教育ICTリサーチ ブログ

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書籍ご紹介:『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』

 倉下忠憲さんの『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』を読みました。小中学生が持つようになった一人1台の情報端末を、ノートのように使いこなせるようになる学びの様子を僕は一つのモデルとして頭に思い描いています。だからこそ、「ノート」がどんな役に立つのかに関心があるのです。

 僕は、ミーティングの記録も、読書の記録も、デジタルで管理をしていますが、それも「ノート」だと思っています。紙のノートは、使っている手帳にちょいちょいメモをしたりするくらいです。あとは、アイデアを出すときには裏紙にメモとして書いて、用が済んだら捨ててしまいます。そんなノートの使い方をしている自分にとって、「もっと良い使い方はないかな」と思って、この本を読みました。
 最初に、ノートのメリットが書かれていました。

ノートという道具のメリットは何でしょうか。
具体的な効能についてはこれからの章で明らかにしていくとして、最初に大切なことを述べておくと、記録が私たちの記憶と補完的な関係にある点が重要です。別の言い方をすれば、記憶とは違った機能を持っているからこそ、両者は調和を持って機能します。
もし、二つが同じ機能を持っているなら、長所がますます伸びる反面、短所はまったく改善されないばかりかより強化されてしまうでしょう。しかし、記憶と記録の関係はそうなってはいません。足りない機能を補い合う関係にあるのです。この点は、きわめて重要です。
ノートは、脳と同じように使わなくても構いません。むしろ、異なることを意識して使った方がお互いの良さが発揮されます。脳は、直感的判断やパターン認識に優れています。それを否定する必要もありませんし、ノートにそれを求めても仕方がありません。ノートは、脳とは違った情報保持の仕方があり、提示の仕方があることが両者の関係を理解する上で重要なのです。つまり、脳は脳として使い、ノートはノートとして使っていく。それが大切な理解の第一歩です。(p.36-37)

 この部分では、脳とノートを比較しながらノートのメリットを書いているのですが、ノートは「脳と同じように使わなくても構いません」というところや、「脳は脳として使い、ノートはノートとして使っていく」というところでは、学びの方法で「デジタルはデジタルとして、アナログはアナログとして使っていく」というのと同じだな、と思いながら読みました。

 最初に書いたとおり、僕は現状ほとんどの「ノートをとる」という行為をデジタルでしていますが、デジタルかアナログかに関わらず第2章のまとめに書かれていた「ノートの良さ」は、とても納得がいきました。この使い方ならば、デジタルでノートを書くことでも同じように子どもたちの良き道具になるな、と道筋が見えるような気がしました(それも、中学生、高校生と年齢が上がるごとに強力なような気がします)。

まず大切なのは頭の中だけで考えないことです。書くことを通して、つまり記録を残すことを通して考えることで、自分の思考領域をより広く使えるようになります。また書き留めた記録は、その後にも利用可能になります。計画の修正も、再検討も、リスタートも、記録というデータがあってこそです。
こうした使い方が、ノートの基本的な使い方となります。頭を整理すること、書き出すこと、思い出させること、思い出すこと、見返すこと、そのためにノートという道具を使うこと。これがノーティングのコアであり、ノーティストの基本姿勢です。
これを別の言い方にすれば、「少しだけ冷静になること」です。冷静になるとは、脳の二つのシステムの新しい方の回路をより強く発揮させることであり、意志力や理性と呼べる力を強めることを意味します。瞬間的な判断は直感的であり、脳の古い方の回路が強く発揮されてしまっているので、それを抑えるわけです。日常的な行動は習慣的であり、古い方の回路だけでも問題はないでしょうが、何か新しいことをはじめる場合は、それだけではバランスが欠けています。だからこそ、新しい回路の力を強く発揮させるのです。
そのために、ノートを書く時間を作り、ノートという考える場所、思考力を発揮させる場所を持ちましょう。たったこれだけのことであっても、人間の思考力は強化されます。あるいは、思考する回路がより強く働くようになると言えばよいでしょうか。考えるための場所を作り、その場所で「考える」を行うこと。その記録を残していくこと。それがリマインダーや「ぼうけんのしょ」となって、頭とやる気をうまく使う方法を提供してくれます。そして、失敗や挫折があっても、それを乗り越え、経験として活かすための術を手にすることができます。それがノート(記録)の力であり、人類がこれまでの歴史を通して行ってきたことでもあります。ノートを使うことで、同じことを個人レベルにおいても発揮させられるのです。(p.98-99)

 この本では、第3章から第7章までで、5つのノートの使い方が紹介されています。

  • 第3章 進めるために書く 管理のノート
  • 第4章 考えるために書く 思考のノート
  • 第5章 読むために書く 読書のノート
  • 第6章 伝えるために書く 共有のノート
  • 第7章 未来のために書く ビジョンのノート

 僕自身は、この本も含めて、読書の記録をデジタルで残しているのですが、読書の記録をノートに書いていく方法を磨くために、「第5章 読むために書く 読書のノート」が大変参考になりました。

私たちは「考え」なければ、習慣的な自分から抜け出ることができません。逆に言えば、「考える」とは習慣的な自分からの逸脱を、つまり他人になることを意味します。本を読むことで他人の「考え」を体験し、ノートを使いながらその「考え」に自分の思考をぶつけていけば、私たちは「自分」でない自分へと変身していけるようになります。
本を読み、「考え」を仕入れ、それを使って自分から抜け出す=他人になれることは、たとえ真の超能力ではなくても、不思議な力だと言えます。情報を「インプット」して賢くなる、といったものとはまったく別様の力が働いているのです。
そして、より大きく習慣的な自分から逸脱するためには、「考える」のバリエーションを増やすことが必要です。(p.182-183)

 読書の記録をデジタルで残しているからこそ、「考える」ときの素材にできているようにも思います。「考える」ことへ繋げるためにノートを使っていきたいな、と改めて思いました。

 上にある5つのノートの使い方から、自分にあったものを身につけられれば、ノートは子どもたちにとっての大きな武器になると思います。どう一人1台の情報端末と「ノート」を組み合わせていくのか、考える良い機会になった本でした。

(為田)