり、表現したりするツールとして、デジタルを使えるようになる=生身の自分の能力を拡張してくれると思うからです。この「拡張」という考え方が僕にはしっくり来て、最近プレゼンテーションをする機会があれば、だいたい「なぜICTを教育に導入する必要があるのか」というところで伝えるようにしています。
デジタルによって、コミュニケーションの変化も起こっている。「歴史上、最も長く継続している動向の1つに、場のコミュニティから、関心のコミュニティへのムーブメントがあります。(略)テクノロジは、地域を基盤としたコミュニティの限界を緩和しました」(p.14) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 17, 2020
「電話・ラジオ・テレビは、私たちの知識を広げ、世界中の人々をつなげました。インターネットは地域のコミュニティを超え、世界中の人々が双方向につながりあう機会をさらに広げています。」(p.14) #デジタル社会の学びのかたち
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「地域のコミュニティを超える」ということは、これまでの自分の身体が届く(目で見えたり、声が聞こえたりする)範囲だけだった情報のやりとりや人との繋がりが、さらに遠くまで届くようになるということで、世界を広げてくれることは生き方の可能性を広げてくれることにも繋がると思うので、僕はこの考えにも賛成です。
「人々は今や、ビジネスや社会的なつながりのために、ネットワーク化されたデジタルメディアを使っています。10代の子どもたちは、新しいデジタルメディアの活用法について先を行っています。」(p.16) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 17, 2020
「デジタルメディアをマスターすることが、新しいメディアリテラシーをもたらしている」(p.16)→10代は、アニメーション、CGなどを使い、作品を制作し、チャットやフォーラムに参加し、自身で情報を発信している。 #デジタル社会の学びのかたち
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「これらは、学校で教わらない高度なメディアリテラシーを高めることにつながっているのです。新しい世界でコミュニケーションできるように子どもたちに準備させるには、伝統的な読み書きだけでは不十分です」(p.16) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 17, 2020
たしかに、最近の子どもたちの遊び方や時間の過ごし方を見ていると、デジタルを普通に取り入れていることを感じます。
ここで言及されている、ミミ・イトウ(伊藤 瑞子)さんの著作も読んでみたいと思いました。2006年発行か…読んでみて、変わったところ、変わっていないところを見てみたいですね。
「テクノロジ推進派は、学校の外で起こっている多方面の新しいテクノロジの可能性を、学校も受け入れてほしいと考えているのです」(p.16) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 17, 2020
テクノロジによって学習者を教育する機能を強化できる
テクノロジは、学習者を教育する能力の拡張にも使われるべきだ、という考え方について。「テクノロジ推進派は、指導と学習に変化を引き起こすために、インタラクティブ学習環境のデザインのような、より洗練された導入モデルを目指しています」(p.17) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 17, 2020
「インタラクティブ学習環境には、学校が容易に提供できない教育をもたらすさまざまな可能性があります」(p.17)として、学校の進化の特色が書かれていたので、まとめてみました。
- ジャストインタイム学習
- 「課題に取り組む際、何かを学ぶ必要が生じたときに、いつでも、知る必要があるものを見つけられるということ」(p.17)
- コンピュータのヘルプシステムのように、自分のタイミングで、知りたいときにその情報を得られる。
- 「テクノロジ推進派は、人がいつか知る必要があるかもしれないすべての科目を教えようとする学校の戦略に対抗するものとしえt,ジャストインタイム学習に賛成の立場をとっています」(p.18)
- 学校教育は徐々に拡大してきていて、教えられる内容は、「それがなんらかの現実の文脈で使われるかもしれない場面と、ますますかけ離れてきている」(p.18)
- 「ジャストインタイム学習の背後にある考え方は、学習者がどこにいても、先生と一緒の教室にいなくても、正しい情報を見つけることができるスキルを習得することです」(p.18)
- カスタマイズ
- 学習者コントロール
- かつてはブロードキャスティングでしか情報が提供されていなかったが、広くさまざまな人が情報を提供できるようになった。「知識の情報源が分散されるにつれ、たくさんの人が制作者であり消費者になろうとしています」(p.21)
- 「学校教育は、伝統的な知識をコミュニティに伝えるための制度として発展しました。教育者は学校のカリキュラムを決定することで、人々が何を学習するかをコントロールしています(略)テクノロジ推進派の意見では、活版印刷機がそうであったように、新しいテクノロジも、人々が自分たちの学習をコントロールすることを可能にします。人々は自分たちにとって価値あるものを決め、学びたいものを決めるようになるでしょう。どれだけの時間を費やしたいか、どのような助けが必要と考えるのかも、自分たちで決めることができます」(p.21)
- インタラクション
- 足場かけ
- 「足場かけとは、学習者がさまざまな活動を実行できるよう、システムが提供する支援のことです」(p.23)
- 「テクノロジ推進派は、サポートしなければいけないたくさんの生徒がいるなかで、教師には、生徒個別に足場かけを提供する時間はないと考えています」(p.24)
- 「コンピュータによる個別の足場かけは、叱られることも、助けが必要だと他の生徒に知られることもなく、支援を提供します」(p.24)
- ゲームとシミュレーション
- シミュレーションを使うことで、「プレイヤーは、危険性の高い行動であっても、現実の制約の一部を反映した環境で体験できます」(p.24)
- 「ゲームをしているときの「フロー」状態は、スキルの上達とその活用が混然となった体験です」(p.28)→学校は、「フロー」状態になる機会を制限する学習環境になってしまっているのではないか?
- マルチメディア
- 「テクノロジ推進派は、さまざまな形態をとるメディアは、そのどれもが学習環境のデザインに役立つと考えています。生徒たちの多様な学習スタイルや能力、学習内容に応じて、異なるメディアを用いることによって、学習を強化することができるのです」(p.29)
- コミュニケーション
- リフレクション
- 「学習者がある状況のなかで、自分のパフォーマンスを見直したり、模範や他人のパフォーマンス、例えば学習者自身の以前のパフォーマンスや、熟達者のパフォーマンスと比べたりするとき、リフレクションは起こります」(p.32)
- リフレクションには3つのかたちがある
まとめ
挙げられた理由すべてに「そうだそうだ」と賛成をするわけではありませんが、いまの学校が抱えている問題を解決できるテクノロジの使い方も多く書かれていたと思います。
テクノロジ推進派の考える学校ビジョンについて:「テクノロジ推進派は、学校はもっとテクノロジの豊富な環境になることができるとみています。生徒たちは、強力なコンピュータ・ツールの助けを借りながら、意味のある課題に協力して取り組むでしょう」(p.34) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 17, 2020
学校は、先生方は、学校がうまく行かない状況を、「カリキュラムの再設計や、教師教育という従来の手段を用いて、指導と学習を変えようとしてきました」(p.35)。
「一方でコンピュータは、学校についていけない子どもたちにも届けることができ、彼らを夢中にさせ、カスタマイズでき、彼らに合った学習機会を提供することができる(略)その上で、課題になるのは、テクノロジを学校における授業のコアに組み入れることです」(p.35) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 17, 2020
「テクノロジ推進派が思い描いている学校は、生徒たちがリアルな課題に取り組む場所です。大人は彼らを支援する役割を担い、新しい活動へと導き、彼らが問題に直面したときに助けの手を差し伸べます」(p.35) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 17, 2020
とは言うものの、なかなか学校を変えることは大変である、ということも書かれています。失敗例はたくさんあるのです(よく、「このアプローチは、死屍累々です」という言葉をいただいて、ガガーンとなることも多い…)。
「学校教育を変えようとする努力は、何が原因で、どのようにこれまで失敗してきたのか、長きにわたった研究があります。テクノロジ懐疑派は、学校における指導と学習の営みを根本的に変えるには、リソース、トレーニング、スキルが欠如していたと主張してきました」(p.35) #デジタル社会の学びのかたち
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) October 17, 2020
次の3章では、逆に「テクノロジのパワフルさと、指導と学習との間における相互作用を理解する」(p.36)ために、テクノロジ懐疑派の立場になってみます。
No.3に続きます。
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(為田)