教育ICTリサーチ ブログ

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『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』 ひとり読書会 No.1「はじめに」(奈須正裕 先生)

 奈須正裕 先生と伏木久始 先生の編著『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』をじっくり読んで、ひとり読書会として読書メモをまとめていこうと思います。

 15人の著者の先生方が、それぞれの専門分野で全16章を執筆されています。読み進めながら、自分にとって覚えておきたい部分、じっくり考えたい部分、先生方と共有してディスカッションしてみたい部分などを中心にメモをとり、公開したいと思います。全部の章を要約する形にはならないと思います。当然ですが、いちばんいいのは原著にあたることだと思います。

 多くの先生方が読む本であろうと思いますので、X(旧Twitter)で「 #個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実を目指して 」というハッシュタグを作っておこうと思います。最悪、僕一人で書き連ねるのでもいいですし、「○章のここがよかった」とか「こんなふうに思った!」とか感想が重なっていくと、なおいいなと思います。

 では、最初のNo.1は、奈須正裕先生が書かれた「はじめに」からです。「はじめに」はたった5ページほどですが、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して、というテーマのスタートとして概要を知ることができる大事なパートだと思いました。

中央教育審議会答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して――全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現」

2021年1月26日の中央教育審議会答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して――全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現」は、2017年版学習指導要領の円滑で十全な実践化に必要なさまざまな道具立てを打ち出したものと解釈できる。多くの興味深い提案がなされているが、わけても注目を集めたのは「個別最適な学び」であろう。(p.i)

 ここ1年くらい、いろいろな学校の研究発表会や校内研修などに参加すると、どこでも研究主題には「個別最適な学び」や「協働的な学び」が入っている印象です(これに、「ICTの活用を通じて」とテーマが付属しているものが弊社にはよく来るテーマです)。
 奈須先生は中教審の答申で掲げられた「個別最適な学び」も「協働的な学び」も、以前から取り組まれ、議論されてきたものである、と書かれています。

「個別最適な学び」に連なる原理や実践それ自体は、近代学校に対する批判と改革の流れのなかでさまざまに取り組まれ、議論されてきたものであり、日本においても100年以上に及ぶ膨大な実践資産が存在している。今後の展開を考えるうえで、これらに学ぶべく整理を進めることは重要な課題であろう。
一方、しばしば「個別最適な学び」と対峙するかのように語られる「協働的な学び」もまた、実は近代学校に対する批判と改革のなかで拡充を遂げてきた実践動向にほかならない。両者に共通するのは、子どもたち自身による自立的な学びの推進であり、その背後にある、すべての子どもは有能な(competent)学び手であり、適切な環境なり状況と出合いさえすれば、自ら進んで学ぼうとするし、学ぶことができるという事実認識である。(p.ii)

 ずっと学校現場で実現したいと思って実践に取り組まれてきたものが、ICTの発達や一人1台の情報端末の配備によって、実現できた部分も多いのです。「デジタルが入ったいまだからできることがあるのではないか」「ずっとやりたかったことが、ようやくできるかもしれない」というふうに先生方に価値づけてもらえたらいいな、と思います。

 一方で、「協働的な学び」については、いまの時代背景によって少し捉え方が変わってきた部分もある、ということが書かれていました。

「協働的な学び」でも、多様性は鍵となる概念である。「協働的な学び」が実現を目指すのは、単に皆で心を一つにし、力を合わせて頑張るとか、集団としてのパフォーマンスの向上を目的に個人が最大限の努力をするといったことではない。そういえば、こういった文脈でかつて頻繁に使われた「集団」という表現が、中教審答申にも本書にもほとんど登場しない。「協働的な学び」が「集団」としての成果を目安とした学びではなく、多様な「個」の間でこそ生じる互恵的な学びであり、その成果もまた一人ひとりに返っていくことを目指したものであるのは、このあたりからも明らかであろう。(p.ii)

 このかつては「集団」という表現が使われていたのが、中教審答申では登場しないというのは、たしかにと思った部分でした。
 続けて、「個別最適な学び」と「協働的な学び」がどのような関係にあるべきなのかが書かれています。

「令和の日本型学校教育」の実践創造に際しては、そのような特質をもつ「個別最適な学び」と「協働的な学び」がそれぞれに充実するとともに、両者の間に相補的で相互促進的な関係を構築することが望まれる。(p.ii)

 ここで、どう「相補的」になりえるのか、どう「相互促進的」になりえるのか、というところは、この本のなかで詳しく学びたいところですし、全国の学校で取り組んでいる研究を見せていただくなかで、意識していきたいところだと感じます。
 児童生徒が自分の学びやすい環境を選んでいるように見えるだけ、グループに分かれて話し合っているけれど本当に学べているかどうかわからない、というような授業もけっこう多いと思うのです。でも、そこで止まっていてはいけないので、そうした授業を見ながら、どうサポートしていけばいいのかを僕は考えたいと思います。

学校とはどんな場であるべきなのか考える

 これまでの学校の在り方のままではいけない、という厳しい言葉も奈須先生は書いています。

そのようななかで浮き彫りになってきたのは、一斉指導に象徴される伝統的な学校の在り方では、すでに子どもの学習権・発達権の十全な保障は困難であるという事実である。(p.iii)

 また、「はじめに」の最後には、奈須先生がある子から聞いた言葉が書かれていて、その続きに奈須先生の学校を変えたいという思いも書かれていました。

すでに30年近く前のエピソードになるが、不登校の子どもがこんな言葉を残している。言わずもがなではあるが、「あそこ」とは学校のことである。
「あそこには、やらなきゃいけないことと、やっちゃいけないことしかない」
当然、この後に続くのは「だから僕はあそこには行かない」であろう。
本の学校を、分量的にはカリキュラムのなかのほんの一部でもいいから、すべての子どもたちにとって「やりたいこと」のある場所にしたい。
もちろん、学校には「やらなきゃいけないこと」もあるが、それ自体は子どもも理解しているし納得もしている。残る要件は「自分にあったやりかた」や「自分たちのペース」でやっていい場所になることである。たったそれだけの変化で、子どもたちは喜々として「やらなきゃいけないこと」に取り組む。(p.iv)

 学校がどんな場であるべきなのかを考えるために、「個別最適な学び」と「協働的な学び」をより深く知りたいと思わせてくれる「はじめに」でした。

 No.2に続きます。
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(為田)