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『デジタル社会の学びのかたち Ver.2』 ひとり読書会 No.3「3章 テクノロジ懐疑派の意見」

 A・コリンズ、R・ハルバーソン『デジタル社会の学びのかたち Ver.2 教育とテクノロジの新たな関係』をじっくり読んで、Twitterハッシュタグ#デジタル社会の学びのかたち」を使って、ひとり読書会を実施したのをまとめておこうと思います。

 「3章 テクノロジ懐疑派の意見」には、新しいテクノロジを教育に活用することについての懐疑的な意見がまとめられています。こちらの立場のことを知るのも重要だと思います。

 かつて、徒弟制のなかでしか学びがなかった時代から、学校制度をはじめとする公教育制度ができ、これが成功しているからこそ、新しいテクノロジを入れにくいということもあるのだと思います。これは、アメリカよりも日本はもっと顕著な気がします。
 時代として「今まで大丈夫だったから」とか「大学進学率がいいから」「学力テストの成績がいいから」などは、現状の教育の成功であるがために、新しい変化を取り入れる障壁にもなっていると思います。成功しているときほど、変えにくい。

 そこから、「学校教育の組織構造は、指導と学習の伝統に影響を与えることなく、革新的なテクノロジを処理するために、3つの戦略を展開」(p.44)していると書かれていて、これらについて言及されています。

  1. テクノロジに対する非難
    • 「多くの学校が、新しいテクノロジの可能性よりも、おもにリスクに対して反応しました。従来の授業実践にリスクをもたらすと受け取られる新しいテクノロジは、単純に禁止されています。」(p.44)
      • 1950年代に教育用テレビは、「教室で実践されてきた専門的な技術に取って代わるものとして、断固として反対」された。
  2. 既存のシステムに簡単に組み込めるテクノロジを取り込む
    • 「既存のカリキュラムの学習成果や授業構成をサポートするようなテクノロジや、指導計画に簡単に組み込めるテクノロジを取り込む」(p.45)
      • 「ドリル練習のプログラムは、既存の数学カリキュラムをサポートできる」(p.45)
      • 「コンピュータによる適応学習システムは、段階的に難しくなるカリキュラムを通して、数学、科学、社会科などの学習をより確かなものにします」(p.45)
      • こうしたシステムを取り入れた学校では、従来の教材でテストを通過するのに苦労していた生徒たちに対して、補習的な支援ができる。
  3. テクノロジを軽んじる
    • テクノロジに関心のある教師は、一般的な学校の文脈とは別に新しい専門プログラムをつくることができる。が、そうして新しくつくられたプログラムは、「教師が専門知識を生徒に伝え、彼らが授業科目を学んだかどうかをテストで確かめるといった教育の最も基本的な骨組みを変えることはできないでいる」(p.45)
    • 「子ども中心の教育を構築するための改革は、今のところ、初等教育のフレキシブルな部分でわずかに実施されるにとどまっています」(p.45)
    • 「現在、K-12教育において進められている、カリキュラムと評価を標準化しようとする動きが、情報テクノロジを基盤とした新しい授業の採用に向かうことは、あり得ないでしょう。ほとんどの州で学習のスタンダードとされているのは、基礎的なスキルの獲得と、広範囲にわたる学習内容の理解の両方です」(p.45)

 ここで懐疑派の戦略の2つめとして書かれている、「既存システムに取り込みやすいところだけテクノロジを導入」は、僕としては片棒を担いでいる自覚もあります。教員研修をすれば、「今までの授業を全部変えるわけではありません。テクノロジー(ICT)を武器にして、今の先生方の授業をもっと良くしましょう、パワーアップしましょう」と言っているので。何もテクノロジーが導入されていかない=成果ゼロよりはいいと思っているのです。ただ、そこで止まってしまうのではなく、その先にどんなふうな「新しい学び」が見えるのか、をきちんと想像してもらわないといけないな、といつも思っているつもりです。

 さらに、学校においてテクノロジ活用をはばむものもかかれています。

学校においてテクノロジ活用をはばむもの(p.46-52)

  • コストとアクセス
    • コンピュータをネットワークに接続するコスト。(安くなってはいるけれど)
    • 情報端末も増えてきている。が、「情報端末の存在感が高まってきているにもかかわらず、多くの教師が授業実践を変化させることに時間がかかっています」(p.46)
  • 教室の管理
    • 教室にコンピュータが整備されても、指導に関わる問題は発生する。コンピュータで学ぶようになると、一斉指導ができなくなる。
    • 「コンピュータの前に座っている生徒たちが一緒に活動する場合、騒いで他の生徒のじゃまになってしまいます。コンピュータで活動できない生徒は、取り残されていると感じます」(p.47)
    • 教室にコンピュータをおけないというスペース上の問題もある。
    • コンピュータを使う学習には時間と指導上の問題もある。(起動、生徒の準備などに時間がかかる)
  • コンピュータが教えることができないもの
    • 人が成長する過程で学ばなければならない、「友達と分け合うこと」「ルールを守って遊ぶこと」「人をたたいてはいけない」…などを学ばせることができない。
    • 「教師は、コンピュータがなじまない、多くのことを学習に持ち込んでいます」(p.48)
    • 「教育者の立場からみればコンピュータは単なるコンテンツの提供役であり、子どもたちの成長にとって、コンテンツは最も重要なものではないのです。そのため、ほとんどの教師と学校長は、コンピュータはけっして教室を支配すべきでないと感じているのです」(p.48-49)
  • 指導方法の課題
    • 「多くのコンピュータ・アプリケーションを駆使した革新的な指導方法は、教師の仕事をより困難にしています」(p.49)
  • 「権威」と「教える」ということ
    • 「コンピュータは、教室で教師がもっている権威―とくに正しい知識とは何かに関わるような権威―を弱めます。インターネットに接続すると、コンピュータは、さまざまな情報源から得られる、多様な情報へと教室を開きます。(略)コンピュータを指導に取り入れることで、教師は権威を失うリスクを負ってしまうのです」(p.50)
    • 「教師は、みずからの専門性を、生徒と共有することを好みます。コンピュータを頻繁に使うことになれば、教師たちは、教室という舞台の中央の位置を手放さなければならないでしょう」(p.50)
  • 評価
    • いまされている標準テストは、コンピュータが最も役に立つたぐいの学習とは反している。「標準テストによって、教育とは、個別的な知識やスキルを学ぶことであり、調査やプロジェクトを行うものではないといった信念がきょうかされる傾向があります」(p.52)
    • 「コンピュータは、コンピュータ室のような学校の周辺に追いやられたままで、生徒が合格しなければならない多くのテストに必要なスキルを練習させるために、教師が生徒を連れていく場所なのです」(p.52)

 こんなにたくさんの矛盾があるのだ、ということが書かれています。ただ、テクノロジをいまどんなふうに社会で使っているかを見ていけば、この矛盾をどちらの方向に整合させるほうがいいのか、というのは方向づけられるのではないかと思います。

 本当にそのとおりで、テクノロジがある世界で「もしテクノロジがなかったら…」と考えることに意味は内容に思います。また、だからといって、今までの公教育を全否定することにはならないのですが…。ここは公教育のシステムが大きいし、関わる人が多いからこそ、大変な部分ではありますが、手をつけずにはいられないところだと思います。


 No.4に続きます。
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(為田)