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『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』 ひとり読書会 No.2 「第1章「令和の日本型学校教育」と一斉指導の原理的問題」(奈須正裕 先生)

 奈須正裕 先生と伏木久始 先生の編著『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』をじっくり読んで、ひとり読書会として読書メモをまとめていこうと思います。今回は奈須正裕 先生が書かれた「第1章「令和の日本型学校教育」と一斉指導の原理的問題」です。

「令和の日本型学校教育」についてのまとめ

 最初に、中央教育審議会答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して――全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現」の解説がされています。

「令和の日本型学校教育」という独特な表現は、従来の「日本型学校教育」の成果や強みを確認するとともに、現状における課題を明らかにし必要な改革を進めることでブラッシュアップするという考え方から生まれた。(p.1)

 最初に「令和の」とついているのは、現状における課題に対応するためにブラッシュアップするのだ、ということが書かれています。それに応じた答申の内容が、頁数と合わせて紹介されていました。(p.1-4)

  • 「日本型学校教育」の成果や強み(p.1)
    • 「学校が学習指導のみならず、生徒指導等の面でも主要な役割を担い、様々な場面を通じて、子供たちの状況を総合的に把握して教師が指導を行うことで、子供たちの知・徳・体を一体で育む『日本型学校教育』は、全ての子供たちに一定水準の教育を保障する平等性の面、全人教育という面などについて諸外国から高く評価されている」(5頁)
  • 個別最適な学び(p.3)
    • 新型コロナウイルス感染症の感染拡大による臨時休業の長期化により、多様な子供一人一人が自立した学習者として学び続けていけるようになっているか、という点が改めて焦点化されたところであり、これからの学校教育においては、子供がICTも活用しながら自ら学習を調整しながら学んでいくことができるよう、『個に応じた指導』を充実することが必要である」(17頁)
  • 協働的な学び(p.3-4)
    • 「『個別最適な学び』が『孤立した学び』に陥らないよう、これまでも『日本型学校教育』において重視されてきた、探究的な学習や体験活動などを通じ、子供同士で、あるいは地域の方々をはじめ多様な他者と協働しながら、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、様々な社会的な変化を乗り越え、持続可能な社会の創り手となることができるよう、必要な資質・能力を育成する『協働的な学び』を充実することも重要である」(18頁)
    • 「『協働的な学び』においては、集団の中で個が埋没してしまうことがないよう、『主体的・対話的で深い学び』の実現に向けた授業改善につなげ、子供一人一人のよい点や可能性を生かすことで、異なる考え方が組み合わさり、よりよい学びを生み出していくようにすることが大切である」(18頁)

 続いて、「令和の日本型学校教育」が求めるものが、p.4-6でまとめられています。

「令和の日本型学校教育」が求めるもの

  1. 「日本型学校教育」の成果や強みの発展的継承
  2. 「正解主義」と「同調圧力」からの脱却
  3. 自立した学習者へ
    • すべての子どもが自立した学習者として育つこと。
    • 子どもがICTも活用しながら自ら学習を調整し、学び続けていけるようにする。そのために、「指導の個別化」と「学習の個性化」からなる「個別最適な学び」の充実が深ける。
    • 「一人ひとりにあった指導方法・教材・学習時間等の柔軟な提供(指導の個別化)を進めるとともに、自分に最適な学びについて知り、さらに自己調整しながら自力で学習を計画・実行できる子どもの育成(学習の個性化)が目指される。
    • 「学習の個性化」が「個別最適な学び」の目的であり、「指導の個別化」はその手段であるが、「指導の個別化」がなければ「学習の個性化」が生じようがないので、両者が相まってはじめて「個別最適な学び」が十全に実現可能となる。
  4. 「正解」ではなく、「最適解」「納得解」を求め続ける
  5. 「一体的な充実」を目指して
    • 「個別最適な学び」と「協働的な学び」を「主体的・対話的で深い学び」が実現されるよう、相補的で相互促進的な関係を保ちながら一体的に充実させていく。

 上の2つ目の項目「「正解主義」と「同調圧力」からの脱却」のところで、以下のようなことが書かれていました。

いまや経済社会は「みんなと同じことができる」「言われたことを言われたとおりにできる」人材など求めてはいない。(p.4)

 気持ち的にはわからないではないけれども、僕はちょっとこれは言葉がきつすぎるかな、とも思いました。僕自身が多少学校の成績は良かったにしても、他の人と特別違う何かをできたわけではなく、「言われたことを言われたとおりにちゃんとできる」ことをがんばっていたし、いまでも「人と同じじゃないことをしなさい」と言われて苦しくなります。そういう人がいてもいいと思うので、ここまでビシッと書かれると僕はちょっとしんどいです。
 この部分を読んでいて思い出したのは、作家の桜林直子さんが言っていた、夢組と叶え組の話でした。やりたいことがあってそれに向かって突き進む夢組と、それを支える叶え組と、どちらの生き方もOKなようになるといいなと思っています。それこそ、多様な人生の歩み方、いろんな考え方が認められるようになればいいなと思います。
 夢を描いて自分で叶えるだけが「正解」ではないし、みんなが同じように夢を描けるようになるのを強要する「同調」は、起こらないでほしいと思いました。

一斉指導の問題点

 一斉指導の何が問題なのかについても、例が書かれていました。自分が子どもの頃にはこういう授業は普通だったし、いまでも授業でよく見かける風景だし、何なら自分も授業をするときに言ってしまっているなと思いながら読みました。

教師は「5分でやってみましょう」と言い、5分後には「まだ終わっていない人も鉛筆を置いて」と学びを打ち切らせてきた。7分あればやれる能力をもつ遅い子は、中途半端なまま次の活動へと向かわせられる。かくして、遅い子はその時間「できなかった子」になる。問題は、そんな日々の累積が、いつしかその子を「できない子」「能力のない子」にすり替えていくことであろう。(p.11)

 これは本当に、先生側の都合なんだよなあ、と感じます。そうして子どもを枠にはめることにいいことはないなと思います。

 では、先生側の都合でなく、「個別最適な学び」を子どもたちができるようになるにはどうすればいいのか、というのが以下の部分です。

学習時間、指導法、教材などを、その子の学習適性に最も適合するように調整することを学習指導の「最適化」という。「個別最適な学び」の「最適」は、ここから来ている。最適化の主体は当初は教師であってもよいが、自分に適合した学びの経験を足場に、ゆくゆくは一人ひとりの子どもが自らに最適な学びを計画・実行・評価できるようになることが望まれる。(p.15)

 「一人ひとりの子どもが自らに最適な学びを計画・実行・評価できる」ようにするために、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実が求められているのだと思います。

 No.3に続きます。
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(為田)