教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

教科書とは「先生が授業をするためのもの」か「学習者が学ぶためのもの」か?→じゃあ、デジタル教科書は?

 最近、(紙の)教科書とデジタル教科書についていろいろと考えています。以前、僕はデジタルドリルを作るプロジェクトに参加していて、教科書作りの緻密さを目の当たりにすることがありました。その時以来、僕は「教科書は子どもたちの学びのための良きツールだ」と思っています。
 だからこそ、学習者用デジタル教科書も、学びのための良きツールになってほしいなと思っています。でも、まだまだがっこうでの先生方の評価は、そこまでいっていないのが現状ではないかな、と思っています。

教科書とは「先生が授業をするためのもの」か「学習者が学ぶためのもの」か?

 最近読んでいる、奈須正裕 先生と伏木久始 先生の編著『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』のなかで、教科書について書かれている箇所があり、そこを読んで改めて、「教科書って…?」と思ってしまいました。

単に教科書を手渡しただけでは、子どもは自力で学び進めることができない。子どもの側に、自立的に学び進める意欲や能力がないからではない。教科書は教師が一斉指導で使うことを想定しており、子どもが1人で学び進めるのに必要な情報が欠落しているからである。(p.34)

 ここを読んで思ったのは、教科書は「先生が授業をするためのもの」なのか、「学習者が学ぶためのもの」なのか、ということでした。ここで奈須先生が書かれている「教科書は教師が一斉指導で使うことを想定しており、子どもが1人で学び進めるのに必要な情報が欠落しているからである」というのがそのとおりならば、子どもたちが一人1台の情報端末で使う学習者用デジタル教科書が現在の紙の教科書とあまり変わらない内容になっている限り、自分で学ぶための道具にはなり得ない、ということになってしまうなあ、と思ったのでした。

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 だから、奈須正裕 先生の『個別最適な学びと協働的な学び』で紹介されている天童中部小学校での実践で、子どもたちから「指導案見せてください」「指導書見せてください」と言われることもあって、先生方も言われれば見せる、ということが起こるのかな、と思いました。

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 学習者用デジタル教科書に指導案や指導書的なコンテンツがくっついて、自分で学ぶためのてびき的な役割も果たせるようになればいいのだろうか、と思ったり。

 公益財団法人 教科書研究センターが公開している「“新しい”教科書の使い方」では、「よりよい授業づくり」のためにというふうに書かれています。
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教科書とは、どのような機能をもっているべきか

 そうして考えるのは、教科書とはどのような機能をもっているべきなのだろうか、ということです。2023年7月に書いたことを改めて読み直してみて、そこに教科書は「先生が授業をするためのもの」か「学習者が学ぶためのもの」か、という視点をこれから付け加えていきたいな、と思っています。(こうして見ると、「指導者用デジタル教科書」と「学習者用デジタル教科書」というネーミングがちょっと噛み合っていないかもな、とも思います)
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教科書は、「学習者が学ぶためのもの」であってほしいな

 僕は、そもそも先生が授業をするのは、「学習者が学ぶため」だと思っています。だから、学習者が学習者用デジタル教科書を使って、よく学べるようになってほしいと思っています。先生の授業がいくら良くても、一部の学習者しか学べていないならダメだと思っています。
 ただ、これは僕が算数や数学、英語など比較的積み上げ型の教科書を念頭に置いているからかもしれません。国語や理科、社会などでも同じように言えるのだろうか、とは考えてしまいます。まだまだ現場を見る数が足りていないように思います。
 だから、学習者用デジタル教科書を上手に「学習者が学ぶためのもの」として使っている授業をたくさん参観させていただきたいと思っています。これは、これからの課題として取り組んでいきたいと思っていることです。

 …ああ、うまくまとまらない。

 教科書は「先生が授業をするためのもの」か「学習者が学ぶためのもの」か。たくさんの授業を参観させていただきながら、先生の様子を見て、子どもたちの様子を見て、もやもやと悩み続けたいと思います。

(為田)