教育ICTリサーチ ブログ

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書籍ご紹介:『個別最適な学びの足場を組む。』

 奈須正裕 先生の『個別最適な学びの足場を組む。』を読みました。突如現れたように見える「個別最適な学び」が、これまでの日本でどのような位置づけであったのか、どういった実践がこれまでされていたのか、というふりかえりをしつつ、それがこれからの教育を展望することへと繋がっています。

 読んでいて、教育委員会や学校での研修のときに先生方と話し合ってみたいな、と思ったところを中心に、読書メモを共有したいと思います。

第1章 「令和の日本型学校教育」と個別最適な学び

 「第1章 「令和の日本型学校教育」と個別最適な学び」では、2021年の中央教育審議会答申「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現~の内容が丁寧に紹介されていました。
 一人1台の情報端末が配備されることにより、子どもたちの学びがどう変わるのかについて書かれていました。暗記的知識ではなく、「見方・考え方」のような知識を得なくてはならない、ということが書かれています。

一人一台端末の導入により、いつでも、どこでも、誰でも膨大な情報に自由にアクセスできるようになった今日、状況はすっかり変化したといっていい。的確な情報検索のためにも知識は必要なんだけど、それは概念的な意味理解、さらには「見方・考え方」のような統合的な概念的把握といった質の知識で、要素的で羅列的な暗記的知識じゃない。自由に使える端末が常に手元にあるんだから、頭の中をそんなもので満たす必要はどこにもないんだ。
加えて、情報や知識の取得は、学習や問題解決の主体である子どもが、自らの判断に基づき、それが必要になったタイミングで、それこそ個別最適に行えばいいだろう。おmちろん、同じ知識に何度アクセスしても構わない。もはや知識とは、いつかどこかで必要になるかもしれないからといった希薄な理由で、教師の判断により、教師のタイミングで1回きり教わり、それを後生大事に手元に溜め込んでおくようなものではなくなっているんだよ。(p.32-33)

 こうして一人1台の情報端末を持つようになり、デジタルを学びのツールとして使えるようになる子どもたちに、先生と保護者もデジタルを位置づけし直す必要があるように思います。

第3章 学習研究の進展と個別最適な学び

 「第3章 学習研究の進展と個別最適な学び」では、個別最適な学びがどのように進展してきたのかが紹介されています。この章は、AIドリル・デジタルドリルを活用している学校の先生方に、ぜひ読んでほしいと思いました。
 「AIドリル」や「デジタルドリル」という名前で呼ばれているサービスはたくさんありますが、実は「できること」はそれぞれ少しずつ違っています。問題の質や量、学習履歴を使っての次の問題の児童出題、解説動画の有無など、各サービスで焦点を当てている部分が違うからです。
 だからこそ、先生方は、たくさんの「AIドリル」「デジタルドリル」が、どんな学びを達成しようとしているのかを知る必要があると思います。そのうえで、「AIドリル」「デジタルドリル」を、どのように授業に組み込んでいくかこそが、先生方にしか考えられないことだと思います。

 「個別最適な学び」を、ただ効率的に習得させることを目的化してしまうのではなく、子どもたちの学びを、学校という場を、どんなふうに変えられるのかという視点で考えるきっかけがたくさん書かれている章でした。

第6章 環境による教育と学習環境整備

 「第6章 環境による教育と学習環境整備」では、「子どもの都合でいつでも使える学習環境」を整備することで、子どもたちの学びをどのように変えていけるのか、というエピソードが紹介されていました。

たとえば、これも35年も前の写真になるんだけど、静岡のある小学校で、採光条件のいい出窓部分に顕微鏡を4台常時設置し、いつでもその顕微鏡を使っていいことにしてみた。すると子どもたちは、雪がふれば雪の結晶を観察し、アサガオの花が咲けば花びらを見る、そんな活動が日常的に、ごく自然に行われるようになっていく。顕微鏡は意外なほどこわれることもなく、理科の学習の際には、子どもたちは顕微鏡の操作やプレパラート作りを手際よく進められるようになっていた。また、子どもはやさしいから、高学年の子どもが低学年の子どもに顕微鏡をのぞかせてあげるなんてことも日常茶飯事だった。すると、1年生の子どもたちは「早く理科の勉強がしたいなあ」と心待ちにするようになる。
ちなみに、みなさんの学校の顕微鏡は、年間に何日くらい使われているだろうか。子どもたちは顕微鏡を、卒業するまでに何回操作するんだろう。本当にわずかな日数しか使われない、操作する機会がないというのが、実情なんじゃないかなあ。でも、それはとてももったいないことなんだ。そうこうするうちに耐用年数が来て、まだまだ使える状態で廃棄になる物品が学校にはたくさんある。(p.215-216)

 この顕微鏡の使われ方、とても素敵だと思いました。「子どもはやさしいから、高学年の子どもが低学年の子どもに顕微鏡をのぞかせてあげるなんてことも日常茶飯事だった」というところもとてもいいと思います。一人1台の情報端末も、同じように子ども同士で教え合ったり助け合ったりするツールになればいいな、と思います。

 奈須先生は、この顕微鏡の例のすぐあとに、一人一台端末についても書いています。

GIGAスクール構想で導入された一人一台端末もそうならないよう、子どもたちが日常的に使える環境を急ぎ整えたい。(略)
日常的に使えるようにする最善の方法は、教師の都合やタイミングではなく、一人ひとりの子どもの都合やタイミングで必要なときにはいつでも、またどのようにでも使えるような環境整備だろう。先の顕微鏡は、まさにこの条件に合致している。一人一台端末についても、何か調べたいことやわからないことがあったら、いつでも取り出して調べていいことにしたい。かつて、常に国語辞典が机の上に出ていて、わからない言葉があれば、すぐに調べて付箋をはさむというのを習慣づけている先生がいたけれど、その国語辞典がパソコンに変わるだけのことだと考えればわかりやすいかもしれない。(p.216-217)

 顕微鏡も、国語辞典も、ペンもノートも、一人1台の情報端末も、子どもたちが使いたいときにいつでも使えるようにしておく、そうした学習環境整備をしてあげたいなと感じました。

まとめ

 「個別最適な学び」という言葉は、先生方にいろいろな授業の形を思い描かせているように思います。一人1台の情報端末を持つことによって、デジタルを学びのツールとしてもつことで、子どもたちの学びをどうアップデートしていくかを考えるときに、「個別最適な学び」がこれまでどのように実践されてきたのかを知ることはとても重要だと思います。とても学び多い1冊でした。
 また、同じ奈須先生が書かれた、『個別最適な学びと協働的な学び』と合わせて読むといいなと感じました。

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(為田)