苅谷夏子『評伝 大村はま ことばを育て 人を育て』を読みました。大村はま先生の名前は知っていたけれど、きちんとどんな授業をしたのかを読むのは初めてです。
あすこま先生が、アトウェルの本を読み始めたときに、「アメリカにも、大村はまみたいな人がいる」と思ったそうなので、先日の『イン・ザ・ミドル』に続けて読みたいと思ったのでした。
askoma.info
あとで読み返せるように、Twitterに「 #評伝大村はま 」とハッシュタグをつけて気になるところをメモしていきました。僕は国語の先生でもないですが、情報活用能力や発信力、表現力というところに興味があるので、非常に勉強になりました。
ことばの大切さ
大村はま先生の授業の様子を断片的に知ることができるのだが、そのなかで、「ことば」を大切にしていることが伝わってくる。そして、それを生徒たちが楽しむようになってくる。僕も作文やプレゼンテーション原稿へのコメントを授業のサポートに入ったときにすることがありますが、つい「もっと深く考えて」とか「もう少し丁寧に」とか言ってそうだな…と。もっと具体的なことばで刺激を与えてあげられるようになりたいな、と思いました。
「そんなふうにして「ことば」というものと真剣に、心をこめて向き合うことは、決して簡単なことではなくて、生徒たちは最初は当惑するような感じであった。しかし、徐々に、おもしろおかしいというのとは全く別種の魅力を、生徒たちは見つけ出していった。」(p.196) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月22日
「「もっと深く考えて」とか、「ここをもっと丁寧に書きましょう」などという指示でなく、一つひとつの具体的な文章に、具体的なことばで刺激を与え、世界を広げ、深め、思わずことばの世界でじっと考えさせる、ということを、自分なりに追求していくつもりだった。」(p.211) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月22日
「はまには、一つの確信が育っていた。ことばこそが、自分と人とをつなぐーーことばを介して自分は世界と向き合い、理解し、働きかけ、深く結びついていく。そういう確信だった。」(p.218) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月23日
すべてを先生がやらなくてもいいのかもしれません。例えば、きちんと初見の文章を読めるような姿勢と語彙力を身につけ、検索のスキルを身につけることで、より多くの自分がほしい具体的な文章やことばに出会うことができるようになると思います。ICTが日常生活に普及している今だからこそ、大村はま先生が図書室でやっていた授業がどんなふうにパワーアップするのかを考えるのは楽しいことだな、と読んでいて思いました。
社会から教材を持ってくる
戦後すぐに、中学校の先生になった大村はまは、外部からどんどん教材をもってきてもらうようにしていたそうです。新聞や雑誌などの広告などを題材にして、子どもたちが観察や収集をするようになります。一人ひとりがすぐに撮影してみんなが見られるクラウドにストックでき、クラス全員で教材を共有できる現代のツールを使ったら、どんなふうにこの授業が変わるのか、考えてみるのもおもしろいと思いました。
「ごくふつうの庶民である子どもたちが、知らず知らず熱心にテキストを読み、呑み込み、その趣旨に賛成して、実例の観察や収集に夢中になっている。要旨がわかるとか、わからないとか、そんなことを越えた学習がここにはある。」(p.318) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
ここでの実例は、「東京都交通局のお知らせ、パン券の受付について、寄生虫駆除のお知らせ、万年筆の広告…」など。「町に転がっていた平凡なことばが面白い材料になり、急に、立派な学問的なものが流れ込む」(p.318) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
作文指導の方法
こういう先生に出会えていたらな、と思ったのは、作文を書く気がない生徒の原稿用紙に、大村はま先生が文章を書き、続きを生徒が書き、それに何も言わずに続きをまた大村はま先生が書く…という授業のところを読んだときでした。
「第十章 東京都中央区立紅葉川中学校」。作文を書く気がない生徒の原稿用紙に黙って鉛筆で字を書く、大村はま。〈ぼくは、何かを書きたいと思って紅葉川の見える窓に向かって腰かけた。さて何を書こうかな、書くことがわからない。(略)〉」(p.378)「続きを書いてごらん」と言う。#評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
「さあ、乗りなさい。こうやって、自分の中のことばを外に出してごらん。この線路に乗っかれば、あなたの気持ちはことばになるはずだ。乗っかれ!」(p.378)→ここ、アトウェル先生みたいだ。そうか、こういうところか…。 #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
で書いてみた生徒が「こんなのでいいのなら、書けるけどな。ここからどうしようかとちょっと困っていると、どこさはともなく、また、はまがやってきて、また数行書いた。」(p.379)→こういうやりとり、楽しそう。Googleドキュメントとかでやってみたい。 #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
ちょっとずつでも書いてみた生徒。こうして先生が書き手のパートナーとして学びに参加するのはおもしろそうです。「あまり関わらずに、自由に考えさせよう」と思うことが僕は多いですが、こうした関わり方もあるのかと思いました。Googleドキュメントでみんなで作文を書いていれば、途中途中で先生が書いていくということもできそうですし、グループでピア・ライティング(Peer-Writing)の形式にするのもできるかもしれないと思いました。
興味深い研究指定
大村はま先生が赴任した中央区立文海中学校で行われていた、「すべての教科書を読めるようにするために」という研究テーマは非常におもしろいと思いました。すごく興味があります。どこかで読めないかな…と思っています。
「第十一章 東京都中央区立文海中学校 1956-1960」へ。文海中学校は、1955年に東京都の研究指定校となっていた。テーマは「すべての教科書を読めるようにするために」。「全教科の教科書に用いられている語彙を洗い出し、国語科としてそれをバックアップするという実践である」(p.393) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
「まずは、とにかく単語を拾っていく。全教科となれば、概数、比例、証明、導く、などという数学のことばもあれば、反応、吸収などの理科用語、授業、列強、権利などの社会科用語など、(略)語彙は多岐にわたる。」(p.393) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
全教科の語彙を拾って「国語科で責任をもって教えるべき語彙を選び出し、それらをすべてちりばめた短い文章をいくつも作って、学習させるのである。こうして概要を言うだけなら単純なことだが、実際には、とんでもなく労力と分析力、言語能力を必要とする取り組みだった」(p.393-394) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
「特に、教えたい語彙をうまくちりばめて魅力的な文例を書き上げていく作業は、強靭な文章力がないと、つらいことになる。」(p.394)→これは誰にでもできることではない、というのはそうだろうな。でも、できれば、おもしろい。語彙にタグをつけたりログをとれる今なら、なおさら。 #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
みんなでことばを研究する
ことばを研究する単元を、大村教室ではやっていたそうです。これもおもしろそうです。
「第十三章 それから 1980-2005」へ。「大村教室では、よく一人が一つのことばを受け持ち、そのことばの使われ方に気をつけて暮らすということをしていた。単元というほど大きなことではなかったが、ことばの神経を細かくするための試みとして、それを考えた。(続)」(p.503-504) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
「誰が何ということばを収集しているかは公表されていて、面白い用例に出会うと、メモや切り抜きをそのことばを集めている人にプレゼントする。それはいかにも大村教室の勉強家らしい、すばらしいやりとりだと、はまは生徒を励ましていた。」(p.504) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
「集めてどうする、というわけではないけれども、そんなふうにして暮らすことが、ことばを愛することだとはまは感じる。はま自身が集めていたことばは、「洗う」だ。」(p.504)→先生も一緒になってやるのがいい。いまなら、スマホで撮影したり、SlackやWikiで共有したらおもしろそう。 #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
スマホとクラウドを使ってやったらおもしろそうです。みんながそれぞれにことばに気をつけて暮らし、見つけたらクラスみんなで共有していく。WikiやSlackを使うとおもしろいかな…。
こうして、大村はま先生の授業がICTでサポートされたらどんなふうだろうか…と考えていましたが、たぶん大村はま先生は、喜んでやるのではないかと思うのです。
「戦後すぐのセロハンテープに始まって、カセットテープレコーダーも、留守番電話も、ファックスも糊つき付箋も、発売とほぼ同時にはまの武器に加わった。(略)この後、ワープロも使えるようになり、二十一世紀を迎える頃には、パソコンにも挑戦したいと言い出し」(p.510)→すごい。 #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
そうした「どうやってやるのか」ということよりも、授業の中身こそが重要だ、ということを誰よりも大切にしていた先生だと思います。
大切なのは授業
大村はま先生の研究授業の数も紹介されていますが、すごいです。具体的な実践の提案項目についても、一度しっかり見てみたいと思いました。
「はまは、研究授業を、記録されているだけで二百四十五回もしている」(p.510)→実践の提案項目は合計304(橋本暢夫『大村はま「国語教室」に学ぶ』)におよび、それをすべて何らかの単元で実行している。 #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
実践の提案項目:「たくさんの意見を見て、だいたいの流れを見定める力をつけるくふう」「たくさんの意見を、いく種類かに分けてとらえ、それぞれの意見を位置づける力を養うくふう」「話す内容に、自信をもたせるくふう」(p.510) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
「こんな具体的な観点を三百も持って、はまは国語教室を営んできたわけで、単元学習がとかく行き当たりばったりになりがちな点を、綿密な学力観が制御していたことがわかる。その単元の多くが十六冊の全集の中に文字化された。」(p.510-511) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月25日
ことばの大切さ
最後に、アメリカの同時多発テロのときのエピソードから、大村はま先生がどのような思いで、ことばを大切にしていたのかということがまた描かれます。
911のときに、苅谷夏子さんが「大村はまが、戦争の中で一生懸命、結局は戦争に協力する暮らしをし、そこから立ち上がる唯一の道として、子どものことばを育てること、話し合える人を育てることに悲願といってもおかしくないくらいの気持ちで取り組んだ」(p.534-535)心情を理解した。 #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月26日
「ことばで話し合って、最も深刻な問題をなんとかしていくだけの力と、それを最後まであきらめない覚悟を、私たちは持たなければならないはずだ。それは新型ミサイルを創るより、レーダー網を張り巡らせるより、大切なはずだ。」(p.535) #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月26日
いろいろな困難を「なんとか解決していこうとするとき、共通する決定的な「武器」となるのは、ことばと話し合いではないのか。少数のエリートだけでなく、みんながそういう力を持たなければいけないのではないのか」(p.535)→それが大村はまがむきになって教え続けた理由ではないか? #評伝大村はま
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2018年11月26日
「少数のエリートだけでなく、みんながそういう力を持たなければ」というところ、なぜ公教育の現場に拘られたのか、ということにつながるのではないかなと思いました。
大村はま先生の著作はたくさん出ていますが、授業でどういう発問をしたのか、どういうやりとりがあったのかなど、具体的に知りたいと思いました。書籍や映像など、あたって勉強したいと思います。
(為田)