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『何のためのテスト? 評価で変わる学校と学び』ひとり読書会

 ケネス・J・ガーゲン+シェルト・R・ギル『何のためのテスト? 評価で変わる学校と学び』を読みました。原題は、「Beyond the Tyranny of Testing: Relational Evaluation in Education(=テストの暴力的支配を超えて)」であり、学校での「評価」について書かれた本です。

 自分も学校に通って評価を受けてきていますし、保護者として子どもがもらってくる評価も見ています。最後の「訳者あとがき」に書かれていた、エピソードは「本当にそうだ」と思わされました。

今日の社会に生きる誰もが、学校、教育、評価に何らかの形で関わりながら生きています。自分自身が学校に通い、教育を受け、評価される立場だったとき、それに対して疑問をもつことはほとんどありませんでした。「努力すれば成績は上がる」「テストの点数や成績は良いに越したことはない」「成績が悪いのは、能力が低いか、努力が足りないからだ」。当たり前のように、そう思っていました。
しかし大学の教員になり、親になり、教育と評価を行う側の立場に立つことで、違う光景が見えてきました。訳者(東村)の子どもが小学校三年生のころ、持ち帰った通知表を見ながらポツリと言った「私は体育も音楽もすごく好きで、授業も頑張っているのに、なんで3がもらえないの?」という言葉は、評価について問い直す大きなきっかけになりました。本人が納得できず、もっと良い成績を取りたいと思っても、何をどう努力すればよいかわからないような評価に、一体どんな意味があるのでしょうか。対話的な学びやアクティブ・ラーニングが強調され、授業の風景は数十年前とはずいぶん変わりました。しかしながら、学校教育の本質的なあり方は、あまり変化していないように感じられます。それは、本丸である「評価」の問題に、ほとんど手がつけられてこなかったからではないでしょうか。(p.216-217)

 学び方が多様になってきているいま、「評価」をどうするかは本当に先生方にとって大変なテーマだと思っています。本を読んで作成した読書メモを章ごとに共有したいと思います。

日本語版への序文

 最初に書かれていた「日本語版の序文」は、この後に続く各章に書かれている要素が簡潔に紹介されていました。まずは、学校をどんなモデルとして見るか、という問題について書かれています。学校を「工場」として見ると、工場でできあがった製品の質を保証するためにテストによる評価をする、ということが書かれています。

学校というシステムは、教養のある人間というよりもむしろ、製品を作り出すために設計された工場に似ている。このような教育観では、教員、指導職、制度としての学校を含むシステムがきちんと機能していること、またその製品の質を保証するための評価が必要とされる。したがって、テストに基づく評価を放棄するということは、教育への工場的アプローチに代わる説得力のある方法を見つけることにほかならないのである。
そのような方法は、教育を社会的善として捉えるジョン・デューイの考え方にすでに予言されていたと、私たちは考えている。その後、多くの教育者たちが、デューイが示したこの方向性に重要な側面を付け加えてきた。しかしながら、ほとんどの説明は、社会は独立した個人によって構成されているとする個人主義的な見方に固く結びついたままであった。こうした見方が幅を利かせている限り、結果の測定こそが教育評価の基礎であるという覆いを振り払うことは難しいだろう。したがって、私たちが提示するのはもっと過激な主張である。それは、個人とは、関係のプロセスから生み出され、存在するようになるというものだ。私たちが特に焦点をあてるのは、協同的な意味の創造である。私たちがもっている自己と世界についての概念、信念と価値、意図と熱意は、関係のプロセスから生まれる。学校とは工場ではなく、進行中の無数の対話なのである。もし、生き生きとした学びや、参加者たちの安心と幸福を目指すなら、関係のプロセスという土壌を豊かにしなければならない。(p.ii)

 「結果の測定こそが教育評価の基礎であるという覆いを振り払う」ことと、「学校とは工場ではなく、進行中の無数の対話」と捉えることが提案されています。
 この後、「教育は変わってきている」という文脈をうけて、テストによる「測定と標準化」を行うのではなく、「関係に基づく評価」を行うことが提案されます。

教授法とカリキュラム・デザインでは、関係を重視した工夫が顕著に見られ、対話的学習、協同型授業、グループ・プロジェクト、エマージェント・カリキュラムなどの開発は、関係に基づく評価の方向性と一致しているように思われた。ところが、こうした展開への興奮が高まる一方で、成績評価によって、その十分な実りがいかに執拗に妨害されているかが明らかになってきた。対話、協同、参加型アクションは、事実上、測定と標準化に抵抗するものである。このように考えると、関係に基づく評価がもたらす、真の変革の意味合いが見えてきた。評価のあり方を変えることで、革新の扉が開かれるのである。(p.iii-iv )

第1章 テストの暴力的支配を超える

 「評価」をすべてなくすべきだということではありません。「生徒個人から国全体に至るまで、評価は改善のための手段なのである。」(p.1-2)とも書かれています。「関係に基づく評価」を代替案として提案しています。

私たちの目的は、何よりもまず、テスト重視の評価に対して有効で実現可能な代替案を提案し、それがどのようなものかを説明することである。私たちは本書で提案する代替案を、関係に基づく評価のアプローチ、あるいは関係に基づく評価と呼ぶ。その理由は主に二つある。一つ目に、現在の評価方法を、教育の核となる関係を築き、それを豊かにするような評価プロセスに置き換えるからである。ここで焦点をあてるのは、児童・生徒だけでなく、教師、親、コミュニティを含むすべての関係者が、関係の中で、関係を通して学びを広げていく評価の実践である。二つ目に、評価における関係のプロセスを強調するうえで、「価値づけ valuing」という考えが最も重要だと考えるからである。つまり、あらかじめ決められた基準に沿って個人を測定するのではなく、学びの経験や人生にとって価値あるものを提案することに力点がある。それは、生徒、教師、学校、国に点数をつけて順位を決めることの重要度を下げるということでもある。採点や順位づけに代わり、成長、発達、生成、変化をもたらす力と可能性を特に強調したい。(p.2)

 「評価の肯定的な5つ側面」が紹介されています(p.10)。

評価の肯定的な5つの側面

  1. 生徒は、自分の能力レベルについてのフィードバックを得られ、自らの強みや弱み、どこに注意を向ければよいかがわかる。
  2. 教師は、生徒が学べているかどうかがわかり、授業を改善することができる。
  3. 保護者は、我が子の学習状況についての情報が得られ、子どもの学習をサポートすることができる。
  4. 政府は(また保護者や納税者も)、学校や教師、管理職の能力を把握することができる。
  5. 高等教育機関や雇用者側は、選考プロセスに役立つ情報を得られる。

 「問題は、現在の評価が、実際にこうした目的を達成できているかどうかである」と書かれていましたが、こうした肯定的な面が、きちんといまの学校の評価のなかで生きているか、をチェックすることが必要だと思います。

ここでの分析から、評価は必要ない、すなわち、学びのプロセスについての有益な情報を得たいという生徒、教師、保護者、管理職、入試・採用担当者、政策立案者の願いは見当違いであると結論づけるのはやめよう。私たちが提案したいのは、そういうことではない。重要なのは、そのような情報に対する継続的なニーズを、より害の少ない、より有益な方法で満たすことができるかということである。もし評価のプロセスを通して、学びとは何か、進歩、発達、価値ある成長とは何か、についての理解が深まるとしたらどうだろうか。もしそのような実践によって、学びの旅についての理解を深め、教師、生徒、コミュニティと協同して意味ある未来を築くことができるとしたらどうだろうか。そして、そのような評価の結果、一人ひとりの学びについての繊細な洞察が得られるとしたらどうだろうか。
この目的のために、私たちは、主体と客体(評価者と評価の対象)との従来の関係を、関係的な方向性で置き換える。教えること、学ぶこと、すべての関係者のウェルビーイングを高めることにおいて、関係が果たしている重要な役割に私たちは気づいている。教育における評価は、関係という源泉から生まれるだけでなく、それを育むものでなければならない。関係のウェルビーイングが最も大切にされるとき、教育評価は学びがもつ意味を豊かにし、生徒、教師、学校、周囲のコミュニティを幸福にすることが可能であるということを示したい。(p.22-23)

第2章 教育は関係のプロセスである

 学校を工場のモデルとしてみるのではなく、関係のモデルとして見ていくことが第2章では説明されます。

本章では、工場メタファーに代わる教育の社会的なあり方を探っていく。ここでは、関係を二人以上の独立した人間の出会いとみなす捉え方を転換させ、関係のプロセスが個人という概念に先行するという考え方を提案する。この提案によって、学校教育の生産メタファーに代わり、会話メタファーを探究することが可能になる。また、関係の共創的なプロセスによって、知識、合理性、価値が生み出されることが理解できるようになる。(略)学校は生徒が教材を習得できるように教える場所だとする伝統を乗り越え、教育は、生徒を生成的な関係に招き入れるものになる。この関係から、人生を通して学ぼうとする姿勢が生まれる。(p.28)

 学校教育を工場モデルから関係モデルに置き換えていくことについて、会話のメタファーが紹介されます(p.29-31)。

会話の4つの特徴

  1. 会話は、一人ではできないということである。
  2. 会話は共創によって成り立つ。質問が質問になるのは、答えとうまく調和するときであり、答えが答えになるのは質問のあとに続くから。質問と会話は共創される。会話は進行中の共創のプロセス。
  3. 会話は先行する会話に依存している。
  4. 会話は因果関係ではなく協同が原則となる。(生産メタファーは、従来の因果関係の考え方に囚われている)

 僕はこの会話メタファーがあまりわからなかったのですが、ここで挙げられていた会話の4つの特徴が「学校教育」の文脈に当てはめられるならば、一斉授業やいわゆる伝統的なテスト形式では評価できないことが多く含まれているなと感じます。

「会話に参加する」ための準備は、効果的な社会参加に向けた最初のステップにすぎない。これまでのカリキュラムは、生物学、物理学、文学、地理学などの教科内容を中心につくられてきた。しかしながら、関係的な視点から見ると、このような焦点のあて方は非常に限定的である。事実について知ることよりも、それに意味を与え、維持している関係的なプロセスへの参加の方法を知ることの方が、はるかに重要である。有用な知識と考えられているものは、時間と状況に応じて変わっていく。実際、生徒は(小中高の)一二年間で学んだ内容をほとんど覚えていないことが多い。しかし、他者やコミュニティ、より広い世界と可能な限り豊かに関係を結ぶという課題は、生涯にわたって続くだろう。これは、学習を継続したいという欲求だけでなく、より一般的な人間のウェルビーイングにもあてはまる。(p.44)

 「会話に参加する」ことは、「学びのコミュニティに参加する」ことなのかな、と感じました。そう考えると、学びを会話のメタファーや関係性のことで捉えられるようになれば、生涯自分で学んでいける力が身につけられるように思います。
 逆に、従来の評価が学びの場での関係を悪化させることも書かれていました。

従来の評価がもたらす関係の悪化(p.46-49)

  • 試験やテストは、学びを評価する道具として不十分であるだけでなく、価値の序列をつくり出す。価値の序列は、生徒同士の関係にも波及する。
  • 成績評価が行われることで、生徒は、教室が本質的に「食うか食われるか」の競争であることに気づく。教室文化は、根本的な疎外感を前提としたものになる。
  • 生徒と教師の関係に権力関係を生じさせる。教師と生徒の隔たりが生じる。
  • 親がわが子について、学校的な価値の序列をもとに定義するようになる。

「要するに従来の評価のあり方は、対立、不安、疎外感、傲慢、嫉妬、自己否定、誤解、疑念を特徴とする学校教育の文化に寄与している。これは、生徒同士、教師と生徒、管理職と教師、保護者と生徒、政策担当者と教育者の関係においても同様である。なぜそのような状況を維持しなければならないのだろうか。」(p.49)

 こうした評価のあり方がもたらす悪い影響は、第1章で書かれている「評価の肯定的な側面」が行き過ぎてしまっているケースだと思います。

第3章 関係を鍵とする教育評価

 「関係に基づく評価」についての説明が、第3章では行われていました(p.57-59)。

関係に基づく評価:
「関係のプロセスを核とし、そのプロセスから、学びを刺激し持続させるとともに関係のプロセスそのものも豊かにするような力を引き出す教育評価のあり方」(p.57)

  • 独立した客観的な判断という意味合いが強い、「評価(アセスメント)」「検査」「測定」「鑑定」という言葉を使わない。使う言葉は、「評価(エバリュエーション)」。評価とは、何かに価値を与え、価値づけるプロセス。
  • 生徒の欠点や足りないところを指摘する従来の評価ではなく、成長およびウェルビーイングの機会、可能性、潜在力に焦点をあてる評価へ転換する。
  • 評価は、「共同探究のプロセス co-inquiry process」。評価のプロセスには、質問し、耳を傾け、参加者の多くの生きた現実に寄り添い、関心をもつことが含まれる。
  • 関係に基づく評価は、学習者の価値観、希望、熱意、ウェルビーイングを絶対的に肯定するものでなければならない。
  • 能力評価が学習者の関心を切り捨てるのに対し、評価は、関心の対象に息を吹き込むものでなければならない。

 また、「関係に基づく評価」の主要なゴールも書かれていました(p.59-64)。

関係に基づく評価の主要なゴール:

  • 学びのプロセスを向上させること
    • 評価は学業成績を確認するためのものではない。
    • 評価は、学習者を動機づけ、刺激するものでなければならない。生徒の学びへの関心と熱意は、関係に大きく依存すると言われる。
  • 学びへの持続的な関わりを促すこと
    • 学びは一生続くもの。しかし、テストの結果が学びの主な目的であるならば、試験は終了を意味する。
    • 関係に基づく評価は、生徒が自らの学びに責任をもつように促す。
  • 関係のプロセスを豊かにすること
    • 評価のプロセスに、互いを思いやり感謝する気持ちを組み込む。
    • 信頼構築に焦点をあてる。
    • 対話と協同を前面に押し出す。

 「関係に基づく評価」が目指すゴールについては、どれも大賛成です。どうするべきか、考えていきたいと思います。

第5章 関係に基づく評価――中等教育

 第4章と第5章では、初等教育中等教育において、どんな「関係に基づく評価」ができるのかが書かれていました。最近は、一人1台の情報端末をいかに中学校や高校で思考や表現の道具として使ってもらうか、ということに興味があり、第5章で紹介されていた「ラーニング・ジャーナル」の事例がとても興味深かったです。

ラーニング・ジャーナルは、学びへの意欲を高める対話的かつ評価的なアプローチである。個人で省察することも大切だが、相手からのフィードバックからだけでなく、互いの作品を評価するという課題から参加者が得るものも大きい。ジャーナルを作成し、その内容について話し合う際に、教師が生徒にどのような指示をするかについては、多くのバリエーションがある。例えば、生徒のライティングの特定の側面に対する省察や、仲間からのコメントをジャーナルに含めるように求めることができる。ディスカッションの課題も、ペアで、自分たちの作品をその分野のより一般的な水準と比較して考えさせるなど、さまざまなものが考えられる。また、「どうすればもっと自信をもてたのか」、あるいは「私を最も助けてくれたのは誰か」など、より個人的な質問について考えてみるように促すこともできる。(p.112-113)

 ラーニング・ジャーナルについては、一人1台の情報端末+クラウド活用をすることで、どの学校でも実践が可能だと思ったので、授業実践を検索して調べてみようと思います。

第6章 授業評価への関係論的アプローチ

 評価については、先生と児童生徒の間でももちろん重要ですが、保護者にとっても同様に(受験のことなどを考えるとときにもっと)重要です。だからこそ、保護者との関係も含むことが重要だと書かれていました。

教師の専門性を、生徒の成績を上げるという観点から捉えるのは、非常に視野が狭く、有害ですらある。教師はガイドであり、ファシリテーターであり、メンターであり、学習者でもある。もっと包括的に考えなければならない。教師は、授業/学習のプロセスの積極的な参加者である。したがって、専門性の発達は、教師同士の関係、生徒、同僚との関係、さらには保護者との関係も含む関係プロセスを育てることまで拡張して考える必要がある。(p.125)

第8章 関係に基づく評価と教育変革

 関係に基づく評価のアプローチをとると、学校としてのマインドセットの変更も迫られると思います。最後に、そうしたことについて書かれていて、言葉選びが素敵だとおもった箇所を紹介します。

従来の評価に代えて関係に基づく評価のアプローチをとるならば、教育の重大な革新にも力を注ぐことになる。カリキュラムは「命令」ではなく、学びの旅に寄り添う「ガイド」や「コンパス」として考えられるようになる。複数の旅のルートを柔軟に考える機会が生まれるのである。(p.172)

 これからの時代、人生において唯一の正解ルートがあるわけではないので、子どもたちが自分で「複数の旅のルートを柔軟に考える」ことができるのはとても大切なことだと思います。

最も重要なのは「何を知っているか」ではなく、継続的な学びと創造的な即興にいかに参加するかである。何が必要になるかは予測不可能であるため、さまざまな可能性をもつ人々が求められている。社会の反映にとって、多様性は大きな力であり、標準化は敵である。生徒が学んでいることは将来の課題にほとんど役立たず、過去の世界のために彼らを教育しているおそれがある。また、分野別にカリキュラムを作成することで、サイロのように閉じた世界がつくり出される。人はサイロの現実の中で学び、実践するのである。しかしながら、「ウィキッド・プロブレム」と呼ばれる未来の極めて複雑な問題には、対話、視点の統合、イノベーションが必要になる。(p.190)

まとめ

 「評価」という、先生方にとってもとても大切なことを考える機会になりました。評価をなくすのではなく、「関係に基づく評価」という新しいアプローチがなぜ必要なのかを読むことができ、それを少しずつでも現場に入れていくお手伝いができたら、と感じました。少なくとも、自分が担当している授業では、「関係に基づく評価」の観点をもって子どもたちの学びを見つめていこうと思いました。

(為田)