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書籍ご紹介:『なめらかな社会とその敵 PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論』

 鈴木健なめらかな社会とその敵 PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論』を読みました。2013年に出版された本ですが、フェイクニュースや政治の分断の問題など今日的な問題に通じることがたくさん書かれていて、とてもおもしろかったです。

なめらかな社会とその敵

なめらかな社会とその敵

  • 作者:鈴木 健
  • 発売日: 2013/01/28
  • メディア: 単行本

 インターネットというテクノロジーの発達によって、社会がどう変わっていくのかということが書かれています。

限りない数の挫折を繰り返した後に、私たちが見ているような現代の普通選挙が、世界史の中で安定的に現実化したのはごくごく最近のことだ。その実現のために多くの血が流れ、失敗の教訓は知の蓄積として、あるいは制度そのものの中に活かされている。
血が乾く間もなく、この10年で、良くも悪くも20世紀的民主主義を支えていた新聞やテレビ、雑誌といったマスメディアは急速に衰退しはじめた。これは、国民国家概念とマスメディアのカップリングが、インターネットの登場による価値観と関心の多様化についてこれなくなりつつある前兆現象であろう。私たちは、ネットの文法に即した新しい民主主義の仕組みを考えなくてはならない。
近代民主主義の成熟は、国民国家概念に依存し、制度の硬直さをもたらしつつある。いま必要とされているのは、間接民主制と直接民主制をハイブリッドにもつネットワーク委任的でダイナミックな民主制を、ネットの技術を用いて実現することである。(p.130)

 テクノロジーによって変質し、現状に即さなくなっている社会をテクノロジーでもって通貨や選挙などさまざまな仕組みを変えていくと例が書かれます。なかでも、これまで「個人」という概念でやってきたこの社会を、さらに小さい「分人」という概念にする、という考え方は非常におもしろいと思いました。
 個人と分人について書かれている部分を引用します。

個人(individual)という幻想

近代民主主義は、一貫した思想と人格をもった個人(individual)が独立して存在している状態を、事実論としても規範論としても想定している。
個人に矛盾を認めず、適度に人格の一貫性を求める社会制度は、人間が認知的な生命体としてもつ多様性を失わせ、矛盾をますます増幅させてしまう。そして、一貫性の強要は、合理化、言い訳を増大させ、投票結果を歪めることになる。
そうした近代的な個人(individual)にかわって、分人(dividual)という概念を提示してみよう。“dividual”は、ジル・ドゥルーズ(哲学)が「管理社会について」という短い論考の中で使った概念である(Deleuze, 1990)。彼は、現代社会は規律社会から管理社会へ移行しているというミッシェル・フーコー(哲学)の分析に着目した。権力のあり方が、学校、監獄、病院、工場といった閉鎖された空間における規律訓練から、生涯教育、在宅電子監視、デイケアといった時空間に開かれた管理へと変容していくという。(p.134)

そもそも“individual"は、否定の接頭語”in"と「分割できる」という意味の"dividual"が合体し、「これ以上分割できない」すなわち個人という意味になった。しかし、神経科学の知見にあるように、人間は本来は分割可能であり、しかもかりそめにも個人として統合してきた規律社会のたがが、もはや外れようとしている。
近代民主主義が前提としている個人(individual)という仮構が解き放たれ、いまや分人(dividual)の時代がはじまろうとしている。人間の矛盾を許容してしまおう。そして、分人によって構成される新しい民主主義、分人民主主義(Divicracy=dividual democracy)を提唱することにしよう。(p.135)

 1票をさらに細かく分けて、さまざまな政策課題に少しずつ投票するということができるようになる、分人民主主義も、テクノロジーで実現できるのではないか、という話が出てきます。

 いまは「個人」と「国家」としかない概念をさらに間に、概念を入れることができるのではないか、というのは、地域にある学校のあり方というのを考える機会にもなりました。

近代の社会システムは、個人と国家をカップリングさせ、この2つの点に離散的な絶対性を帯びさせることによって成り立ってきた。個人と国家が絶対性をもつことは、普段当たり前のことのように考えられている。
だが、個人より小さなレベルとしての分人の概念を、個人(私)と国家(公)の間のレベルにゆるやかな共の概念を、そして国家より大きなレベルとしてグローバルな連帯をもってくれば、なぜ、この2点がそこまで絶対性をもつのかが疑わしくなってくる。分人、個人、共同体、国家、グローバルがなめらかに連なる5つの山を想像してみてほしい。ここにおいては個人と国家を特権化する幻想は崩れ、バランスのいい秩序が保たれている。
このなめらかな社会が実現するために、投票システムそのものを現代的なスタイルに変えてしまおうというのが伝播委任投票システムである。この投票システムは、中間団体を仮想化し、国家を超えたグローバルな連帯を可能にし、個人の中で矛盾した投票をすることができる。(p.172)

 こういうことを考える授業もやってみたいな、と思いました。
 いきなり民主主義の社会を変えることはできなくても、教室でICTを活用して小規模に「分人」を体験してみる、ということはできそうだと思いました。テクノロジーで社会がどう変わってきているのか、テクノロジーで仕組みや制度をどうやって変えることができるのか、ということを考えるのも、これからの時代には必要になるのではないかと思いました。

(為田)