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書籍ご紹介:『それは丘の上から始まった 1923年 横浜の朝鮮人・中国人虐殺』

 後藤周さん 著・加藤直樹さん 編集『それは丘の上から始まった 1923年 横浜の朝鮮人・中国人虐殺』を読みました。関東大震災後に起こった流言から起こった、朝鮮人・中国人の迫害・虐殺は横浜から始まっていて、その記録をさまざまな人の作文や談話などから読んでいく本です。

 関東大震災後に流言が原因で朝鮮人・中国人の迫害・虐殺があったことは事実として知っていましたが、それが横浜から始まったということは知りませんでした。「はじめに」で書かれている文章が、この本を書いた動機がよく伝わってくるものでした。

「最悪の事態」、それは災害を生きのびた人びとの命を奪い、助かったかもしれない命が放置され、失われ、多くの人びとが殺人者となった事態でした。
その背景には、日本の朝鮮に対する植民地支配がありました。侵略、支配に無自覚であれば、そこに朝鮮人への無理解、抜きがたい差別意識、抵抗運動への恐れが生じます。このような差別意識、恐怖感が煽られる中で、「朝鮮人暴動」の流言が事実と信じられ、広範な迫害・虐殺となったのです。
ただし具体的な状況は、朝鮮人虐殺の起きた地域によって大きく違います。
官憲の主導下に自警団が組織され、「官民一体の虐殺」が行われた地域もあれば、民衆が官憲に従わず、警察を排除して朝鮮人を虐殺した地域もありました。「軍隊、内務省・警察の上層部が流言を意図的、計画的に流布し、軍隊・警察の主導の下に虐殺が行われ、その承認の下に民衆は虐殺に加担した」という見解もありますが、横浜の事実からは、そうした見解は成り立ちません。
横浜は震火災の被害がひときわ大きく、東京など外の地域との通信交通が途絶し、孤立した地域になりました。陸軍部隊が横浜に上陸したのは3日午前11時です。しかし、その時すでに流言・虐殺は横浜全市に広がっていました。孤立したなかで、外からの影響を受けずに流言と虐殺が始まり、主に地域の行政・警察の誤った対応や行動と、民衆に広まった恐怖心が乱反射しながら、被害が拡大激化していったのです。
そして横浜は、関東一円に広がった朝鮮人・中国人虐殺という「最悪の事態」の、大きな発火点となりました。(p.2-3)

 災害後で情報が遮断された状況で流言がどのように広がっていくのか、流言にどのように人が反応していくのか、ということが読めます。現在であれば、流言の広がるスピードはもっと速く、フェイクニュースヘイトスピーチなどが飛び交う事も考えられます。そのときに、どんなふうに情報に接するのかを考えることは大きな意味があると思います。
 そうした場面でどう行動できるかというのは、「リテラシーを身につけて…」というふうに簡単に学べるものではないと思います。でも、こうした歴史に向き合うことが大事だと感じます。

私は、横浜の虐殺について調べる中で、思い込みや安易な解釈を排し、確かな事実を求めて資料に向かうことに努めてきました。
歴史、社会の動きは、多様な人間がつくり出す重層した複雑な現実です。そうした歴史を見つめ直すには、安易な解釈に固執することなく、複雑で多様なものをそのままに見ていくことが必要です。そのためには、資料を丁寧に読み解くしかありません。多様な事実を踏まえ、いま分からないことは後世の研究に委ねながら、常に多様な事実を踏まえた新しい視点をもって真相を探ることが必要です。
本書には、そうして明らかになってきた「横浜の事実」を書きました。横浜で起きた「最悪の事態」を、多くの人に共有していただき、この歴史を伝えていきたいというのが、私の願いです。(p.3-4)

 この本に書かれている迫害・虐殺は、横浜のすごく狭い地域で行われています。横浜に住んでいる僕にとっては、散歩したことがあったり、車で通ったことがあったり、知っている場所もたくさん出てきます。
 虐殺がたくさんあって大変だった地域に隣接する鶴見町では、大川常吉さんという鶴見警察分署の署長が朝鮮人・中国人を鶴見書にて収容保護したという記録が紹介されます*1鶴見町で普段から朝鮮人たちと仕事で接していた土木請負師が朝鮮人を守るべく行動していたことなども書かれていました。

鶴見町で起きたこと、それは朝鮮人・中国人を襲う町民と、その攻撃から守った大川署長という単純な「お話」ではありません。事実は、鶴見署内の朝鮮人・中国人約400人をめぐって、町長、町議、警察署長の間で議論が重ねられていたということです。朝鮮人・中国人の安全を図り、町の平穏を取り戻すにはどうすればよいのか、という話し合いです。虐殺の動きに直面した鶴見町は、町政(地域の自治)をもってその解決に当たろうとしていた、これが明らかになった事実でした。(p.265)

 学校の役割、地域の役割について考えさせられます。地域で日常的に朝鮮人・中国人と触れ合っていた人たちが、流言から彼らを守ったことがわかります。
 デジタルでどんなに外の世界と繋がれても、日常生活は「そのとき」「その場所」を共有する人たちと繋がっている価値は全然減らないのだとあらためて感じます。

 こういう場面になったときにどう行動できるかを考えるために、こうした歴史に触れることは大事だと感じます。

(為田)

*1:英雄的なエピソードは脚色・創作された部分が多い、ということですが