教育ICTリサーチ ブログ

学校/教育をFuture Readyにするお手伝いをするために、授業(授業者+学習者)を価値の中心に置いた情報発信をしていきます。

書籍ご紹介:『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』

 藤井保文・尾原和啓『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』を読みました。デジタル化が進んでいる社会が、これからどうなっていくのかを知りたかったからです。

 学校にもデジタルの導入が進みつつあります。それは、社会ですでにデジタルが浸透していて、デジタル社会で生きることになる子どもたちには、デジタルを武器として使いこなせるようになることが必要だから、ということもあると思います。
 サブタイトルの「オフラインのない時代に生き残る」は、企業がどう生き残るか、という文脈で書かれているのですが、「オフラインのない時代」とは、どんな社会になるのでしょうか。

「オフラインがデジタル世界に包含される」ようになります。そうした世界を私たちは「アフターデジタル」と呼んでいます。それに対して、「オフラインの世界が中心で、そこに付加価値的にデジタル領域が広がっている」という多くの日本人の捉え方は「ビフォアデジタル」と呼べるものです。

アフターデジタルの世界観は、あたかも「デジタルに住んでいる」ともいうべきもので、まだ日本ではあまり認識されていません。それもそのはず、まだ日本には到来していません。今の日本ではデジタル事例を「個別の取り組み」と捉えがちですが、デジタルが浸透すれば、社会システムそのものがアップデートされ、「点」ではなく「線」「面」としてつながっていきます。デジタル先進国・地域を観察すれば、もはやそれは実証されていると言ってもいいでしょう。

日本が世界に追いつき追い越していくには、「データ×エクスペリエンスの切り口で考え、新たな視野を獲得することが大事である」との思いを抱いており、それを形にしたのが本書であるとも言えます。(p.4)

 社会がどのようにこれから変わっていくかということを知ったうえで、学校という場で「デジタル化すべきところ」「デジタル化すべきでないところ」を切り分けていくことが重要だと思います。「データ×エクスペリエンスの切り口」で学びや学習の場としての学校を考えてみるのもおもしろいと思います。データ×エクスペリエンスは、これまでの教科内容を「教えるため」にも使えるし、新しいことを「学ぶため」にも使えると思います。

 ビジネスの例として、アフターデジタル時代のOMOという思考法が紹介されています。OMOは「オンライン(Online)」と「オフライン(Offline)」の融合についての考え方です。これは、企業活動だけでなく学校でも取り入れられる考え方ではないかと思います。

オフラインからオンラインへと生活基盤の移行が進む中、いまビジネスを行う私たちにとって必要なことは何でしょうか。その1つの解として私たちが考えているのが、アフターデジタル時代における成功企業が持っている思考法としての「OMO(Online Merges with Offline、またはOnline-Merge-Offline)」という概念です。これは、オンラインとオフラインが融合し、一体のものとして捉えた上で、これをオンラインにおける戦い方や競争原理として捉える考え方を意味しています。

これまでは「インターネットをどうビジネスに活用するか」という考え方だったと思います。しかし今では、「リアルな場所や行動も常時オンラインに接続している環境」が整っているので、「オフラインが存在しない状態」を前提として、ビジネスをどう展開していくかを考える必要があります。アフターデジタルという世界観を正しく理解し、行動データや接点を正しく使うことができないと、世界的なデジタル企業に太刀打ちできないという時代になってしまったということです。(p.54-55)

 学校の授業、行事、保護者との連絡、情報共有など、OMOでやってみたらどうなるのだろう?何ができるのだろう?と考えてみるのもいいのではないかと思います。
 この文脈のなかで、オンライン学習の世界を大きく進めたと言えるだろう、カーン・アカデミーの創始者であるサルマン・カーンの言葉も引用されていました。

創始者サルマン・カーンは、「ユーチューブを使った教育はヒューマナイズド・エデュケーションだ(教育の人間化)」と言っています。一見すると機械を通じた授業は無機質に見えますが、教室で教師が教える授業は複数の生徒に向けていっぺんに教えるので、生徒一人ひとりへの個別対応が難しい状況です。授業についていけなくても、他の生徒が聞いているので、「ここが分からないので教えてください」と繰り返し質問しづらく、逆に理解できている生徒からしたら「動画なら早送りできるのに」と思いながらも聞かなくてはいけません。また先生の体調や気分次第では、一人ひとりへの対応が十分にできない日もあるでしょう。それなら、ユーチューブで授業を聞いたほうが、生徒は自分自身のスピードで学ぶこともできるし、分からないところは何度も繰り返し聞くことができます。

カーンが提案しているのは、生徒はまず自宅でユーチューブの授業を聞いて予習をして、学校では授業で分からなかった箇所を生徒同士で教え合ったり、教師に質問したりするという方法です。このほうがずっと効果的との指摘もあり、学校での学びも変わりつつあります。

カーンが「ユーチューブを使った教育はヒューマナイズド・エデュケーションだ」と言っているのは、IT技術を取り入れれば、生徒の個別課題に対応しやすくなるので、大勢に向けて授業をする大量生産型の教育と比べて、生徒一人ひとりをより人間扱いできるという意味で「教育をよりヒューマナイズド(人間化)する」と言っているのです。つまり、アフターデジタル時代の顧客体験は、データやIT技術を生かして、いかにユーザーのリアルペインを解決するために、ユーザー一人ひとりにきめ細やかな対応ができるか、そこからいかに人間対人間のコミュニケーションを築いていけるのかが問われているのです。(p.125-126)

 デジタルを使うことで、「人間らしい温かみがなくなってしまう」というようなコメントをする人もいます(以前に比べたらすごく減ってきたように思っていますが…)。でも、サルマン・カーンさんは、生徒一人ひとりをより人間扱いできるという意味で「教育をよりヒューマナイズド(人間化)する」と言っているのです。こうした面があることも、知っておく必要があると思います。
 データやIT技術を生かして、「ユーザーのリアルペインを解決する」という部分、「ユーザー」を「学習者」や「保護者」に置き換えて読んでみるといろいろと学校の問題を解決できるのではないかと思えてきます。

ここには、2つの観点があります。まずは「自動化・最適化」です。これができるようになると、人間がわざわざやっていた「余計な作業」がなくなります。これによって人の仕事がなくなると考えるのではなく、「余計な処理や情報収集の時間が消え、空き時間が生まれる」と捉えます。空き時間は「人」という貴重なリソースを使えるので、感動体験や密なコミュニケーションに充てることが可能になります。

もう1つは「個別化」です。デジタル上で常時接続してユーザーの行動データが取れているからこそ、「ユーザーが困っている瞬間とその困りごと」が、前後関係やその人の特性を含めて理解可能になります。正しいタイミングで、正しい形で適切なサポートを提供できる。それが、ユーザーとのさらなるエンゲージメントを生み出し、付加価値となるのです。(p.127)

 著者の一人である尾原和啓さんは、あとがきで「デジタルは人の善さを引き出し、コツコツが認められる社会のために」と書いていました。こうした面もあるのだと知ったうえで、デジタルをどこにどのように導入していくのかということを考えていくべきだと思います。
 本書『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』は、教育がテーマの本ではありませんが、教育の文脈に持ち帰ることのできることもたくさんある本だと思いました。

 ちなみに、アップデート版というか続編『アフターデジタル2 UXと自由』もあります。


(為田)