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『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』 ひとり読書会 No.4 「第3章 一体的な充実を実現する2つの在り方」(奈須正裕 先生)

 奈須正裕 先生と伏木久始 先生の編著『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』をじっくり読んで、ひとり読書会として読書メモをまとめていこうと思います。今回は奈須正裕 先生が書かれた「第3章 一体的な充実を実現する2つの在り方」です。

 タイトルにもあるように、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を実現する2つの在り方について書かれている章です。

個別最適な学びも協働的な学びも、(略)多様性をこそ子どもの学び育ちの基盤とし、源泉として大切に扱っていこうとする動きのなかから生まれた。
一方、そのような教育への志向をいかに実現するかにおいて両者は大いに異なるアプローチを採るが、だからこそカリキュラムや子どもが得る経験の総体で見た場合には、相互に補完的で促進的な関係や豊かな構造を生み出すことが可能となる。両者の一体的な充実とは、まさにそのことを意図している。(p.54)

 アプローチは異なるが、「カリキュラムや子どもが得る経験の総体で見た場合には、相互に補完的で促進的な関係や豊かな構造を生み出すことが可能」と書かれているのが印象的です。
 こうしたアプローチとして、奈良女子高等師範学校附属小学校、東京都三鷹市立東台小学校、愛知県東浦町立緒川小学校、山形県天童市立天童中部小学校などの事例が紹介されます。「個別最適な学び」と「協働的な学び」の両者の在り方として、「学習過程上で経時的に組み合わせる」在り方と、「カリキュラム上で共時的にバランスよく配置する」在り方を紹介していきます。

(「個別最適な学び」と「協働的な学び」を)学習過程上で経時的に組み合わせる

 「個別最適な学び」と「協働的な学び」を学習過程上で経時的に組み合わせる事例として、奈良女子高等師範学校附属小学校の独自学習→相互学習→独自学習という流れを理想とする学習法が紹介されていました。

当然の帰結として一人ひとりが自立的に学び進める「独自学習」を重視するが、併せて仲間と共に協働的に学び合う「相互学習」も大切にしていて、学習過程としては、独自学習→相互学習→独自学習という流れを理想としてきた。今日でも同校では、まずは独自学習で各自がしっかりと学び深めるのが基本になっており、丸1時間、場合によっては数時間をかけて1人でじっくりと課題や教材と向かい合い、納得がいくまで考え抜いたり調べたりする学習になることも少なくない。(p.55)

 同校主事(現在の校長) 重松鷹泰 先生は、独自学習の意義を「孤独の味」と表現していたそうです。この「孤独の味」という表現、とてもいいなと思います。一方で、いま学校で多く行われているグループワークなどでは「孤独の味」を噛み締めて学んでいる子どもはあまりいないのではないかとも思いました。この「孤独の味」を噛みしめる時間こそが必要なのだと思います。

1人静かに沈思黙考して課題と正対すること、また、その過程において必然的に生じる自己との対話は、その子の学び、そして成長にとって決定的に重要な経験といえよう。
そのような深く真剣な独自学習により、自分としては一定の結論を得て、もうこれ以上は考えられないという地点にまでたどり着いたとき、子どもは同じく懸命に独自学習に取り組んでいる仲間の考えを聞きたくなる。この段階で相互学習を設定すれば、仲間の意見に真剣に耳を傾け、自身の学びとのすり合わせのなかで生じた感想や疑問を率直に語り合う、優れて互恵性の高い学びが生じるに違いない。それゆえ、同校では相互学習による授業を、通常の「話し合い」ではなく「聞き合い」の授業と呼び習わしてきた。(p.55-56)

 「話し合い」と「聞き合い」と、使い分けることは大事だと思いました。

 続いて、三鷹市立東台小学校で、授業支援クラウドを活用した授業の様子について書かれていました。

子どもたちは仲間との協働的な学びのなかでこの問いに対する自分なりの考えを深め、その根拠を確かなものとしていくのだが、もちろん一筋縄ではいかない。仲間の発言を受けて、昨日までの考えが大きく揺らぐこともあるだろう。そのあるがままを、家に帰ってパソコンを開き「孤独の味」を味わいながら丁寧に内省し、誠実に綴る。そして、自らの考えをしっかりと携えた子どもたちが、翌日教室で再び相まみえる。
日々の振り返りはGoogle Classroomやロイロノートのような授業支援クラウドにすべてアップされるので、教師だけでなく子ども同士でも自由に閲覧したりコメントを書き込んだりできるようにしておく。すると、仲間の振り返りを読んでさらに自らの考えを深めたり、何人かの子どもたちがコメントやチャットの機能を駆使して自発的に協働的な「場外乱闘」を展開したりもするだろう。教師の預かり知らぬところで、子どもたちが自由闊達に協働的な学びを展開する。まさに、自立した学習者としての学び育ちである。
(略)全員の考えが授業支援クラウドにアップされ、自由に閲覧できるということは、授業中にあらためていまの考えを子どもたちに発言させ、それを教師が板書に整理する時間と手間のいくらかを省くことにつながる。思えば従来の授業では、子どもたちがノートに書いていることを板書上に集約するだけの作業に膨大な時間を割いていた。それを「話し合い」と呼んでいたのだが、本当に「話し合い」になっていたのか。そんな問いさえ立ち上がってくる。(p.60-61)

 「そんなこと言っても、一人ひとりが「孤独の味」を噛みしめて話し合いに参加するなんて、できるのか?」と質問されそうなことについても、奈須先生は続けて書いています。

すべての子どもが当面する学びに対し自分なりの決着をつけていない状態、いわば参加資格をもたない状態で強行される話し合いなど、協働的な学びの名に値しない。そこでは、教師の不手際により自力での学びを成立させられなかった子たちの面倒を、速い子やできる子が見させられている。
「すべての子どもが自分なりの決着をつけられるようにしようとしたら、いくら時間があっても足りない」と言いたい人がいるだろう。しかし、それは45分1単位時間のなかで、しかも一斉画一的な教師の指示のもと、護送船団方式で授業を構想するからである。もっと長いスパンで柔軟に構想すれば、いくらでもやりようはあるし、そこで基本となってくるのが単元なのである。(p.62)

 たしかに1時間だったらできないかもしれないが、単元を通じてだったら、できるのではないか?と書かれています。大事なのは単元を通じて考えることだ、と。

授業は基本的に単元で構想し、展開するものである。個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実も、主体的・対話的で深い学びも、まずは単元で考えるべきである、そうしてこそうまくいく。(p.63)

 1時間の授業ではなく、単元で考えることの大切さが書かれます。

単元は、教育内容と教育方法の結節点に位置する。年間指導計画に単元名が並ぶことからもわかるように、各学校において教育課程を編成するとは、学習指導要領に示された教育内容を書く学校が実践化・方法化・教材化する作業であり、そこでは子どもの学びの筋道を見通して単元を構成し、年間の流れの中に適切に配置していくことが主な課題となる。このように、各学校が創意工夫を発揮して教育課程を編み、さらに授業を展開するうえで「単元や題材など内容や時間のまとまり」を見通すことはきわめて重要であり、単元は「カリキュラム・マネジメント」の根幹をなす概念と言っても過言ではない。(p.64)

 1時間の授業ではなく単元で捉えることで、「個別最適な学び」と「協働的な学び」を学習過程上で経時的に組み合わせ、一体的な充実を図る事ができるということだと思います。

(「個別最適な学び」と「協働的な学び」を)カリキュラム上で共時的にバランスよく配置する

 もうひとつの在り方として、「個別最適な学び」と「協働的な学び」をカリキュラム上で共時的にバランスよく配置する事例として、愛知県東浦町立緒川小学校で実践してきた個別化・個性化教育が紹介されます。緒川小学校での単元内自由進度学習の様子が紹介されています。ここでも「単元」が重要であること、また「着実に学習が成立する」ための工夫が行われていることが書かれていました。

学習の進行は各自の計画・判断次第なので、特定の1時間を見ると、同じ学級の子どもが異なるカードや活動に取り組んでいたりするが、単元全体で見た場合に辻褄が合い、単元終了時に全員が単元のねらいを実現すればよい。その一方で、着実に学習が成立するよう途中にチェックポイントを設けてあり、そこでは教師が学習状況の確認と必要な指導を行う。個別最適な学びにおける教師の最大の仕事は一人ひとりの子どもをしっかりと見とることであり、それが自然な形で充実して行えるのも、この学習の強みである。(p.67)

 「単元全体で見た場合に辻褄が合い、単元終了時に全員が単元のねらいを実現すればよい」というところは譲れないところだと思います。個別最適な学びは、ただ自由に、自分の好きなように学んでいいよ、言うことではないのです。

 個別最適な学びについて、「せっかく学校でみんな一緒にいるのに…」というコメントも先生から聞くことがありますが、それについて奈須先生はむしろ逆ですよ、と書いていました。

個別最適な学びをめぐって「せっかく学校に集っているのに、それを解体、分断して個別で学ぶのはもったいない」といった声をよく聞くが、心配しなくても、学校生活全体で見れば、協働的な学びや集団での暮らしがすっかり希薄になることはない。
むしろ逆で、個別最適な学びが学校生活のなかに一定の位置を占めることにより、かえって協働や集団の特質なり良さを子どもたちが深く実感し、その機会を大切にするというのが、緒川小をはじめとする実践校で私たちが繰り返し目撃してきたことである。(p.69)

 また、山形県天童市立天童中部小学校での実践紹介のところで、どれくらいの割合を子どもたちに委ねているのかということも書かれていました。

教師が前に立たない授業が2割程度の比率で安定的に実施されていることを意味する。
もちろん、それでも残る8割は天童中部小が「仲間と教師で創る授業」と呼ぶ、教師が指導する通常の授業であることに変わりはない。しかし、2割というと1日の授業のうち、平均して1時間は子どもが自分たちの意思と力で進める学びの時間ということになる。そして、学校における学びの2割が変化することの意味は、予想以上に大きい。(p.72-73)

 天童市立天童中部小学校での実践は、奈須先生の『個別最適な学びと協働的な学び』でも詳しく読むことができます。
blog.ict-in-education.jp

まとめ(というか気づき)

 「個別最適な学び」と「協働的な学び」を、「学習過程上で経時的に組み合わせる」在り方と、「カリキュラム上で共時的にバランスよく配置する」在り方について、いろんな学校の事例を読むことができたのがよかったです。
 個人的には、「単元」で考える、ということを改めてプッシュされたのが学びが大きかったです。どうしても外部から学校をサポートすると、単元ではなく、1回の授業で見ることが多くなってしまうので、単元を見通して学校をサポートできるようにしたいと思いました。

 No.5に続きます。
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(為田)