戸谷洋志さんの『SNSの哲学 リアルとオンラインのあいだ』を読みました。SNSとの付き合い方は、子どもたちにとっても、僕たち大人にとっても大事なことだと思っています。SNSと適正な距離をとって付き合うためにどんなことを考えられるのかを知りたくて読みました。読書メモを共有したいと思います。
「はじめに」では、SNSが私たちにとってどんな意味を持っているのか書かれていました。
SNSは私たちの日常のなかに「あたりまえ」のものとして浸透しています。少し大きな言葉を使うなら、SNSは私たちがそのなかに住む「世界」になっているのです。
そうであるとしたら、この世界――つまり、SNSによって成り立っている日常は、私たちの人生にとってどのような意味を持っているのでしょうか。そして、その世界で生きている私たちのひとりひとりは、いったいどのような存在なのでしょうか。
こうした問いを、「リアルとオンラインのあいだ」を行き来しながら考察することが、この本のテーマです。(p.4)
SNSが私たちにとって「世界」になっているという現状で、考えるべきことが続けて書かれていました。
あなたに考えてほしいのは、「SNSをどう使うべきか」といったマニュアル的なことではありません。そうではなく、SNSを使っているあなた自身が何者なのかという問いなのです。
SNSが私たちの住む「世界」であるのなら、「SNSについて考える」ということは、「私たちが住む世界について考える」ということです。そして、世界について考えるということは、そこで生きている自分自身について考えること、自分自身を問い直すことを意味します。
たとえば、もしかしたら、あなたはSNSを使うことに息苦しさを感じているかもしれません。そのとき、「だったらSNSなんか使うのはやめなさい!」というのがお説教だとしたら、この本が進めていく哲学的な思考は、「なぜあなたはSNSに息苦しさを感じるのか?」ということを考えていきます。そしてそれは、「SNSに息苦しさを感じるあなたは、いったい何者なのか?」という問いでもあるのです。(p.5)
この本は以下の全5章で成り立っています。それぞれの章のSNSについてのテーマに関連した哲学と哲学者が紹介されていきます。
目次
個人的には「1章 なぜSNSで承認されたいのか?」が最も興味があるところで、そこで書かれていた「SNSでの承認の3つの特徴」(p.17-19)をまとめてみました。
SNSでの承認の3つの特徴
- 依存
- 承認は、「わたしを承認しろ」と強制することではなく、相手が自発的に、自分の意志で行ってくれなければ意味がない。→「私」の承認欲求が満たされるかは、他者に委ねられている=「依存」
- 不安
- 疎外
- 承認されたいと思うときに、私たちは無理をする。実際の自分ではなく、承認されやすい自分を演じる。
- 承認されようとすればするほど、自分を見失うことになる。承認を求めようとすればするほど自分自身が何者であるかを見失っていく=「疎外」
SNSでの承認欲求に追い立てられて苦しい思いをするのはなぜなのか、言葉として整理してもらえたのがよかったです。
依存・不安・疎外――。これらが一体となって立ち現れるとき、SNSを利用することは息苦しいものになり、しかもそこから逃れることが困難になります。一般に、「SNS疲れ」と呼ばれる現象は、このようにして出現するのではないでしょうか。(p.19)
依存・不安・疎外の3つのキーワードを考えつつ、自分でSNSを使痛いと思います。また、子どもたちがSNS(並びにそれに準じた機能をもつアプリやシステム)を使う様子を見ていきたいと思いました。
(為田)