上野千鶴子『情報生産者になる』を読みました。子どもたちには、情報の消費者ではなく、生産者になってほしい。だから、情報活用能力を身につけられる授業にすごく興味があります。情報活用能力を考えるときに、ICTは不可欠なツールになっていると思っています。だからこそ、学びの場で児童生徒がICTを活用することは目的ではなく、手段だと思っています。
子どもたちが情報活用能力を身につけるスタートを、小学校から高校までの間で、学校での学びのなかで少しでも身につけられるカリキュラムを書きたいのです。そのための勉強として読みました。Twitterでハッシュタグを使ってメモを取ったので、再構成します。
問いを立てることの大切さ
基本は、高等教育での論文を書くためのノウハウなのですが、それでも初等教育・中等教育で使えるノウハウは多いと思いました。
「重視してきたのは、「情報生産者になる」ということです。高等教育以上の段階では、もはや勉強(しいてつとめる)ではなく、学問(まなんで問う)ことが必要です。つまり正解のある問いではなく、まだ答えのない問いを立て、みずからその問いに答えなければなりません。」(p.9) #情報生産者になる
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年1月31日
「情報生産者の立場に立つことを覚悟して消費者になると、情報の消費のしかたも変わってきます。この情報はどうやって生産されたのか?…その楽屋裏を考えるようになるからです。」(p.11) #情報生産者になる
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年1月31日
問いは、日々の生活の中で探せることもたくさんあるはずです。こうした視点を授業の中で拾いあげ、教室みんなでおもしろがり、ちょっと考えてみて、自主勉強でそれを調べてみる…というのができれば、問いを立てる視点が身についていくと思います。
情報はノイズから生まれる。ノイズの発生装置を活性化するには:1.自明性の領域(当たり前だと思って疑問を抱かない環境)の縮小 2.疎遠な領域(自分から距離が遠すぎて受信の網にひっかからない)を縮小。→情報の発生する境界領域、グレーゾーンを拡大する。(p.15-16) #情報生産者になる
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年1月31日
「問いを立てることも、センスのよい問いを立てることも、場数を踏めば学ぶことができます。問いを立てる際、条件がふたつあります。第一に、答えの出る問いを立てること。第二に手に負える問いを立てることです。」(p.17-18) #情報生産者になる
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年1月31日
この「問いの立て方」については、小学校などで調べ学習などと絡めてやっている学校で、授業をサポートに入ると、苦労することが多いように思います。何より、「問いを立てる」という経験が圧倒的に少ないのかもしれない。年に1本とか2本とかじゃ、全然足りないのかもしれないな、と思います。
書くときの注意点
自分で問いを立て、それを論文の形にする時の注意が書かれていました。小学校から高校であれば、レポートやプレゼンテーションにまとめるときの注意に相当する部分もあったように思います。
「初学者の陥りやすい過ちは、知っていることをすべて書きたくなることです。先行研究の検討から知り得たことをあれもこれも書きたい気持ちはわかりますし、そうすれば論文は長くなって一見労作に見えますが、どれほど書いても(略)読書レポートにしかなりません」(p.266) #情報生産者になる
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年2月1日
「メディアやネットのなかには二次情報があふれています。それを器用に切り貼りしただけのレポートを、「総合学習」などの名で中学生や高校生にやらせるのは、研究の名に値しません。」(p.274) #情報生産者になる
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年2月1日
そこまで強烈に言わなくても…と思わないではありませんが、切り貼りで済ませてしまう子どもたちが多いのは事実。そして、「どうせ切り貼りになるから、やらせる必要がない」と言う先生方もある程度多いように思います。そうではなく、本当に自分の言葉で調べてみたくなり、人に伝えてみたくなる、そんな環境を作ることこそが先生の仕事となるような、そんなカリキュラムを僕は書きたいと思います。
実際、そうした授業をされている先生方はたくさんいらっしゃいます。そうした先生方の授業(その裏側にある思いや準備のノウハウなども含めて)を、広く伝えていきたいと思って、このブログを書いているので、より一層がんばろうと思わされました。
子どもたちへのコメントについて
調べたことの発表などについて、コメントをする機会も先生方には多いと思います。そのときのポイントも書かれていました。こうして文言化されているのはとてもいいと思いました。
コメントはケチをつけることではなく、(1)書き手の言いたいことに沿ってその意図がよりよく通じるように示唆を与え、(2)論旨の欠陥や議論の問題点を指摘し、(3)ありうる批判を予測して書き手にディフェンスのための知恵を授ける、ためにある。」(p.291)
コメントと批判や反論も違う→「たとえ相手の論旨に賛成できなくても、可能な限り相手の主張を説得力のあるものに仕立てあげることに協力したうえで、書き手からは死角にある、ありうる批判や欠陥を示して、それを予期した論点を組み込」(p.291)む手伝いをするのがコメント #情報生産者になる
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年2月3日
内在的コメントと外在的コメントの違い:外在的コメント→あれがない、これを知らない、それが見えていない…とないものねだりする。書き手が自覚しない限界や欠陥を指摘することで、書き手の射程や地平を拡大する。(書き手に反論したり否定するためのものではない)(p.291-292) #情報生産者になる
— 為田裕行 (@Hiroyuki_Tameda) 2019年2月3日
まとめ
非常に参考になりました。調べ学習や卒業研究の授業設計にとても役立てられそうです。
(為田)